第1章 僕は、空気になりたい。8

 帰宅した時、すでにチャックさんはいなかった。これには、ホッとした。

 そして、ひとり自室でベッドに横になると、僕は盛大にため息をついた。

 その間も、伊達さんの実況は止まらない。


『乙幡、すべてから逃げ帰ってまいりました! そして、このまま自室に引きこもって一生逃げ切ろうという無謀な戦略でありましょうか? 早退は、引きこもりのはじまりであります!』


 そんな謎の実況をなるべく意識しないようにし、自分の頭を整理する意味でも昨日から今日のことをもう一度、振り返ることにした。

 時系列に順を追っていくと、こんな感じだ。

 

 昨日夕方、新垣さんの前で倒れ、意識を失う → 病院に搬送 → このタイミングで伊達さんに取り憑かれる → チャックさんの手で自宅に連れ帰ってもらう → 翌朝、伊達さんによる僕の実況が始まる → 実況のせいで新垣さんを怒鳴ったと思われ、クラスの注目を集め新垣さんも泣かせる → 逃げるように帰宅する(←今ここ)


 空気のようでいられた、一昨日までがもはや懐かしい。

 昨日と今日で、僕を取り巻く状況は一変してしまった。


『案ずるな、乙幡剛! ブロウイン・イン・ザ・ウィンド! 明日は明日の風が吹くのであります‼』


「伊達さんがそれ言います? 今日の災難の原因は、ほぼ伊達さんじゃないですか!」


『おやおや? これだけ伊達には声を荒げることができるのに、先程は、なぜ美少女に声をかけることがきなかったんでありましょうか? 「僕の体なら大丈夫だから、心配しないで」その一言がなぜ言えなかったんでありましょう?』


 痛いところをつかれ、僕は黙る。

 伊達さんの実況さえなかったら、僕だってきっと普通に……。

 って今さら、仮定の話をしても仕方ないか……。

 とにかく目下の課題は、新垣さんの誤解を解くこと。

 そして!

 今も続くこの伊達さんの実況から一刻も早く逃れることだ!!

 心の中でそう決意すると、


『であれば、なおさらこの伊達を、成仏させる必要があるわけであります!』


 伊達さんが実況で応じた。

 そこなんだよな……。僕は頭を抱えた。

 伊達さんは自分が納得いくができれば成仏できるだろうと言っていた。しかし、伊達さんが実況できるのは僕の行動のみ、っていうクソ設定があるのだ……。


 デブで運動神経もすこぶる悪い僕に、しかもボッチで陰キャの僕に、伊達さんが完全燃焼できるような劇的な実況シチュエーションが訪れることなんてあるんだろうか? どれだけ想像してみても、そんな瞬間、訪れる気がまったくしなかった。

 となると……つまり……一生、伊達さんの実況と過ごすってこと?


――いやいや! 絶対ありえないから‼


今日のほんの数時間だけであれだけ酷かったのに、それが一生続くなんて!


『私の方こそ、このまま乙幡と添い遂げたくないわけであります!』


「だったら、そもそも取り憑かないでくださいよ!」


『まさにその通りではあるのですが、まさか一度選んだ依代をチェンジできないとは……。これでは悪徳風俗と一緒であります! そして、一生の不覚、いや後生の不覚であります!!』


「ねえ、ちょっとは真剣に考えてくださいよ!」


『ことここに及んでは、もはや我々は運命共同体! やはり、ウィンウィンの関係を目指すべきではないでしょうか?』


「またそれですか?」


『あっ! たった今、私の脳裏に、いや正確には霊裏にひとつの画期的なアイデアが浮かんだんであります!』


「アイデア?」


『シンプルな話であります! 名実況が生まれやすいシーンを再現すればいいのであります! 血沸き肉躍る、あるいは魂を震わす名場面や名シーンを、乙幡剛、君がその身体で再現すればいいのであります‼』


「いやいやいや、無理ですって」


『たとえば、何らかの格闘技の世界チャンピオンの奪取! あるいは、短距離走の世界記録樹立!』


「どっちも物理的に無理ですよ! この体型、見ればわかりますよね?」


『じゃあ……柔道だ!』


「できません」


『相撲は?』


「見た目だけで適当なこと言わないでください! 基本的に運動は苦手なんですよ……」


『ならば……かなりスケールダウンは否めませんが、学校にあるもの、また学校にある空間を利用して……たとえば、こんなシーンの再現はどうでありましょうか⁉』


 その後、伊達さんは怒涛のごとく実況シーンについて自らのアイデアを熱く語った。そのほとんどが荒唐無稽で、不可能なものばかりだったけれど。

 

 だが翌日から、このアイデアの数々に僕は大いに振り回れることになる……。

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