第1章 僕は、空気になりたい。6

 学校の最寄り駅から学校までは、緩やかな坂道が続く。

 僕はその坂道を、始業前ながら、ため息まじりに歩いていた。

 あの後、チャックさんの手前、実況が聞こえないを続け、着替えと朝食をなんとか済ませると、急いで家を出た。行くこと自体迷ったのだけど、結局、学校には行くことにした。これ以上、チャックさんに心配をかけたくなかったし、実況の声がひっきりなしに鳴り響くなか、チャックさんの前で冷静でいられるとも思えなかったからだ。玄関を出る時のチャックさんの心配そうな表情が忘れられない……。

 そして当然のように、電車の中でも伊達さんの実況は止まらなかった。


『――おっと、乙幡が電車に乗り込んだぞ!通勤快速であります。乗車率はおよそ200%を超え、車内の気温は上がりっぱなし! すでに乙幡の額には、汗が滴っております! おっと、乙幡の腕に触れてしまったJKがいかにも不快そうな顔だぞ。どうやら、乙幡のほとばしる肉汁を不運にもこのJKは触ってしまったようであります‼』


 実況がなければ気づかなかったかもしれない切ない事実まで知らされた……。

 試しにヘッドホンをし音量を最大にもしてみた。が、実況の声はそれでも消えなかった。むしろ、その音楽のイントロに合わせ、演歌の口上めいた実況を伊達さんが仕掛けてくるものだから、慌ててヘッドホンを外したくらいだ。


 ようやく校舎に入り教室にたどり着く頃には、すでにどっと疲れていた。

 当然、伊達さんの実況は止まらず、むしろそのテンションが上がる一方だった。


『昭和生まれの私には懐かし過ぎる学び舎であります! こちらの教室のプレートには1年B組と書いてあるぞ? 果たして、乙幡剛の所属するクラスは、この1年B組なのでありましょうか⁉』


 そんな実況を聞くと、なんだか素直に教室にも入りづらい……。


『おっと、乙幡が教室に入るのを躊躇しているぞ! 心の声が漏れているぞ!』


 どういうわけか、僕が声に出したことだけでなく、心に思ったことまで伊達さんに筒抜けだった。どうやら、心の内に発したモノローグでさえ、伊達さんの実況のネタとされてしまうというのようだ……。


『まさに、その通りであります! ハートで語る解説の乙幡さん!』


「ハートで語る解説ってなんだよ……」

 思わず、素の声でツッコミを入れてしまった。


『……プッ』


 一瞬、伊達さんが吹く声が聞こえた気がした。

「あっ、今、笑いました?」


『わ、笑うわけないのであります! 実況者が実況中に笑うなど、言語道断であります‼』


 いやいや、絶対笑ってたでしょ?

 しかし、伊達さんの実況も相当アレだけど……教室の中にいるはずの新垣さんと顔を合わせるのも考えてみれば、ものすごく気まずかった。記憶が定かじゃないけど、昨日はきっとものすごく迷惑をかけたはず。

 いっそ、このまま保健室に直行しちゃおうかな……?

 僕がそう逡巡していると、向こう側から逆に扉が開いた。


「――えっ、乙幡くん?」

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