第28話 あなたと触れ合う―①
あの日、新曲を歌った日のまいは。
なんだか不思議な感じだった。
今まで見てきた表情の中の、どんな表情より、優しくて、穏やかで。
それでいて、音楽に没頭していた。
そして、何より。
私のことを見ていた。
集中が逸れてるわけじゃない。
自然に歌を歌いながら、私のことを見ていた。
歌っているのに、そうじゃないみたい。
歌詞じゃない、本当のまいの言葉を私に届けようとしてくれているみたい。
好きだよ
あなたが
たくさん変わっても
それでも、あなたが、好きだよ
歌詞じゃない、そのままの言葉だ。
私に、伝えるためだけの言葉だ。
どうしてだろ。
好きだなんて、いっつも言われてるのに。
どうして、こんなに耳に残るのだろう。
どうして、あなたの想いが響いているのだろう。
愛している、そう、最後に彼女は歌った。
隣に入れて幸せだと、そう、終わりにあなたは歌った。
どうしての理由はわからないけれど。
なんとなく。その言葉を理解してしまった。
ずっと聞いてたのに、今日、初めて理解できたような気がした。
ああ。
そっか。
言葉では理解していたのに、本当はわかっていなかった。
どこか曖昧なまま、心の端にしまい込んでいた。
それがどうして。
どうして、今になって理解できたのかな。
ーーー。
ーーーーーー。
ーーーーーーーーーきっと。
きっと、私がその言葉の意味を知らなかった。
本当に人を好きになったことも。
想ったことも。
誰かの隣に入れて幸せだったことも。
なかったから。
今まで、ずっと、なかったから。
だから、あなたの言葉を、どこか上辺だけ聞いていたんだ。
分かった気に、なってたんだ。
私はーー。
私はーーーーーー。
私はまいのことがーーーーーーーーー。
誰かが、テストをしている。
問題。あなたの気持ちを答えなさい。
私は空欄にペンを乗せたまま。
まだ解答は書けてない。
でも。
答え合わせの日はきっと。
すぐそこまで迫ってる。
※
……最近、まいの顔がまともに見れていない。
なぜ。なぜだろ。いや、理由は分かりきっている気がするけれど、うー……。まいの顔を見るたび、頭が熱くなる。
触れられるたび、ドキドキする。心臓が、呼吸がずっと落ち着かない。
ああ、もう。うん、もう
「朝田さん、どうしたんですか? 百面相の実演ですか?」
会社の昼休み、お弁当を広げていると、由芽さんが隣でぼーっとする私を横目に、そんなことを尋ねてきた。
「そんな酷い顔……してた? してるのかなあ」
「酷くはないですね。かわいらしさ成分強めでした」
「そう……」
「はい、恋する乙女って感じです」
「…………」
端から見てもそう見えますか……。
しかし、恋、恋かあ。
「恋……って、なに? 由芽さん」
「相手への燃えるような欲求と感動です。その相手のためなら、グッズ購入も課金も地獄の周回も問題ありません」
「……何の話?」
「推しの話ですね。この前、レベルマックスになりました」
本当になんの話だろう……。とりあえず、現実の人間でないことは確かだ。
「あ、現実の恋はしてませんよ」
「そうなんだ……由芽さん、可愛いから絶対彼氏いたことあると思った」
口にしてから、気付く。……これ、昔まいにいわれたことがあるセリフだな。
「いましたよ? ただ当時の私の推しを侮辱したので股間蹴り飛ばして別れました」
「わお……」
「やっぱ、長いこと一緒にいる人間ですからね。相手の価値観も尊重できないと。私もぱっと見の人の良さに騙されてはいけないと学びました」
「由芽さんは……強いね」
「弱いですよ、強くあろうとしてるだけです。ーーーー推しのために」
「そっか……」
エネルギー凄いな、本当。由芽さんはサンドイッチにかぶりつきながら、過去の彼氏を思い出したのかふんふん唸っている。
それから急に顔をこっちに向けると、じっと私を見た。
「と、いうわけで、まいちゃんとの進展はいかがですか。朝田さん」
思わず、う、と唸る。ちなみに、彼女の中では私がまいに片思いをしていて、それを上手く伝えられないことになっている。最初は冗談と笑っていたが、なんか最近、うまく否定できなくなっている気がする。
しかし、まいとの進展……?
「最近……うまく顔が見れなくて」
「ほう」
「触れられると嬉しいんだけど、ドキドキしすぎて、どうしたらいいかわかんなくなっちゃって。いっつも怒ってばっかりなんだよ……」
大人になるという目標を掲げてはや何か月か。むしろ逆行していることを感じる今日、この頃。
「うーん、まいちゃんはどんな感じなんですか?」
由芽さんはサンドイッチをもりもり頬張りながら、リスみたいな顔をして私に問うてくる。
「それがね?! 最近、まいすっごい余裕があるって言うか、私にいたずらしてきてもなんてことないよーって顔してくるの! もう、なんかそれが余計に私だけ動揺してるみたいで、ああ、もう!! ってなってる……」
その温度差というか、ギャップが辛い。あれ、気持ちが昂ってるのって私だけ? ってなって自信なくなってくる。
「ふむ……」
由芽さんはどことなく考え込むような姿勢になって唸る。ぶどうジュースのパックがストローで吸われて、ずごごと音を立てへこんだ。こんな豪快だったっけ? この子。
既存のイメージとのギャップに私が首を傾げていると、由芽さんは急にキッとこっちに視線を向けた。思わずたじろぐ。
「朝田さん……」
「な、なに?」
「劣勢で逆転する手は、一つしかありません!」
「え、え?」
由芽さんはびしっと私に指を向けると、だあんとぶどうジュースのパックを机に叩きつけた。ちょっとだけぶどうジュースの雫が跳んだ。幸い、服や書類にはかからなかったけど。
「攻めです! 守っていたってダメ! 自分からチャンスをつかみ取るのです!!」
「お、おお……具体的には……?」
なんかすごい、鬼気迫るものがある。なんだろ、説得力もすごい……かな?
「そのまんま返しです!! 自分がやられてドキドキしたことを相手にもするのです!! レッツスキンシップ!!」
「な、なるほど……?」
言われてみれば、そう、なような。そうでもないような、微妙に首を傾げながら。ふむむと唸った。
でも、でも私からスキンシップって具体的にどうすれば……。
うんうんと思わず唸る。でも、やるのやっぱり恥ずかしくない? というか、どういう理由をつけてすれば……。
そうやって私が真剣に唸るのを由芽さんは眺めながら。
「ーーーーってする方が、私が聞いてる分に面白いんですよね」
「ちょっと、由芽さん」
なんか、聞き捨てならないことを言っていた。大丈夫かな、これ。
「朝田さんって、時々、小学生みたいですよね。からかってて楽しいです」
「ちょっと、由芽さん」
これ、だめかもしれない。
※
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