第1章 僕は、空気になりたい。7

 そこにいたのは、あろうことか新垣さんその人だった。


『おっと――! 乙幡剛、なんと朝イチから清楚系美少女JKに、第一次接近遭遇であります! これは、うれし恥ずかしラブコメ展開も期待できるんでありましょうか⁉ しっかし、この少女、非の打ち所のない美少女だぞ! もし私が乙幡くらい若く、祟る霊魂でもなかったならば、間違いなくお近づきになりたいところであります‼』


 ――マジで、少し黙ってください!


 無駄と思いつつ、心の中で伊達さんに訴える。

 と、新垣さんがいきなり涙目になった!


 えっ! えっ? どういうこと⁉


 動揺を隠せない僕に、新垣さんは早口でまくしたてた。

「乙幡くん、大丈夫だった? 救急車で運ばれた時は、本当に心臓止まるかと思ったよ。病院の先生はなんて? 本当に大丈夫? 体調悪いのに、私が重いプリント持たせちゃったせいだよね? 本当に本当に、ごめんなさい!」

 そして彼女は、深々と頭まで下げた。

「あ、新垣さん……か、顔を上げて。迷惑かけたのは、ぼ、僕の方だし……」


『乙幡、盛大にかんだ――! もはや、スキャットかというレベルであります! ついでに言いますと、乙幡の声があまりに小さすぎて彼女には聞こえていなかったようであります!!』


「……聞こえてない?」 


 その時、つい伊達さんの声に反応してしまった。

 すると、そんな僕の声に反応し、新垣さんが

「ウソ! 耳……聞こえないの!? どっちの耳?」

 と何を勘違いしたのか叫ぶと、一層、涙目になった。

 クラスの視線が自分に集中していくのを感じる。

 急いで否定しなければ!

 焦れば焦るほど、僕はさらに混乱し口ごもった。

「本当ごめん! ごめんね、ごめんね……」

 その後も新垣さんは何度も頭を下げ、謝罪の言葉を重ねてくる。

 僕の混乱を尻目に、伊達さんの実況はむしろ熱を帯びていく。


『おっと! まさかの不幸な聞き間違いが起こってしまったようであります! このままでは、彼女は乙幡の聴力を奪った加害者になってしまうぞ! ここはすぐに否定の声を上げ、少しでも眼前の美少女を安心させたいところ! しかも! 今度こそかまずに、かつ大きな声で、伝えなければ伝わらないわけであります‼ さあ、いつまで黙っているんだ? なにを躊躇してるんだ! それでも男か、乙幡剛! さあ、話せ! 話すんだ! 乙幡――』


「――黙れ――!」


 気づくと、僕は声を荒げていた。

 もちろん、その叫びの矛先は伊達さんだった。

 が、傍から見れば、僕が新垣さんに一喝したようにしか見えなかったはず。

 僕の叫びに驚いたのか、教室も一瞬だけ沈黙した。


 ――数秒後、新垣さんの頬を一筋の涙が伝った。


 そして、教室内から囁きが聞こえ始めた。

「なにアイツ? かわいそ、新垣さん……」

「てか、アイツが勝手に倒れたって聞いたけど……」

「初めて見たわ、あのデブがしゃべったの」

「うわっ、やっぱヤベーヤツだったんだ……」

 室内が静かだったので、その囁きはサラウンドで僕の耳にも届く。

 やがて、新垣さんは消え入りそうな声で、

「本当にごめんなさい……乙幡くん」 

 とだけ言うと、僕の脇をすり抜け廊下に駆けて行ってしまった……。

 自ずとクラスメイトの視線は、残された僕に一斉に注がれる。

 その視線が痛くて、僕も教室を飛び出した。


 脇目も振らず、トイレに逃げ込んだ。

 完全に、やらかした。

 新垣さんを泣かせてしまった……。


 始業のチャイムとともに、僕は静かに後方のドアから教室に戻った。

 すでに、新垣さんも教室に戻っていた。

 席に着くと、一部の女子から殺人光線のような視線を感じ、戦慄した。

 

 ――もうダメだ。帰る。早退しよう。


 僕は一限が終わると職員室に直行し、気分が悪いので早退しますと担任に告げると、文字通り、逃げるように家に帰った。

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