Bonus track 5ー③ あなたが好きな私と、私が好きなあなた

 時刻は12月25日、午後六時。五分前。


 辺りはすでに暗く、街灯の中を人が、所狭しと白い息を吐きながら歩いてる。


 私は車の中でコートを着たまま、ギターを胸に抱えて、じっとその時を待っていた。


 音楽機材の運搬は他のメンバーがしてくれているから、私は準備が整うのをただじっと待つだけの、そんな時間。


 むつみとみきのバカップル二人は人の集まりを見てくると言って、先に外に出てしまっている。


 だから、車の中に残っているのは、私と店長とバイトの先輩の柿畑さんだけだった。


 「大丈夫か?」


 膝を抱えて黙っていると、店長が運転席から軽く笑いながら声を掛けてくる。気楽に笑っているけれど、心配してくれてるんだろう。そういうのが分かりやすい人だった、だから人に好かれる。


 「いや、ダメっすね。がっちがちです」


 「おうおう、そいつは大変だな」


 私が細い声でそう返すと、店長は軽く笑って、それに合わせて先輩もけらけら笑う。


 「大勢の人前に出るの、初めてだったか」


 「うん、ゆかさんとか、知ってる人とか、そう言う人の前ではちゃんと弾けるけど。全く知らない人の前で、弾くのは、初めてかな」


 だからかな、緊張で胃が縮む。胃液がぐるぐると意味もないのに溜まっているような違和感がある。呼吸は浅くて、頭の奥が熱くなってる。


 怖い、な。人は来るのか、来たとして、うまくできるのか、どう思われるのか、否定されないか、心配で、不安で、怖くて、たまらない。


 「なのに、やりたかったわけだ」


 そうやっていると、バイトの先輩の柿畑さんがひょいと助手席から顔を出して、穏やかな表情でじっと私を見た。それにどうにか、力のない笑みで返事をする。


 「はい」


 そう、これは私が言い出したこと、ネットライブをしようって言ったゆかさんを押し切って、私が始めたこと。


 「そういや、理由聞いてなかった。なんでだ? 監督の言ってたみたいにネットライブの方がやりやすかったろ?」


 柿畑さんの疑問に。うーん、と思わず唸る。理由はなんとなく、だけれど、確かに上手く言語化したことはなかった。なんでだろ。


 ……いや、言語化してこなかったのは、そんな分かりにくい理由じゃないからだね。むしろ、シンプル。


 「これから先、続けていくのはネットライブでいいと思う。でも、スタートはあそこがいい。私とゆかさんが出会ったあそこがいい」


 ただ、そんだけです、と言葉を紡いだ。威勢のいいこと言った割に、吐き出した息が震えているし、喉の奥は痛いまんま。


 溢れた感情が、不安が、形を求めて涙腺を震わせようとしてる。


 怖い。怖いなあ。


 「そっか、ならいいんっすかね」


 「ま、いいんじゃないか? 周りが思ってるより区切りってのは想ったより大事なもんだ、そいつにしかわからない、何かがある」


 震える私の声を知ってか知らずか、前の席二人はそう言ったあと、こっちを振り返らなかった。


 優しいねえ、みんな。だから手伝ってくれるのか。


 だめだ、少し、落ち着こう。


 そう想って、長く、永く、息を吐く。


 緊張してる。


 それでいい。


 怖いな。


 それでいいよ。


 不安だな。


 それでいいんだ。


 それが、今の私だから。


 これから歌う、私なのだから。


 ぎゅっとギターを抱く腕に力を込めた。


 私自身を抱くみたいに、抱きしめた。




 その時だった。




 ピロリンという音が全員のスマホから鳴る。


 内容は『準備オッケー! 演奏班出ていいよ!』


 そんな、ゆかさんからの全体メッセージ。




 深く息を吸う。




 永く息を吐く。




 「うし!」


 「行くか!」


 「おう、行ってこい。二人とも帰ったら明日は休んでよし!」


 「「あいあいさー!」」


 店長の声に応えて、私と、柿畑さんは二人そろって、車から飛び出る。


 柿畑さんは大きめのサングラスを、私はネコのお面を顔につけて。人相を分からなくする。


 そんな異様な二人のまま、ギターを背負って、小走りで、人ごみを抜けて橋の下まで駆け下りる。


 白い息を切らしながら。


 いつか見慣れた橋の下を見かけて。


 ふと、想う。


 ーーーそっか、一年が経ったんだ。


 あなたに好きと告げて、断られて、やけ酒して、それでもまだそばにいて。


 そんな日から、一年、経ったんだ。


 なんだか、随分、遠くまで来た。


 あの頃の私には思いもよらぬほど、遠くまで、地続きの道を歩いてきた。


 それが、なんでか、ちょっとだけ、笑えた。


 走る勢いのまま、橋の下を柿畑さんと覗いた。


 思わず二人で声を上げた。




 「わお!」「まじか!?」





 人。








 人、人。








 人、人、人、人、人。







 人、人、人、人、人。人、人、人、人、人。人、人、人、人、人。人、人、人、人、人。人、人、人、人、人。人、人、人、人、人。人、人、人、人、人。人、人、人、人、人。人、人、人、人、人。人、人、人、人、人。人、人、人、人、人。人、人、人、人、人。人、人、人、人、人。



 橋の下を埋め尽くさんばかりの人。


 30? 50? もっといるか、100とかいたり、するのかな。


 いやあ、まじか、ちょっと、これは予想外なんだけど。


 思わず一瞬停止しかけたところを、後ろからばんと背中を叩かれた。


 振り向くと、いつの間にか近づいてきたバカップル二人がすぐそばまで来ていた。二人とも、身バレ防止のため、むつみは狐のお面をつけて、みきは2026の形になったサングラスをつけている。いや、練習の時も思ったけど、みきはどこで見つけてきたの、そんなの。


 「やばくない? 人多すぎ」「ほんとやっばい!! 語彙力なくなる!!」


 言葉の通り、二人ともなんかテンション高くなってる。お面で顔見えてないけど、テンション上がりすぎて、むつみキャラ壊れてるし。ちょっと男声でてんよ、とは言わないけど。


 まあ、対する私も似たような感じだからね。


 「だよね、やばい!」


 我ながら、なんか、おかしくなってんなあ。頭の奥に浮かぶ熱を感じながら、四人で橋の下まで駆け下りる。変な奴らが来た、と人ごみがちょっと避けてくれたので、そのまま、運搬のみんなが設営してくれていた楽器の前に滑り込んだ。




 ざわっと人の波と声が揺れる。


 


 さあ、お待ちかね、これが『マイカ』の正真正銘初ライブだ。


 気合を入れて、顔を上げた。




 人がいる。




 スマホを構えている人たちが何人かいる。ざわざわと近くの人たちと話す人がいる。こっちを見ている人がいる。


 いろんな、いろんな、いろんな人がいる。男も、女も、比較的みんな年は若いけど、そうでもない人もたくさんいる。


 対面して改めてわかる。


 これだけの人が、私を見てる。


 私を見に来たんだ。


 指が震える、たくさんの感情が心を、身体を駆け巡っていく。


 それはまるで、熱いような、冷たいような、緊張しているような、リラックスしているような。


 未知の感覚が身体をじわじわと埋め尽くしていくみたいな。


 今まで、きっとどの瞬間にも味わったことのない、感覚。


 ざわざわと響く人の声、絶えず動き回る人の流れ、交錯するような人の想い。


 たくさんのそれが、今、私に、私達に向けられている。


 私達だけに向けられてる。


 



 あ、ギター持たなきゃ。


 



 ぼーっとしてた。


 放心していた意識を引き戻して、背中に下げていたギターを持つ。プラグを差して、ポケットからピックを取り出す。


 その動作のいちいちに、微妙な震えを感じる。


 ていうかこれ、私以外は大丈夫なのかな。


 ちらりと、後ろを見ると各々が準備を終えて私を見ていた。


 機材、精神共に完全に準備完了。……っていうかんじでもないな。


 むつみは、ちょっと緊張気味。自分を落ち着けようと、少し息を整えている。


 みきは、大丈夫そう。いつもの余裕がある……いや、それでもちょっと落ち着きがないか。無自覚な分だけ、むつみより多少危うい。


 柿畑さんは、一番落ち着いてるけど、だからこそしきりに私らの様子を気にしている。大丈夫かなって、心配してくれている。


 誰もが興奮してる。私達演奏者も観客も。


 誰もが緊張してる。私達演奏者みんな手伝ってくれた人も。


 なにせ、初めてのことだから。


 だって、これが私たちのスタートなのだから。


 緊張して当然だった。


 「いけそう?」


 私がそう問うと、ちょっと落ち着きのなかったメンバーが私に視線を戻して、それぞれにっと、ちょと無理して笑った。


 うん、大丈夫そう、かな? 私がしっかりしてる限りは。


 つまり、私がとちったら、後ろも崩れるかもってことなんだけど。


 ふーっと息を吐いた。なんだそれ。重いなあ、ちくしょう。


 自覚すると、指が震える。歯もかたかたと音を立て始める。


 寒さのせい、じゃないよね、これ。


 でもまあ、指が震えるのも、いい加減、慣れたもんなんだよね。


 怖いのは変わらないけれど、自分が怖がることは散々、味わいつくしたんだから。


 そう自分に言い聞かせて、ピックを持つ自分の指を撫でた。


 大丈夫、私はいける。


 絶対、絶対、成功させるのだ。そう思いっきり息を吸って。


 前を向いた。












 ゆかさんがいた。










 え?



 溢れんばかりの笑顔のあなたがいた。





 手にはいくつかのペットボトル。





 なんで?






 そう思うのも、つかの間。






 「まいーーーーカ、はいどうぞ」





 「え?」


 




 わざとまいと区切られた声。意図が分からず、思わず上がった私の声も気にしないまま、あなたは笑顔ですっとペットボトルを差しだした。


 水のボトル、何時か貰ったのと同じ。いろはす。


 受け取ると、温めてあったのか、ちょっと温もりがあった。


 なぜ? どうして? わからない私にあなたは笑みを向けたまま。


 それからあなたは、私の頭を何度か撫でた。


 わけがわからない、わからないけれど、安心する。


 人が見てる、とか。なんでこんな時に、とか。予定にないよ、とか。


 浮かんだ言葉は、想いは、不安は、緊張は、恐怖は。


 全部あなたの手に優しく解かれて、溶かされる。


 優しい手が私の髪の間をすり抜けていく。


 皮膚をなぞって、頬をなでて、耳をさすっていく。


 私はちょっと驚いて、でも、そのまま甘んじて撫でられた。


 それだけ。


 たった、それだけ。


 でも、たったそれだけで、その優しさだけで、私は救われるから。


 逸っていた息がペースを取り戻す。


 唸っていた心臓が、落ち着いた脈を取り戻す。


 縮こまっていた胃が、強張りを解く。


 巡らなかった血が、確かに手足の先まで流れていく。


 そうやって、焦っていた心が落ち着きを取り戻していく。


 その様を見て、私が落ち着いたことを察したのか。満足したゆかさんは今度はうしろに回ると、むつみに同じように水を渡して撫でていった。


 後の二人にも同じように。


 むつみはどこか恥ずかしがりながら、みきと柿畑さんはむしろ、積極的に撫でられに行っている。


 それから、演奏役の私たちに軽く手を振って、あなたは再び人ごみの中に消えていった。


 思わず、笑う。本当に天使かよ。あの人。


 いやほんと、私、ゆかさん好きだな。


 笑いながら、水を開けて、少しぬるめのそれを胃に流し込んだ。


 緊張を胃に流す。


 涙に震える喉を水で流す。


 たったそれだけで、心は驚くほど軽くなる。


 三人を振り返って笑うと、それぞれが楽器を鳴らして、応えてくれる。今度の笑みに無理はなく、自然と楽しんで全員が楽器を持っている。


 私もそれに笑い返して、前を向いた。


 人が見てる。


 たくさんの人が見てる。


 この人たちがどう思うかはわからない。


 届かない人もいるかもしれない。


 不満に思う人もいるかもしれない。


 酷いことを言う人もいるかもしれない。


 でも、それでいい。


 だって、どこかに届く人がいるから。


 きっと楽しんでくれる人がいるから。


 独りじゃないと感じてくれる人が、きっとどこかにいるのだから。


 だから、それでいいんだ。


 このなかのどこかにあなたゆかさんがいるのだから。


 私は、それでいいんだよ。





 ピックを掲げて、ギターを鳴らした。





 観客が声を上げる。





 さあ、開演の合図だ。






 クリスマスの小さな橋の下。たくさんの人が、歓声を、嬌声を、歓喜の声をあげていく。





 「最初の歌は?」





 むつみが、既に決まっている題目を、あえて大声で確認する。





 それが、私たちなりの合図だ。





 「『震えた指』で」





 私は応えると同時にギターをかき鳴らした。





 歌え。





 謡え。





 唄え。





 高らかに。





 声の限り。





 震えていい。




 

 怖くていい。





 不安でいい。





 それでも私たちは歌っているのだから。





 それでも私たちはここにいるのだから。





 それでも私たちは前を向くのだから。





 だから、歌え。





 だから、響け。響け、響いていけ、声の限り。





 どこかのあなたに。





 どこかで独り、膝を抱えたあなたに。





 いつかの私に。





 独りじゃないよと、届くように。





 そう、今から私は、どこかの私に歌を歌うんだ。





 愛するあなたへ、歌を、歌っているんだよ。

























 ※








 高らかに声がする。



 あなたの歌う声がする。



 あらんかぎりの音を乗せて、あらんかぎりの声を乗せて、あらんかぎりの想いを乗せて。



 今、ここで歌ってる。



 観客たちの反応をおおむね、予想通り、というか予想以上。湧き上がる歓声は、どの想像よりも高く大きく冬の寒空の下、響いてる。



 ここにいる誰もがまいを知っている。そして知らない人も立ち止まって、あなたを今、見つけてるんだね。



 たくさんの人に囲まれたあなたが、沢山のひとに助けられたあなたが、今、きっとどこかに羽ばたいてる。あなたの声が、あなたの歌が、きっと空気を、場所を、心を、想いを、今、揺らしてる。



 いつかの公園のライブで感じたのと同じ感覚がじっと身体の奥から湧き起こる。



 あなたは確かに、ここまで来たんだね。



 橋の下で震えたあなたが、今、確かに、ここまで歩いてきたんだね。



 ねえ、まい、やっぱりすごいよ。まいはね、すごいんだよ。



 こんな感動を、あなたは後、何度、私に見せてくれるのだろうか。



 まいの道は、昔のまいを知らない人から見れば、きっと華やかで。



 それは端から見れば、とんとん拍子に進んだ道に見えるのかな。



 でもあの子にとってそれは階段を、自分で一つずつ積み上げるみたいな、小さな積み重ねの結果でしかないんだ。



 まいが歩いてきた地続きの道が今、確かに彼女をここまで連れてきて。



 そして、私も一緒にここまで歩いてきたんだね。



 そして、これが、また新たな始まりなんだ。



 この始まりから、積み重ねて、積み重ねて、次はどこまで行けるかな。



 今度は、どんな景色をあなたとみられるのかな。



 楽しみだよ、今から本当に、楽しみだよ、まい。



 私は人ごみを抜けて、橋の上のよく見える位置で、一人、あなたの、あなたたちの歌を聞く。


 

 『震えた指』


 『夢ガタリ』


 『止め処ない』


 『迂遠な自殺』


 『甘い夢』


 『恋ガタリ』


 『それでもサイクル』


 『三月の焦燥』


 『届けない』


 『私的な暴動』


 『あいのこころ』


 『すれ違いのアカとシロ』


 『春に悩んで、夏につまづいて、秋に考えて、冬に紡ぐ』


 『応援性欲ラプソディ』


 『好きな私と、好きなあなた』






 渾身のフルメドレー、演奏者たちは汗だくで、それに導かれるみたいに曲が終わるたび、観客たちは大きな歓声を響かせる。





 終わりの見えない高潮、この声はどこまで高く上がっていくのだろうか。





 最後の曲は。





 『震えた指』のリメイク版。


 観客の声は待ってましたとばかりに、大きくうねる様に上がっていく。


 これが最後なのだと、誰もが知っているから。


 たくさんの人たちと一緒に、その演奏に耳を澄ませる。


 『震えた指』はリメイクされてから昼馬さんの声が、コーラスで入るようになった。


 昼馬さんの本来の低い声とまいの高い声が合わさって、とても素敵な仕上がりになっている。


 私はあの、なんていうんだろう、沢山の声が重なって、一つの声になるあの感覚が好きだった。


 だから、なんとなく、それとなく歌を口ずさむ。橋の上で、一人、あなたたちの声を聴きながら。


 気持ちは一緒に歌ってる。


 私も一緒にここまで歩いてきたのだから。


 だからちょっとくらい、歌っても、いいよね?


 そう想って、一人、橋の上で口ずさむ。


 そうしていると。



 まいが少し、こっちを見た。



 ネコのお面越しに、少し目が合った。気がした。


 ーーーまさかね。


 そう想っていると、なんとはなしにまいがすっと手を横に伸ばした。


 それに合わせて、バンドメンバーの楽器の音が少し小さくなる。



 え? どうして。



 疑問もつかの間。


 

 



 私の声。


 まいの声。


 昼馬さんの声。


 でも、それだけじゃ、なくて。





 





 





 





 





 ここに集った、100人ほどの人間の、ささやかな口ずさむ声が、する。




 一つ、一つはとても細やかだけれど、集えばそれは確かな声で。




 折り重なった声は不思議と一つの、一人の声みたいになって。




 確かに、響いてる。どこかに届けと。




 まいはマイクを外すと、小さくみんなと一緒に歌い出した。




 昼馬さんも、宵川さんも、柿畑さんも。




 私も一緒に歌い出す。




 なんでだろう。




 涙が出てくるんだ。




 なんでだろう。




 よかったよ、って想うんだ。




 遠くて見えないけど、お面の端で、きっとあなたも泣いてるのかな。




 そうだといいなって、想った。




 暖かい涙が止め処なく、あふれてくる。




 もう、何度泣いているんだか。




 でも、わかった。




 ああ、そっかって。




 気づいたんだ。




 今更だけどさ。




 私達は、ずっと。




 ずっと。ずっと。




 




 私達と同じように感じてる誰かが、きっとどこかにいたんだね。




 きっと、まいが橋の下で歌い始めたあの日から、ずっと、ずっと。




 どこか遠い空の下、この人たちは確かにいたんだね。



 

 それがこうして出会うことができて、わかったんだね。




 独りじゃないって、わかったんだね。




 区切りがついた瞬間に、まいが思いっきりギターを鳴らした。




 バンドメンバーも息を吹き返したみたいに、音を響かせる。




 観客たちの声が最高潮に跳ね上がる。




 さあ、クライマックスだよ。




 あなたの声が響いてる。




 誰かの声が響いてる。




 数えきれないほどの声の大合唱。




 漏れる涙も。



 

 震えた指も。




 掠れた喉も。




 みんなで、一緒に抱えて歌ってる。




 独りじゃないって、歌ってる。




 ずっと、ずっと、歌ってる。











 ※











 歌いーーーーーきった。




 声が聞こえる。




 誰かの声。口笛。歓声、嬌声、熱狂。音、音、音。




 12月のクリスマス、吐き出す息は白いのに、身体には熱気が指先の一つにまで、巡ってる。




 音が響く。声が響く。どこかの誰かが喜ぶみたいな。どこかの誰かが、嬉し泣きするみたいな。




 そんな声が、響いてる。




 息を抜くと、身体がふらっと後ろに揺れた。




 思わず尻餅をつきかけたところを後ろから支えられる。




 振り向くと、むつみが腰に手を添えて優しく笑ってた。




 ありがとう、って声を出し掛けて、喉が震えないことに気が付く。




 さすがにちょっと無理があったかな。もともと半分くらいの予定だったのに、アドリブでフルメドレーになんかしちゃったから。




 正直、後半、観客が口ずさみ始めたとき、喉が限界だったから、ちょっと助かってたりした。




 なんてね。




 笑い返すと、隣でみきと柿畑さんが観客に対して、ありがとーーー!!! って叫んでた。




 むつみも結構、限界なのかな。声はあんまり出してない。




 喉が余ってる二人の声に、観客たちも大きな歓声を返している。




 はは、終わったん、だね。




 やりきったん、だね。




 息を吐くと、熱を帯びているのに全身から力が抜けそうになる。




 ああ、ああ、ああ。




 でも。





 





 私がぐっと力を込めて、ピックを上に放り投げた。









 「






 


 ゆかさんの声。






 それが合図だ。




 私と、むつみと、みきと、柿畑さんが。



 



 楽器はおきっぱ、あとで運搬班が回収してくれるし。



 震える膝をどうにか奮い立たせて、人ごみを抜けて、走り出す。


 

 人を避けて、勢いのまま、こけそうになりながら、走り抜ける。



 途中で、カメラを担当してくれたみはるさんとすれ違いざまに、ハイタッチ。



 橋から上がる階段の人を、あきのさんが手際よく、のけてくれる。すれ違いざまに、お疲れって声をかけられた。



 そのまま、観客が何か起こっているのか分からない間に、駆け抜ける。



 ごめんね、なにぶん、身バレはしないことにしてるので。



 誰にも正体は知られぬまま。唖然とした観客を置き去りにして。



 そして、橋の上を駆け抜けて、愛しいあなたの腕を取る。



 「逃げるよ!! マイカ!!」



 あなたは濡れた笑顔で、待っていたとばかりに、私の手を取って、二人そろって走り出す。



 クリスマスの街を二人、橋の上を、笑いながら、泣きながら駆け抜ける。



 冷たい風が通り抜けるけど、私の熱は解けないまんま。



 冷たいあなたの腕に必死に熱を送るため、ぎゅっと握りしめた。



 そのまま、二人して突き当りの所で、車を停めて待っていた由芽さんの車に飛び込んだ。



 「出しますよ!? お二人さん!?」



 「お願い!!」



 ゆかさんの言葉に合わせて、由芽さんは酷く楽しげに。エンジンを吹かせた。



 なんか、映画みたいだと思わず笑ってしまう。それもつかの間、急発進する車に驚きながら、慌てて扉を閉めた。



 ちらっと振り返るけれど、誰かに追われたりなんてことはなさそうだ。



 外の景色が後ろに去っていく。



 さっきまであった音が急になくなって、しんと静かになった。



 車のエンジン音が響くだけ、そんな中で、私はようやく息をついた。



 他のメンバーは店長が拾ってくれてるし、機材はあきのさんをはじめ、運搬班が回収してくれる。ついでに今日の動画はみはるさんが撮ってくれているし、それをまた後日アップするそうだ。



 まあ、今はそんなこと気にするほど余裕はない、息を吐くと色々と何かが漏れ出るみたいに永く永く止まらなかった。



 それに合わせて全身から、力が抜けていく。



 終わったんだ。



 終わったんだね。



 実感すると同時に深く、重い眠気がぼんやりと視界を覆ってきた。



 さっきまでの興奮が嘘みたい、バッテリーの切れた機械みたいに、身体のパーツ一つ一つから力が抜けていく。



 「まい、ねむい?」



 ゆかさんが私の頭を撫でながら、そう尋ねた。



 声は出ないから、ゆっくり頷いた。すると、頭をそっと胸で受け止められて、抱きしめられる。



 「うん、寝てていいよ」



 そういうあなたの言葉に促されるまま。



 瞼はゆっくり下がってく。



 同時に、意識はすっと夜の底まで、落ちていく。



 声は出ない、掠れるほどにしか響かない。



 意識も届かない。紡ぎきるには、もう足りない。



 でも、それでも。



 ありがとう。



 って呟いて。



 私はゆっくり眼を閉じた。



 あなたに抱かれて、眼を、閉じた。












 ※








 



 ライブが終わった。



 メッセージを確認して、他のメンバーも滞りなく解散したことを確認する。



 イレギュラーは実は一杯あった。



 スピーカーが最初上手く動かなかったり。人が多すぎて、カメラの位置が想定してた所で撮れなかったり。まいが勝手に、フルメドレーにしちゃったり、あれほんと焦った。それに、ついてくバンドメンバーも凄いけどね。長時間、橋の下を封鎖したみたいな感じになったから、ちょっと警察に注意されたり。私とあきのさんで必死に、もうちょっとですからって頭を下げて待ってもらった。あとは由芽さんが到着できる場所が、予定と違ったり。



 ほんっと、色々あった。



 思わず息を吐きながら、由芽さんに送り届けられて、私達はアパートに帰り着いた。



 打ち上げはまた後日だから、今日はこれでおしまい。まあ、何かあっても、まいがこの調子だから、何もできなかったかな。



 由芽さんと二人でまいを部屋まで上げた。ちょっと疲れ気味になりながら、なんとかやりきって。由芽さんはお疲れ様でしたって笑って、帰っていった。いやあ、ほんと由芽さんはじめ、手伝ってくれたみんな様様だった。



 由芽さんが扉を閉めて、二人になった部屋の玄関でまいの頬をぺしぺし叩く。玄関はまだ寒いから、私の部屋まで連れて行かないと。



 「まいーーー、帰ったよーーーー」



 数秒そうしていると、まいがむずがるように身体を起こす。



 「ーーーーここ」



 「私たちのアパート。帰ってきたよ、おかえり」



 「ーーーぅん、ただいま」



 まだ少し掠れた声で、あなたは私の首に手を回すと、そのままぎゅっと抱きしめてきた。疲れたからかな、甘えんぼだ。



 私もぎゅっとあなたを抱きしめる。暖かい、細く長い指が私の首をなぞってくる。でも、あんまり力がこもってない。ふふ、ほんとにお疲れだね。



 そんないつもより、はるかに弱弱しいあなたが、ほんのちょっとだけ面白くて、思わず笑ってしまう。そんな私に、あなたは弱弱しい声のまま。



 「ゆかさんもーーー、おかえり」



 「うん、ただいま」



 そう、告げた。同時に帰ってきたのに、変なの。



 でも、そう、帰ってきたんだ。



 独りで暮らすには少し大きい2DK、朝日が眩しい東向きの部屋。駅から徒歩十分、主要都市まで電車で数分のベッドタウン。



 私たちの帰る場所に。



 ここが私たち二人の帰る場所。



 帰って、これたんだね。



 「頑張ったね、まい」



 「ーーーぅん」



 本当に、頑張った。そして、素敵だった。



 本当に何度、あなたは私にこんな感動をくれるのだろうか。



 そしてそれだけ頑張れば疲れちゃうよね。



 きっとたくさんの人の心を揺らして、きっとたくさんの人に前を向く力を渡してきたんだもんね。



 だから、今ちょっと疲れてるのも、そりゃそうだって感じだよね。



 「頑張った、頑張ったね」



 「ーーーぅん」



 小さく、呟くあなたはちょっと震えてて、泣いてるかな。小さな子どもみたい。私は笑って、その頭を抱き続けた。



 「ベッドまで歩ける?」



 「ぅん」



 無図がる子供みたいな、あなたとゆっくりと立ち上がる。私はその肩を抱いて、ゆっくりとベッドまで、まいを運んだ。ドア開けて、部屋のベッドまで行きつくと、まいはそのままごてっと倒れてしまった。私は思わずくすっと笑って、暖房をつける。当然だけど、12月の帰り着いたばかりの部屋は少し、いやかなり寒い。


 まいのコートだけ脱がして、布団をかけてあげる。私もコートを脱いで、二つそろえてハンガーにかけた。


 まいはその間、じっと目を閉じたまんまで、でも時々震えてるから、ちょっと寒そうだ。


 「ちょっと何か飲み物淹れてくるよ」


 そう言って、そっとあなたの隣を離れると、キッチンでお湯を沸かしてココアを淹れた。


 できるだけ、甘めにたっぷりと作る。


 自分の分も淹れて戻ってきてから、あなたにそっとココアを手渡した。熱すぎないようある程度加減はしたけど、大丈夫かな。


 「飲める?」


 「っ……うん」


 まいはどうにか身体を起こすと、ココアをゆっくり受け取った。暖房が効いてきて、部屋が少し暖かくなってくる。


 静かな夜に、二人でゆっくりココアを口に含む。


 あれだけの歓声が、音が嘘みたいな、静かな夜。


 しばらく黙って過ごしていると、まいの力ない瞳に少しだけ色が戻る。


 「ちょっと元気出た?」


 「ーーーん、はい。ちょっと出ました。ヘロヘロですけど」


 そう応えるまいの声は、確かに。いつもよりちょっと細くて、小さくて、可愛かった。


 「うん、ライブもうまくいったしね」


 「はいーーーー、もしかして一杯ご迷惑をおかけしました?」


 「うん。それはいっぱい。ーーーでも、楽しかったね」


 「ーーーはい、楽しかったです」


 力なく、でも懐かしむような、本当に楽しいひと時を思い出すような、そんな顔をまいがする。


 それを見ているだけで、私も嬉しくなる。その時をあなたと共有できたことが、あのライブの感動そのものが、私の中でもじんわりと広がっていく。


 ーーーただ、いつまでもそうしているわけにはいかないから。


 「ご飯にしよっか、疲れてるし、ごちそうは明日だけど。食べないと回復しないしね」


 「ーーーはい」


 笑うあなたに待っててと告げて、私は冷蔵庫から、昨日に準備しておいたサンドイッチとスープを取り出した。


 今日は疲れて、大したことできないだろなってあらかじめ準備してあったもの。


 スープを温め直して、サンドイッチを皿に並べて部屋まで持っていく。


 いつもの食卓とは違う、私の部屋の小さなテーブルにそれらを並べて二人で食べた。


 二人で、温かいスープと、小さなサンドイッチを少しずつ頬張る。時折、甘い甘い、ココアを添えて。


 その間、ちょっとだけ思い返す。


 今日のこと。


 それから、今までのこと。


 たくさんのことがあった。


 あったなあ。


 あなたと私が出会って、お互いを見つけた。


 独りぼっちだったお互いを見つけあった。


 それから二人で時を過ごした。


 だんだんと私を好きになったあなたは、私にそれを告げてさ。


 でも、私はそうじゃないって返したのが、一年前なんだよね。


 そう、たった一年前のことなんだ。


 でも、それが今じゃ。


 「ところで、まい、えっちする元気ある?」


 「ーーーー命を賭せば」


 「……そこまで覚悟決めなくていいんだけど」


 「でも、折角のゆかさんからのお誘いだし……」


 こんなことを言い合ってるわけで。


 ふふ、何が起こるかわからないもんだね。


 一人笑う私を、まいは不思議そうに眺めてた。


 そうやって、私達は食事を終えて、それから一緒にお風呂に入った。


 労いも込めて、まいの身体を隅々まで洗ってあげた。


 我慢していた分、ちょっとだけ耳をいじめたりもした。


 そのころにはまいもちょっと元気になっていて。


 服を着ようかと思ったけど、どうせ脱ぐからいっかってことで合意して。風邪を引かないように丁寧に身体と髪を乾かして。


 それから裸のままお風呂を出た。寒い寒いと二人で慌てながら、ベッド逃げ込んだ。


 それがなんだか面白くて、ベッドの中で二人で笑い合った。


 それから二人で抱き合った。


 口づけをして、数秒。


 「ねえ、まい。好きだよ?」


 「ふふ、私もです」


 小さな、小さな、夜の下。どこか小さな、部屋の中で。


 私達は小さく、小さく、口づけて。小さく小さく、お互いの気持ちを確かめる。


 そんな小さな、小さな幸せを嚙みしめながら。


 小さな、小さな、歯車を嚙み合わせていく。


 それが私たちの小さな生活、小さな幸せ。


 物語と呼ぶには大げさで、些細な些細な出来事だ。


 でも、これが私たちなのだから。


 だから、これでいいのだと。


 そう、確かめ合って。


 私たちは。


 小さく、小さく、触れあった。





 これは、あなたが好きな私と、私が好きなあなたの、そんなお話。





 ※




 今日の幸せポイント:112


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