第26話 女の子が好きなあなたと寝起きにホットケーキ

 まいの胸に背中を預けて、窓辺で風を感じる。


 ほんのり暖かく湿った感覚を背中に感じながら、あなたに体重を預ける。


 「ゆかさん、もう夏だね」


 「そうだね、まい」


 私とあなたが出会ってから、もう一年が経とうとしている。


 砂糖と牛乳を多めに入れた甘いアイスティーを喉に流しながら、想う。


 あなたと過ごした一年を、あなたと暮らした三か月を。


 その日の夜、まいにおやすみを言って自分の部屋に戻ったころ。


 私は日記帳を広げた。


 引きこもりを脱出するころに始めた日記。


 そこには私がなんとなく、自分の殻からはい出す記憶が細々と記載されている。


 ページをめくる。就活の記録。


 ページをめくる。卒論の記録。


 ページをめくる。就職してからの記録。こころへんから、どことなく記録がまばらになっていく。


 疲れて、日記をさぼる日が増えたからだろう。


 なのに、一年前のある日を境に、元の勢いを記が戻りだす。いや、ともすれば始めたときより鮮明に、その日の出来事をつづっていいる。


 まいと出会った頃。


 お金を渡したのに、1000円だけ返してもらったのが、一年前の私は恥ずかしかったらしい。


 初めて、買い物に行った日のことが書かれている。マイクを買い与えたのがお金を払いすぎたかな、引かれたかなって心配している。でも、歌の手助けになれば、と思ったらしい。


 新曲の応援の話がある。酷いコメントに憤っていたらしい。高評価に咽び泣いていたらしい。高い音響機材を頑張って調べた記載がある。


 ボーナスを使うのに少しのためらいがあったらしい。でも、最終的に使うことに決めていたみたいだ。今、このこと以上に大事なことなんて私にはない!! って力強く決意が書かれていた。


 記録をたどると、笑みがこぼれてきた。


 クリスマスの告白のことが書かれている。我ながら、タンパクだ。納得!! とか書いてる。一体、何を納得したんだっけ。


 それからのこと、まいの失恋の曲。傍にいることへの迷い。まいの就職先のこと。


 応援しなきゃ! って書かれてる。ビックリマークをつけてる割にペンに力がないぞ、ちょっと前の私。


 それから、ちょっとだけ、空白の日が続く。まいがいない日々のこと。


 まいが、うちに来た日のことが書かれていた。


 よかったなって、変な話だけど、よかったって、書いてあった。うん、確かにね。よかったね。


 嬉しかったんだね。きっと。


 ページをめくる。


 まいのスキンシップが激しいので、セクハラポイントをつけることにしたらしい。


 100になったら、今後について相談と伝えた。そう、そうだったね。


 カッコ書きで補足が書いてある。


 |(そのころには私の気持ちも変わっているのかな)


 どうかな、約束の100ポイントまでもうすぐなのだけど。


 まいのセクハラに、ポイントをつける日々が始まる。


 最初は1とか2だったのに、たまに3とか4とか貯まる日が見えるようになってくる。大体、多く貯まった日から、しばらくはまいも控えているみたいで、貯まらなくなる。でもしばらくしたら、また貯まる。はは、我慢が効いてないよ、まい。


 まいからのキスが記載されている。


 まいにハグを許容したことが記載されている。


 最近、判定甘い? とか記載されている。


 まいの新曲!! 記載されている。まじめにプロデュースしようとした記録が残っている。これは今でも、継続中。


 ある日、セクハラポイントと書いて、セクハラの部分を消した跡があった。


 とある雨の日のこと。


 それからは名前のないポイントが募っていく。想いが募っていく。


 ある日、私の誕生日。


 何度も消した末に、それは幸せポイントと形を変えて名前が記載されていた。


 100ポイントたまった時に、何が起きるか。


 まだ、決めていない。きっと、その時の私が決めてくれるから。


 今日の出来事を記載してから、ゆっくりと日記帳を閉じた。


 幸せポイント:89


 あと、11ポイント。


 小さな変化を積み重ねた日々が、一つの答えを出すまでに。

 

 あと、11ポイント。


 ゆっくり、ゆっくり、確かめるみたいに。


 日記帳をぱたんと閉じて、本棚の一番手前に置いた。


 この日記帳は一度も隠したことはない。


 ずっと、本棚の一番手前に置いてある。


 いつだってまいに見られてもいいようにしてある。


 私の本心にいつだって、あの子が気付けるようにしてある。


 でも、一度だって見られた形跡はない。彼女が私の心に無理矢理、手をかけたことはない。


 私は別にいつ知られてもいいのだけれど。


 でも開くなら私からがいいな、と今は想った。


 あなたにこの日記帳を見せてもいいと思える。そんなときには、その時には私から、見せたいな、なんて。


 息を吐いて、日記帳を閉じた。


 もう少し、もう少し。


 焦っちゃダメだよ。


 もう、少し。


 電気を消した。


 おやすみ、まい。


 隣の部屋ですでに寝息を立てるあなたに、声をかけた。


 答えは返ってこないけど、私は微笑んだまま目を閉じた。


 もう少し、もう少し。



 ※



 「ゆかさん、おはよー」


 こえがする。


 「おーい、起きてー、ホットケーキできましたよー?」


 「ーーーーー」


 まいの、こえ、かな。


 今日、何ようびだっけ。


 ‥‥。


 日ようびか。


 じゃあ、おやすみの日じゃん。


 もーちょっと、ねかせて?


 そうしゃべった。


 「できたてなので、今、食べて欲しいんですけどねー」


 んー……。


 じゃあ、もってきてー、こっちでたべる。


 「あーん、しましょうか?」


 ころころとまいがわらう。


 めがねがないから、ちょっとぼやけたせかいでまいがわらってる。


 へんなの、なんだろ、へんなの。


 ふふ。


 そうわらうと、まいは、わたしのあたまをなでた。


 さわさわ、さわさわ、きもちいい。


 なでられるってきもちいいね、なんでだろ。


 「ホットケーキお持ちしましたよ、寝ぼけお嬢さん」


 おさらとこうちゃをもったまいが、わたしのベッドのとなりに、座る。


 くちを開ける。甘いかおりがする。


 フォークがカチャカチャとなる。


 さんかくのホットケーキが私のまえにさしだされる。


 たべる。あまい。


 「ゆかさん、かわいい。ペットみたい」


 まいはやさしくわらう。そういわれるとなんだかうれしくなって。


 ちょうしになって、ぱくぱく食べる。


 食べる、食べる。まいものたのしくなってる。


 ちょっとのどがむっとしたから、くちびるをつきだしてさいそく。


 のみものがたりませんよー、かいぬしさーん。


 まいはちょっと迷った後、こうちゃをみた。アイスティーだけど、どうやってのましてくれるかな。


 コップをそのままさしだされたので、いやいやとくびをふる。


 そんなののみにくーい。


 だめだめ、もっとやさしくのましてくれないと。


 こう、あたまをだいてとか、やさしくかたむけてとか、きづかいがたりませんよー。ゆかさんはていちょーにあつかわないと。


 まいはしばらくまよったようにこっぷを私にむけたあと、ふーっといきをはくと、お皿をゆかにおいた。


 それから。


 ちょっとだけ。


 いじわるなえみ。


 んー?


 いまだべっどからでないわたしのよこにすわると、やさしくわたしのあたまをむねでだいた。


 なんだか、おっぱいをあげるおかあさんみたい。


 ふふ、そうそう、そういうかんじだよ。


 ふふふ。


 それから。


 わたしのあごをもちあげる。


 くいっと、むりやり、まいのほうをむかせられる。


 みあげるみたいに。まいのかおをみる。


 いじわるで、やさしくて、たのしげな、そんなえみ。


 なにかんがえてるんだろ。まだかなー。


 そんなことをかんがえていると。


 まいは。


 じぶんで。


 こうちゃを。


 のんじゃった。


 あれ、くれないの?


 いじわるってそういうこと?


 ことばにださず、むーむーうなってふまんをたらす。


 あかちゃんのみるくをかってにのむ、ははおやがあるかー。


 ぼーどーだ、ぼーどーだ。


 ぼいこっとだー。


 あいじょーをもっとよこせー。


 ゆかさんはまいにあまやかしの五パーセントあっぷをよーきゅーしつづけるぞー。


 ふたいてんのけついだー。てっていとーろんだー。


 あたまのなかで、わたしがたいりょうでもだ。おうちごとうめつくさんいきおいで、まいからのあいじょーきょーきゅーを、よーきゅーしている。こーちゃをかえせー。あまやかせー。


 わたしでもがさいこーちょーにたっし、いやいやきがばくはつしかけたとき。




 まいはニヤリと笑った。




 あれ。


 口を少し結んだまま、唇の端に紅茶を滲ませたまま。


 ゆっくりとコップを置く。


 優しく、意地悪に笑って、私の顎を上に向ける。もう片方の手が私の頭を抱きしめるように回される。


 この角度って。


 彼女を見上げるようにしていた私に、まいが上から覆いかぶさる。






 それから、


 唇を。


 合わせ。


 られた。


 柔らかい。


 彼女の唇が。


 私の脳の奥の方を溶かしていく。


 頭が熱くもえる。


 顔が赤くなる。


 眼が滲む。


 あれ、私、何を。


 冷たい。


 唇から冷たいのものが溢れてくる。


 まいの唇から、じわりじわりと。


 甘い、甘い。


 ミルクと砂糖たっぷりの、甘い。紅茶が。


 冷たい、冷たい紅茶が。


 ちょっとまいの口で温められたそれが。


 私の中に。


 じわりとじわりと流れこんでくる。


 味が、少し、いつもと違う。


 これは何の味?


 しょっぱいような、甘いような。


 まいの口から私の中に流れ込んでくる。


 まいの体液。よだれ? あなたの身体の一部?


 胸の奥がきゅうっと締め付けられる。


 思わず彼女の背中に回していた手をぎゅっと握りしめた。


 永い、とっても永い。


 じっくりと、流し込むみたいに。


 あなたの一部を、私の、身体の中に、確かに、刻み込むみたいに。


 息、止まっちゃう。


 まいの呼吸の音がする。


 そっか、鼻で息するんだっけ。


 ほんとにこれ、気にならない?


 変な匂いしちゃったりしない?


 でも、息止まっちゃうから、吸う。


 肺が安定する。


 あ、できる普通に。


 でも、それってつまり、いつまでだってこうして唇を触れ合わせ続けられるってことで。


 足が甘く、震える。


 手の先が、溶けるみたいに痺れる。


 恥ずかしくて、離れたくてもあなたが、頭をしっかり抱きとめているから離れられない。


 冷たい。


 冷たい感覚が。口の中を満たしていく。


 耐えきれず、喉を鳴らした。


 冷たいものが喉を通って、胃の奥まで、お腹の底まで入り込んでいく。


 火照った身体はその感覚がよくわかって。


 胃の底にアイスティーが触れたとき、思わず身体がビクンと跳ねる。


 震える。


 まいは目を閉じたまま。


 優しく、口をすぼめて、最後に舌先を、私の舌に。


 私、この、ままじゃ。


 私の口の、中にーーーーー。











 つん、と触れさせた。


 ーーーーーえ。


 そのまま、何をするでもなく。舌が抜かれて、唇が離れた。


 ーーーーーあれ。


 力が入らない。後頭部をまいに抱かれたまま、震えたまま。あなたは意地悪気に私を見下ろしてくる。


 ーーーー今、舌、絡められるかと。


 喉が自然と、口の中に残ったものを流すために、音を鳴らす。


 あ、いま、私、まいの唾液、飲んでーーーー。


 「お望み通り、紅茶はどうでした? お嬢さん」


 まいは笑みを深めたまま、ぼーっとする私の唇に指をあてると、おでこをぐりぐりと突き合わせてくる。


 うー、あれ、なんだろ。なんなんだろ、この気持ち。


 「いい加減、眼を覚まさないと襲っちゃいますよ? それとも期待してました?」


 「ーーーーーしてない……よ」


 「それは残念。じゃあ、お目覚めでしたら着替えてくださいねー。洗濯しますんで」


 そう言って、まいはお皿を片づけると部屋から出ていった。


 紅茶のコップはベッドのわきに置いたまま。


 ばたんと扉が絞められた。




 あれ? 私。もしかして、本当に、期待してーーーー?




 あれ?




 胸が、熱い。


 胃の底から喉にかけてまだ冷たい感触が残ってる。


 口の中に、私以外の味がする。


 指が、震える。


 足に、力が入らない。


 顔が、熱い。


 今、どんな顔してるの?


 鏡を見ようとしたけれど、うまく身体が動かない。


 なのに。


 なのに。


 なのに。


 なんで。


 こんなに


 ーーあれ?


 ーーーーーあれ?


 ーーーーーーーーーーーあれ?


 ベッドにポスっと身体を倒した。


 自分の唇に、指を触れさせた。


 それだけで、身体が弱く、でも暖かく震える。


 あーーーーーーーれ? やばくーーーない? 何か?


 舌、舐められてたらーーーどうなって、たの?


 しかも、私、それを、期待、してーーーーー。


 震えたまま、紅茶に手を伸ばした。


 コップを見ると、端に少し湿った跡がある。


 まいが、唇をつけた跡。


 じっと、それを見た。


 唇が震える。


 胸の奥が震える。


 おなかがきゅうきゅうと音を鳴らす。


 なのに、どうしてか、嫌じゃない。


 コップに唇を触れさせた。


 ちょうど、まいが触れさせた部分をなぞるみたいに。合わせるみたいに、私の唇を合わせる。


 震えが、痺れが、甘さが、心と、身体を満たしていく。


 ヤバくーーーない? これ。


 「ゆかさーん、まだー? 早めに洗濯したいんだけどーー」


 ドアの外から、声がして、慌てて唇をコップから離す。


 って、ちょっと! こぼれ!!   ーーーーーーーっぶなあ……。


 紅茶を零しかけた緊張で、ようやく正気に返る。


 自分の動揺からちょっと離れることができた。


 そう、今は、そうだよね。早く起きないと、着替えないと。


 服を急いで脱いでまとめる。これ、とりあえず、先に洗ってもらおう。


 「まい、とりあえず、これだけおねがーーー」


 声を出して、いつも通り、ドアを開けようとしてーーーー、気付く。


 下着姿。


 そりゃあ、同性だもの。


 別にみられたって、気にしない。まいは気にするかもしれないけれど、私はあんまりーーー気にしない。


 ーーーーーいや、でも。


 少し震える足を見る。あまり整っていない下着を見る。少しだらしない下着を見る。


 寝起きなんだから、そりゃ、そうなんだけどーーー。


 「ーーーーもう!」


 「ゆかさん? 開けていい?」


 「ちょっと待って!」


 でも、今は、ダメだ。私はとりあえず、急いで上下の服を着てドアを開けた。ちょっとちぐはぐだけど、下着姿よりはましだと思う。うん。


 ドアの前で待っていたまいは私が顔を出すと、笑顔で洗濯籠を差しだした。私はそこに溜まっていた洗濯物を入れていく。


 「えっとーーー、下着はーーー」


 「はいはい、存じていますよ。ちゃんと分けます」


 そう言ってまいは軽く笑うと、私の下着を軽くぽんぽんと叩いた。大丈夫とでも言うみたいに。


 「そうーーーー、じゃあーーーーー、お願い」


 「はい、お任せを」


 ドアを閉じた。いや、顔を洗ったり、歯を磨いたり、しないといけないのだけれど。


 何かがいたたまれなくなって、ドアを閉じた。


 あれ、まい、全然、気にしてない。


 前は私の下着だけで、ちょっと顔を赤くして、可愛かったのに。


 あれ?


 ーーーーあれ?


 私だけが、ドキドキしてる。


 あんな、キスしたのに。


 口移しなんてしたのに。


 私、あんなこと、初めてだったのに。


 私だけが、ドキドキしてるの?


 まいは、なんてこと、ないの?


 ドアにもたれかかって、唇に触れる。


 それだけで、身体の奥が震えてる。


 ありとあらゆることが、簡単に、想い、起こされる。


 あなたの、ことが。


 あれ、これじゃあ、まるで。





 






 その日は、うまく、まいの顔が、見れなかった。






 今日の幸せポイント:2(一部ネコポイントに変換。実質20)


 累計の幸せポイント:91




 今日のゆかさんのネコポイント:18


 累計のゆかさんのネコポイント:78(100貯まるとゆかさんがネコになる)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る