第25話 あなたと私

 私達は二人そろってお買い物に来ていた、とある休日の日のこと。


 電車を一駅乗り継いだ都市の中心部。電気店や衣料店が立ち並ぶ少し開けたビルの中。わたしが普段は入らないお洒落な服飾店にて。


 私はゆかさんの着せ替え人形にされていたのであった。


 「ゆかさーん、私、ユニクロでいいよ……」


 「ユニクロも悪くない、悪くないんだけど……、一着くらいこういうのがあってもいいと思うの……」


 そういえば、私の夏服があまりない。ゆかさんも、最近、新しい服を買ってない。


 じゃあ、買いに行こうってなったのが、昨日の夜のこと。そして今は土曜のお昼下がり、セミの音が鳴り始めるそんなころのことだった。


 ゆかさんは何着も服を見繕っては私に手渡して、試着室に突っ込んできた。おかげで、さっきから私は5着ほど服を着まわすことになっている。気分は独りファッションショー、モデルにやる気は微塵もないわけであるが。


 「むー……やっぱり、ボーイッシュなのが似合うなあ、まいは……いや、だからこそ、かっちりはまる可愛い系があれば輝くはず……」


 「はあ……」


 こんな調子で、ゆかさんは私の見栄え研究に余念がない。私があまり関心がないものに、なぜ私以上に関心があるのか……。大体いつもジーンズとTシャツとパーカーを着まわしている人間だから、ちょっとおしゃれな服を着るだけで、妙にむずがゆくなる。


 4着目の服に着替えた時点で、唐突にゆかさんが吐血した。


 いや、誇張表現だけれども。


 私がカーテンを開けて、ざっと全身を見回すと、思いっきりむせていた。なにごと……。


 おかしいとこでもあったかと改めて、自分の格好を見回す。少し眺めの丈のカーディガンとゆるめのシャツ、細身のズボン、被り慣れない帽子。なんというか、愛にできることはまだあるかいとでも歌い出しそうな格好だった。


 「まい……ちょっとイケメン過ぎるから……。え? 本当に女の子?」


 「素っ裸になって見せましょうか?」


 「……遠慮しとく。うう……しかし、かわいいまいにはほど遠い。いや、しかしこれも新しい発見か……」


 ゆかさんはそう呟くと、顔を赤くしながら悶々と唸っていた。今日は、なんというかマイワールドにはいってらっしゃるな。ありていに言うと、話が通じない。


 軽くため息をつくと、私はしゃっとカーテンをしめた。


 ゆかさんは、写真……とか言ってたけど、私は流したまま最後の服に着かかる。……ん、ちょっと私、今、苛立ってる?


 ……なんでだ? 別に苛立つ要素……なくない?


 自分の気持ちが腑に落ちないまま、最後の服に手をかける。……これは、まあ可愛い系なの、かなあ。


 少し、短めのワンピース、色は黒色。すごく、シンプルな服。ただ、肩が出てる。私、肩が出る服ほとんど着ないからなあ……。


 肩がすーすーする違和感を堪えながら、カーテンを開けた。


 ゆかさんは、固まってた。


 しばらく、沈黙。


 「ゆかさん?」


 「ーーーーー」


 「ゆかさん、無言でカメラ連射しないで、怖いから」


 「いや、ごめん、ちょっと動揺が……」


 そう言う割に、連射する音は止まらない。周りの人もちょっと引いてるよ、ゆかさん……。


 「はいはい、ファッションショー終了、ちゃっちゃと会計しましょ」


 「そだね、とりあえず全部買ってーーー」


 「一着でいいよ……」


 「ええ、ちょっと待って。一着? せめて三着にしない? 私選べない……」


 「ご自由に、どうぞ……」


 軽く、ため息をつく。


 ゆかさんのテンションに若干、ついていけてない自分がいる。周りの視線も気になるし。


 うーむ……。


 会計を終えたゆかさんが、私に腕を絡めてくる。暖かいものが身体に触れる。


 少し、引いてしまう自分がいる。


 あんた、求められるの苦手なんじゃない


 いつかのお姉さんの声がする。


 うん、そうみたい。


 なんだろ、自分から行くときは恥ずかしくないのにね。


 「まい、次はあの店見てみようよ」


 「はあい……」


 飲み込んだ言葉が胃の中で少しごろごろと音を立てていた。



 ※



 「いやあ、買ってしまったね……」


 「結局、六着も買ってるし……、私、こんなに着ませんよ?」


 「う……、ごめん……つい楽しくて」


 ゆかさんの衝動買いにより私の夏服が三倍くらいに膨れ上がった、今日この頃。


 私達は長い長い買い物の果てに、ようやく家に帰りついていた。ちなみに時刻はすでに五時ごろ。ちょっと落ち着いたら、夕食の準備をしないといけない。


 とりあえず、自分の部屋で服をたたみながら、私は汗ばんだ身体をクーラーで冷やす。


 外をしばらく出歩くだけで、もう汗ばむ季節になっている。ゆかさんに触れる時も、どことなくしっとりとした感覚をよく覚える。


 私はたたみ終えた服を置いて、ふうと息を漏らした。


 慣れない外出だから、さすがにちょっと疲れた、な。


 ゆかさんのわがままに付き合う日でもあったので、なおさらだった。そういえば、一緒に住む前は、買い物といえば、私が買いたいものを見て回ることが多かった。一緒に住みだしてからは、どちらかといえば、ゆかさんの買いたいものを見ている機会の方が多い……かな?


 違和感の理由は、そこらへんにあったりするのかな。いや、でもゆかさんだって買いたいもの買うでしょ。


 私が一息ついていると、ゆかさんが氷の入ったコップを二つ持って部屋に入ってきた。


 ちらっと見ると、片方にはアイスカフェオレが入っている。もう一つは少し色が違うからアイスティーかな、どっちがどっちかはわからんけど。


 「はい、どーぞ」


 「どうも」


 恐らく、カフェオレである方を私に渡して、ゆかさんはどこかちょっと躊躇い気味に、私の隣に座った。


 「まい……疲れた? ごめんね、今日は無理に連れまわしちゃって」


 「まあ、ちょっと疲れましたが。文句を言える立場でもないので大丈夫ですよー」


 そう軽く、自嘲気味に笑うとゆかさんはむっとする。あれ? なんかまずったかな。


 「ダメだよ、まい」


 「えーと……なにがですか?」


 ゆかさんはちょっと怒ったような、真剣な眼。そう言った仕草もかわいいのだけれど、言ってる場合ではなさそうだ。


 「疲れたら、ちゃんと疲れたって言うこと。怒ったら、ちゃんと怒ったって言うこと。言わないと、わかんないから」


 「え、あ、はい……?」


 ゆかさんは腕を組んで、私をびっと指さす。


 「まいって、結構、私から言われたらなんでもはいはいって受けるとこあるでしょ。もっとわがまま言っていいよ?


 私が暴走してるから、申し訳ないけれど。まいポイントつけてもいいよって言ったのは、もし私が暴走したらそれでちゃんと止めてねってことだからね? だから、ちゃんとまいの気持ちもいうこと。でないと、まいがしんどいから」


 「……はい」


 いや、でも私、さんざんわがまま聞いてもらってるしなあ。そうでなくても、よくしてもらってるし。


 思わず、たじろぐ形になっている私に、ゆかさんはふうと息を吐くと私に向けていた指をピンと上に向けた。何か、思いついたような顔で。


 「では、ゆかさんポイント10消費! 今日、まいはゆかさんの質問には正直に答えないといけません!」


 「え……」


 困惑する私を置いて、ゆかさんは楽しそうに腕を組む。ふんふんと何かを考えている。


 「質問1、まいは今日の服、気に入った?」


 そう、にやにやしながら、聞いてきた。


 ええ、気に入りました。ゆかさんがくれるものなら、なんでも嬉しいですよ。そりゃそうでしょ。べつにそんなことなくない?


 「ゆかさんーーーー」


 「正直にね? まい」


 機先を制された。


 ゆかさんは、相変わらず、笑っている。優しい笑みで。


 でも、折角、ゆかさんが買ってくれたんですよ? 気に入らないなんて、言えないじゃないですかーーー。


 ……。


 ーーーいや、でもゆかさんが聞きたいのは、そういうことじゃないんだろうな。


 正直な、私の気持ち、かあ。


 「ーーー」


 買ってもらった服たちをちょっと眺めた。


 大半は


 それはそれでいいかと思う。散々、お世話になってるし。でもーーー。


 「服はーーーーー」


 「うん」


 「服はーーーー正直、あんまりこだわらないのでわかんないです」


 「そっか」


 私の言葉に、ゆかさんは優しく笑ったまんまだ。


 「見た目より、着心地で考えてます。でも、ゆかさんが見て喜んでくれるのは嬉しいです」


 「うん」


 ぽつぽつと言葉を漏らしてみる。言って大丈夫なのかな。


 嫌われない、だろうか。


 にっこりと笑うゆかさんを見た。


 ……。


 


 


 女の子が好きでもないのに、女の子が好きな私を、優しく傍に置いてくれたこの人が。


 そんなつまらない理由で、本当に、私のことを嫌いになるのだろうか。


 ーーーーーー。


 ーーーーならない、ね。


 ちょっと息を吐く。


 なんか、いらん気を遣っていたかな、もしかして。


 「私、あんまり可愛いって柄じゃないから、そう言われるとちょっともやってします。ゆかさんにとっては可愛いかもしれないけれど、多分、端から見たら、そうでもないですよ、やっぱり。その、何というか、ギャップ、みたいなのがちょっともやって、します」


 「そか」


 「だから、えーと……こういう可愛いのもかっこいいのも……着るのは……たまにで、いいですか?」


 「うん……、あれ、着てくれるんだね」


 ゆかさんはちょっと驚いたように首を傾げた。へへ。


 「ゆかさんに言われるのは嬉しいので……その、妥協点というか」


 「うん、ありがと」


 ゆかさんは満面の笑みを私に向けた。顔が赤くなるのが自覚できる。むー……どうしても照れてしまう。


 いや、自分の趣味に合わないとわかっていてもね、褒められると嬉しいのがやっぱり人ってもんですよ、うん。


 そんな私に、ゆかさんはふふふと笑いかけたまま質問を続ける。


 「質問2、今日つかれた?」


 些細な質問、きっと、どう答えても大丈夫な質問。


 そう思うと、肩の力が抜けた。


 ふうと息を吐く。


 「……人ごみ苦手なんで、ちょっと疲れました」


 「だよねー、まいそんな感じ。質問3、今日のお昼に食べたパスタ美味しかった?」


 「あー、あの和風のとこ。あれ美味しかったですね。また今度行きたいな」


 軽く、軽く、今日、言い損ねことを口にしていく。大丈夫、きっと、この人には正直な心を伝えて大丈夫。


 「質問4、またいつか秋服とか買いに行きたいけど、それはどう?」


 「うーん……」


 悩む、今日のことを思い返す。


 「いや?」


 「……悩みます。今度は、ユニクロと……あとゆかさんチョイス一着くらいのバランスがいいです」


 「あ、選ばせてくれるんだ」


 またもやちょっと意外そうな顔。


 「……褒められるのは嬉しいんですよ、やっぱり」


 普段の私ではないけれど、ゆかさんが喜んでくれるのなら、たまには悪くない。うん。


 「はは、まい、めんどくさーい」


 「うるさーい」


 わかってますよーだ。


 「そっか、じゃあ、入念に選ばないとね、一着」


 「あんま気合入れられると困りますが……」

 

 本気になったらゆかさんオーダーメイドとか普通に持ってきそうだ。


 「質問5、今日の服の中で一番良かったのは?」


 「えー……なんだろ。あれかな四番目のやつ。野田さんみたいな」


 「誰それ」


 「ほらあれですよ、映画のやつ歌ってる」


 「あー……」


 話しているうちに、ちょっとわだかまりが解けている自分がいた。


 不思議、だな。


 過去に付き合った、女の子たちといるときはいつも、求められるのが辛くなって、しばらくすると距離を置いてたのに。


 お姉さんに言われた通り、たしかに私、求められるのが苦手だったのに。


 なんでだろ。


 ーーーー無意識に、求められると応えなきゃって思ってたのかな。


 その人の好きな自分で居なきゃって、その人の望む自分で居なきゃって、そう想ってたからかな。


 まあ、そんなの長続きするわけないよね。


 好きでいる分には気にならないこと。好きでいられる、と思ったときに気になってしまうこと。


 この人に、嫌われたらやだなあって、無意識に隠してしまった。いろんな言葉。


 ……そっか、私。だから、求められるのが苦手だったんだ。


 だって、私、自分の言葉を隠すのが嫌すぎて、歌を歌っていたのに。


 それなのに、一番聞いてほしい人の前で、言葉を隠してたら世話ないよねえ。


 あなたは時々すねるけど、機嫌も悪くなるけれど、怒っちゃったりもするけれど。


 自分のことを正直に言ったくらいで、私のことを嫌いになるほど器が狭い人ではないのだから。


 そんなあなただから、私はあなたを好きになったのだから。


 「質問は、これくらいかなー、まいは何かある?」


 「ーーーゆかさん、そういえば、なんで急にこんな質問したんですか?」


 私がそう問うとゆかさんは微笑んだまま私にすっと背中を預けた。


 私はカフェオレが零れないように腕を避けながら、ゆっくりと彼女を胸に受け入れる。


 「この前、昼馬さんと電話してて気づいたんだー。まいって私の言うことなんでもほいほい受け容れちゃうなって。多分、居候の負い目とかいろいろあるんだろうけれど、まいのもともとの性質的にかな。それで、昼馬さんが言うにはね、あれは今までの恋愛関係が続いてこなかった理由がわかるってさー」


 「えーと……つまり?」


 「つまり、どんなに好きな相手でも、相手の言うことそのままをずーっと聞いてたらしんどいよってこと。特に今の私たちみたいに、距離が近くて長いことずーっと一緒にいる関係は、ね」


 「はは、ですよね」


 過去の女の子たちと付き合い続けているうちにしんどくなってきた理由がよく分かった。 


 ゆかさんは私に体重をかけて、私は壁にもたれながらそれを体で支える。


 「ね、まい。これからはちゃんとお互い、わがままを言うこと。で、無理なら無理ってちゃんと言うこと、私も頑張って言うから、まいもちゃんと言ってね?」


 私の胸とゆかさんの背中が触れる。


 触れる部分が少し暖かくて、さっきまであった痛みがじんわりと引いていく。


 笑みがこぼれる。


 「はい、でも私、きっとわがまま一杯いいますよ?」


 「ふふ、それはよーそーだんだね?」


 わがままを言うと言っているのに、何故だかあなたは楽しく笑う。


 でも、ちょっと気持ちわかるかも。


 長い間、なんとなく抱えた不安が解けていく気がする。雪が解けるみたいに、心の蓋をしていた何かが優しくほぐれていく。


 何となくわかっていたこと。


 でも改めて言葉にしてわかったこと。


 私はあなたの前では正直でいていいのだと。


 私のままいていいのだと。


 そんなこと。


 そして、あなたもできれば、私の前では正直でいて欲しい。


 あなたのままでいて欲しい。


 いつか、そんな歌を歌おう。


 そして、あなたに聴いてもらおう。


 「まいはきっとね、優しかったの」


 「ーーーーー」


 「優しかったからね、求められたら、聞いちゃうし、応えちゃう。で、優しいからね、傷つけたくない、裏切りたくないって思っちゃうんだよ」


 「ーーー嫌われるのが、怖いだけですよ」


 「そんなの、私だってそうだよ。嫌われるの怖い。でもね、そればかりだとしんどいから、たまにね自分に優しくしてあげるの。他人に向ける優しさを自分に向けてあげるの。そしたらきっとね、もっと、優しくなれるから。うん、そう。だから、これは練習ね、私の前では、まいは自分に優しくなる。そんな練習」


 「ーーーーーー」


 コップを置いて、ぎゅっとゆかさんを抱きしめた。


 「まいーーーー、泣いてるの?」


 「ーーーーー」


 「もうーーー、どうしたの?」


 「ううん、嬉しくて。本当に、嬉しくて」


 「ーーーー」


 「あなたといれて、幸せです」


 本当に、本当に。


 好きになったのがあなたでよかった。


 たとえ、この恋が報われないものだとしても、あなたといれて本当に良かった。


 今まであった寂しさが、どこにもない。


 あなたに告白をして振られた時から、ずっと胸のうちにあった悲しさが、どこにもない。


 なんでだろう、わからない、わからないけれど。


 本当に、今、幸せだった。


 私は私でいていいのだと。


 私は私に優しくしていいのだと。


 ずっと歌ってきたことを、ずっと叫びたかった音を、ずっと聞きたかった言葉を。


 あなたが、くれたから。


 「ゆかさん」


 「なに?」


 「キスしていい?」


 「ーーーーいいよ」




 「「      」」





 ※




 私達は窓辺に二人で座って、風を感じる。


 空は夕暮れの赤に染まって、そろそろ夜が歩いてくる。


 カフェオレとアイスティーをそれぞれすすりながら。


 クーラーを切って、窓を開けていると、暖かく湿った風が入り込んできた。


 遠くの樹から虫の鳴く声が響いている。


 梅雨は開けて、また昼になればうだるような日差しが空を覆うのだろう。


 ゆかさんと私が出会った季節が、もうすぐやってくる。


 「ゆかさん、もう夏だね」


 「そうだね、まい」


 私とあなたが出会ってから、もう一年が経とうしている。


 変化の時は、近いのだろう。


 でも、不思議と今は怖くなかった。



 ※




 今日の幸せポイント:5


 累計の幸せポイント:89




 今日のゆかさんポイント:0


 累計のゆかさんポイント:10⇒0(質問で消費)

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