Bonus track 5ー① あなたが好きな私と、私が好きなあなた
むくりと起き上がって、思わず震えた。
「さむっ……」
慌てて、ベッドの脇にあったエアコンのスイッチを入れる。そう言えば、昨日暖房のタイマーをつけずに寝てしまったんだ。
エアコンがようやく仕事かと言わんばかりに動き始めるのを確認してから、私はベッドにもぞもぞと潜り直した。
ベッドは暖かい、なぜなら布団がある。そして私の体温も残っているし、何よりゆかさんがいる。
湯たんぽ代わりにまだ眠る愛しい人の柔らかい身体を、ぎゅっと抱きしめる。
二人で寝るにはいささか狭いから、私の布団を片づけて、二人用のちょっと大きいベッドを買ったのが秋も終わりの頃。
冬になる前に買っておいてよかったと、しみじみと感じる今日のこの頃だ。
幸せポイントが100を超えてからはや四か月ほど、今は十二月。
「ゆかさん、朝だよー」
「ん……んー……むー」
ゆかさんはちょっとむずがりながら、開ききっていない目で私を見た。
そして、そのまま手を首に回して、私に顔を寄せてくる。
「はいはい、キスは歯磨きしてからって前決めたでしょ?」
「えー……」
まあ、この約束、作ったのゆかさんなんだけどね。起き抜けの口は結構汚いんだよ実は、みたいな雑学を披露したら、歯磨きしよ! ってなったのが一週間ほど前のこと。
当人が寝ぼけて忘れていては世話ないけど。
「むくれても、ダメ。ところで、今日が何の日か、覚えてる?」
折角なので、お寝ぼけさんにクイズを出してみる。ゆかさんは、しばらく不満げなまま私をじっと見ていたけど、なぜかさらにちょっとむくれた。
「私が忘れてると思ったのー?」
お、覚えてるみたい。寝ぼけてても、こういうのがしっかりしてるところはさすがだな。抜けてるところは抜けてるんだけどね。
「いえいえ、滅相もない」
「クリスマスでしょ? それで私の歌手さんののライブの日」
「さっすが、私のプロデューサーさん」
褒めてみたけどゆかさんはむくれるばかり、しばらく口を尖らせた後もぞもぞと布団の中で手を動かすとーーーーー。
「何してんのゆかさん」
「まいのお尻揉んでる」
なぜ。
「別にバカにしてないよ?」
「わかってる。でも揉んでたら、気持ちいいから」
私は妙な気恥ずかしさを抱えながら、臀部を撫でられることとなった。くすぐったいような、むずがゆい感覚に思わす背筋をくねらせてしまう。
「ほんとは耳いじめたいけど、ライブだしなあ……。集中できなかったらダメだし……」
「帰ったらね……」
私達はそんなやりとりを繰り広げながら、エアコンくんが部屋を暖めるの待っていたのであった。
そう、今日は12月のクリスマス。
準備に準備を重ねた、私の初ライブの日、だったりするんだ、これが。
※
いつも通り、二人でご飯を食べた。いつも通り、パンに、お肉に、野菜あれから私もすっかりお肉がついて、痩せすぎ体系から、痩せ気味体形くらいには相成ったわけだ、つまりけっこう健康体。反対にゆかさんは、むちむちしてきたと必死にダイエットに励んでいた。毎日一杯運動して、折角なので私も付き合っている。必死に頑張るあなたも素敵だけれど、ちょっと揉み心地のいいお胸も好きですよと告げたら。顔を真っ赤にしながらつねられた。
結局、今はほどほどな運動を二人で習慣にするくらいに落ち着いた。語弊なきように言っとくけど、本人が気にしてるだけで、十分魅力的なのだよゆかさん。どう考えても、太ってるってレベルではないでしょ。
それから、夕方までは自由時間。
ゆかさんはパソコンの前に座って、ツイッターの更新をしたり、サブスクのデータを管理したりしている。
一応、有料会員さんはいるらしい? 全然、数は少ないけど。マジかよ、って私が言ったら、ゆかさんもだよねえ、ってちょっと呆れてた。私にお金払ってくれる人、いたんだ。
ちなみに、今、私の音楽にPVをつける算段を立ててるんだって。以前、ゆかさんが出会った物語と絵の会社の人たちに協力してもらってるんだとか、代わりに私がむこうの題材に合う音楽を考えることが条件なのだけど。
貰った絵と、小説を見て、ぱっとイメージで曲作って返したら、大喜びしてくれたそうだ。
向こうにも歌い手さんがいて、その会社さんのアカウントで動画サイトにアップされている。
私が書いた曲を他人が歌っているのは、どことなくむずがゆかった。なんていうんだろ、私の心を別の人が歌うことで、全く別の誰かがそこに浮かびあがっているような感じだ。まあ、元の絵と小説の作者さんもいるから、ほんとにたくさんの人が携わってできた一つの作品なのだ。自分もその一端なのだと思うと、少し不思議な感じがした。ーーー初めてだからわからないけど、嬉しいと感じるのは、確かだと思う。
そんなこんなで、お昼ご飯は二人で食べて、お昼寝して、ちょっとイチャイチャして。
本読んで、ゴロゴロして。
夕方が来た。
荷物の最終確認だけして、二人で部屋を出る。
「いってきまーす」
「……誰もいないよ?」
「なんていうか、癖なんですよね。出発するための儀式みたいな」
私は結構、ゆかさんがいない時でも、こうやって無人の家に声をかけたりする。
そうしないと、これから外に出るぞって感覚がどうも身体にしっくりこないのだ。
二人で無人の家を振り返る。
独りで暮らすには少し大きい2DK、朝日が眩しい東向きの部屋。駅から徒歩十分、主要都市まで電車で数分のベッドタウン。
私とゆかさんが暮らす場所。私達の帰る場所。
「ふうん」
ゆかさんは顎に手を当てて、それから少し微笑むと私を見た。
そして、無人の家を振り返る。帰るべきところを振り返る。
「じゃ、私もいってきまーす」
そう言って、誰もいない部屋にひらひらと手を振った。
その姿がなんだか面白くて、思わずくすっと笑う。
「じゃ、いきましょっか」
「うん」
いってきます、はただいまとセットだ。
踏み出すことと、休むことはセットなのだ。
だから今日、始めるために。
だから今日、帰ってくるために。
私達は言葉をかけたんだ。
心臓がゆっくりと、少しずつ速く、音を響かせていく。
逸る気持ちを抑えるために、あなたの手をぎゅっと握った。
※
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