第23話 そーでもないあなたと月を見る

 「ふっふっふー」


 仕事途中に鼻歌をならしながら、私は今日入荷したての漫画たちを積み上げていく。束にした新刊たちはいささか重く、老年のスタッフの腰痛の原因になったりしているわけだが、今のところ私は大丈夫だ。


 陽気にステップを踏みながら、軽々と本たちを並べていく


 「夕山さん、なんかいいことあった?」


 通りがかった先輩店員の一人が、首を傾げながら私にそう尋ねた。


 「え? えへへ。そんなことーないですよー」


 「バレバレだって」


 隣からハロワのお姉さんこと昼馬さんがツッコミを入れてくる。ちなみにお姉さんはもう、書店に慣れ過ぎたあまり、なぜか棚だしの手伝いをしていた。なぜ。別に給料は出んぞ。


 ていうか、そういえばお姉さんじゃねえんだ。いや、まあいいかお姉さんで。今更呼称を変えるの、めんどくさいし。


 「朝からずっとほおが緩んでいるというか」


 「にやけているというか」


 『幸せそうというか、はあ、それに比べて俺は……』


 『店長、いい加減、棚の陰から店員の会話盗み聞きするのやめません?』


 『ほんと、そーいうとこっすよ』


 「「「……………」」」


 私は聞くに堪えなかったので、そっとインカムの電源をオフにした。今、レジ応援の要請とかあったらやばいが、まあ致し方なし。あと、視界の陰に映った店長は極力見ないことにした。


 「で、いいことあったんだ」


 「へへへ、ですねー」


 「聞かないほうがいいですよー、砂糖で脳みそ溶かされるから」


 「お姉さん!? なんてこと言うんですか?! 私の幸せエピソードを!!」


 「うーん、まあ、聞くだけ聞いてみるか。脳みそ溶かされるの怖いけど」


 「ひでえ」


 先輩はちょっと躊躇い気味に耳を掻きながら、そう尋ねてきた。


 ふふ、思わず笑みがこぼれているのが自覚できた。


 軽く、息を吸う。


 「へへ、実はですね。ゆかさんから、キス頂いちゃいました」


 「ああー……、もうそれはさすがに脈あり?」


 「いえ、多分、テンション上がったんだろなーって感じなんですけど。誕生日に、ゆかさんが好きな曲のアレンジ作って、お姉さんたちと一緒にバンドの生演奏したんです。そしたら……最後に感極まって……こう」


 「ほへー」


 「ま、こいつそのまま顔真っ赤にしてぶっ倒れかけてましたけどね」


 「いや、お姉さん。あれはね、倒れる。正気が、保てない」


 「その場で無理矢理、押し倒しかけないか、心配だったわ」


 「いや、家帰って二人になってから、押し倒しましたよね」


 「おい」


 「結果は?」


 「案の定、やんわりと距離を取られました……」


 「「ですよね」」


 「でも、ちょっと距離の取り方が……やさしかった、うふふ。ちょっと色っぽくて、唇軽く押されちゃって、それだけで色々と想い出しちゃうしーーー」


 「うわー」


 「のろけだー」


 「えへへ……幸せ」


 今、思いおこしても幸せな一日だった。水と食料が断たれても、しばらく、この幸せ成分で生きていける気がする。


 そんなふうに話していると、途中で先輩が「あ」と声を上げた。インカムを押さえているから、何か緊急の連絡でもあったのかな。気になって、私もインカムの電源をオンにしてみた。


 『甘い、甘いな』『吐いた、砂糖吐いたわ私』『恋……してえな』『いいな……。なのに俺、俺は大学時代、なんであんな、あんなやつに……、もっと……他にいい人が……』『誰かー、店ちょーが、黒歴史スイッチ入ってるー』『店ちょー、大丈夫、AVいる?』『AVでは……なにも!! 満たされねえ!! 心も身体も満たされねえんだよ!!』『インカムで店員全員にセクハラすんのやめてもらっていいですかね』『そーそー、大学時代オタサーの姫に全部貢いだあげく振られた話ならまた聞いたげるから』『『え』』『バイトリーダー……それは……お前と俺の秘密だったろ……』『大丈夫、みんなうすうす気づいてるから』『そっかあ……』


 『『『『とりあえず、彼女は、もう一押しだな』』』』


 隣で苦笑いする先輩を見た。多分、私も苦笑いしてる。


 「どしたん?」


 お姉さんが、首を傾げて聞いてくる。


 「いや、店長の黒歴史が暴露されてて……」


 「ちなみに、店長がリアルの女性不審になるまで、あと二つエピソードがあるから」


 「「マジか……」」


 後日、残りの二つもちゃんと暴露されることになる、あはれ。



 ※



 「ーーーーっていうことがありまして」


 「店ちょーさん、大変だね……」


 「まあ、立ちおなったらしいですよ? 一応、今、彼女はいないけど」


 「うーん……」


 私がそう言っても、ゆかさんは渋い顔をしている。


 ちなみに今、私達はお風呂上りに窓際で二人一緒に風に当たっていた。七月の少し暖かく湿った風がなびいてる。夏だから、そろそろ蚊が出てくる時期だけど、そこそこ高さがあるアパートなので、幸い窓辺に蚊はいない。高いところは風が吹いてて登ってこれないらしい。この前、ゆかさんが教えてくれた。


 あと、ついでに言うとゆかさんは私の両足の間にちょこんと座っていた。私が窓辺に座っていたら、足開けてといって、自分から座りに来た。ゆかさんが少し動くたび、私の顔の前でお風呂に少し濡れた髪がゆらゆらゆれていい匂いがする。うむ、至福。そのままぎゅーっと抱きしめたくなるが、ムラムラしちゃうので我慢我慢。


 「私も引きこもってたし、そういう嫌な人もたまに見てきたからなー、他人事に思えない……」


 「にゃはは、そーですね。次はちゃんとした彼女見つけられるといいな」


 私がそう言うと、ゆかさんはちょっと意地悪気にこっちを見た。


 「彼氏さんかもよ?」


 「ゆかさーん、私が言うのもなんだけど、同性愛は一般的にはマイナーな部類なんですよ?」


 ふふ、と思わず笑い返す。


 「えー、昼馬さんとか宵川さんがいるし、まいもいるから、なんか普通にそこらへんにいるのかなって」


 「どーなんですかねー、あの二人も同性愛に含んでいいのか私にはわからんですが」


 「あ、そっかー、身体的には異性愛だけど、心理的には同性愛……? うん?」


 「ややこしいでしょ」


 「だね」


 ほんと、ややこしい。あれ、宵川さん視点だとどう映ってんだろ、今度聞いてみようかな。


 「まさか、あんなややこしい人だとは。そら、告白も躊躇うわって話ですな」


 「でも、受け入れられてるんだからすごいよね、宵川さんの懐が広いというか」


 「ま、シンプルに気にしてなさそうですけどね、あの人は」


 「確かに。……あ、そういえば、最近気が付いたんだけど、由芽さんもね、同性愛じゃないけど。なんというか不思議な感じがする」


 「あー、あのなんでしたっけ。会社の同僚の人」


 「そ、まいのファンの人。……で、由芽さんはね、自称ガチ恋勢なんだよね」


 「……はあ?」


 思わず、抜けた声が漏れた。ガチ……恋? なんじゃそりゃ。


 「そ、曲も好きだけど、歌われている人間性も好きで。もし出会えたら、どうしよう、告白しちゃおうか、みたいなこと言ってたよ」


 「……はあ」


 思わず、ため息が漏れる。ゆかさんは話しながらまた前を向いて、時折吹く風に身をゆだねていた。あんまりこうしてると湯冷めしないか心配だけど。


 「まいは、もし告白されたら……受けちゃうの?」


 「そんな、歌だけ聞いてあこがれるような、よーわからん人、受け入れる気が知れませんよ」


 創作物と、作ってるやつの人間性に因果関係などほぼほぼないのですよ。というか、そう言う人は、夢を見過ぎなのだ。私も昔、好きなシンガーソングライターに夢見てたからわかるけど、綺麗なものを作る人が綺麗だとは限らない、むしろどうしようもないくらいの醜さを歌という形にすることでようやく見れるものに頑張って加工しているのだ。そんなことを、自分が歌を書くようになって、ようやく自覚する。うん、出会っても多分、幻滅されるだけでしょ。


 「……よくわかって、ちゃんと知り合ったら……受け入れるの?」


 ゆかさんは向こうを向いたまま、そんなことを聞く。嫉妬でもしてくれたら可愛いけど、そんな感じではない……のかなあ。


 「さあ……でも、頑張って友達くらいじゃないですかね。マイダーリンの席は今のところゆかさん専用席なので」


 まあ、出会ったこともない人に言えることなんて何もないのだ。なのでさっさと話題を切り替えて愛の告白でもしてみる。


 「ふーん」


 「ふーん、て、ゆかさん」

 

 私の愛の告白の意味よ。鳥の胸肉かってくらい、たっぷりタンパクだ。


 「昔からダーリンって言葉に、ピンとこないんだよねえ。外国の人が言ってるイメージが強すぎて」


 ゆかさんは少しぼーっとしたような声で、そう紡いだ。風に揺られたゆかさんの髪が私の頬に当たる。少し、冷たい。


 「あー……まあ、わからなくもないような」


 「もっとね、実感できる言葉じゃないと、ゆかさん赤面ゲームには勝てませんよ」


 「いつできたんですか、そんなゲーム」


 でも、楽しそうだな。それ。ゆかさんの赤面、最近、セクハラを控えてたから、ちゃんと見てないような。


 「ねえ、ゆかさん」


 ちょっと、声の調子を変える。気持ちも愛情もたっぷり込める。


 「なに、まい」


 ゆかさんが眼だけでこっちを振り返る。


 「愛してます」


 「うん」


 すごい、いい笑顔で返された。赤面のせの字もねえ。


 「好きです」


 「うん、知ってる」


 「感謝してます」


 「私も感謝してるよ」


 「一生、一緒にいます」


 「そんな先のことわかんないよー」


 「じゃあ……私の全部、ゆかさんにあげます」


 「えー、お返し何にしたらいいか、わかんなーい」


 けらけらと笑われる。うーん、手ごわい。私の語彙力をフル投入した愛の絨毯爆撃は、ステップを踊るくらい気楽な感じで躱されてしまった。もう、漱石先生の手を借りるくらいしか、比喩表現が思いつかねえ。


 うむ……いっそ、キスしようかな、それかどこか触るか。ノンバーバルな手法に訴えるか。いや、さすがに反則だろうか。最近、セクハラポイントつけないように我慢してたしなあ。いや、しかし。


 そんなことを考えていると。


 「ねえ、まい」


 ゆかさんが振り返っていた。すぐそこにあった頭が振り返ったものだから、鼻が触れ合わんばかりに、顔が近づいてる。


 え。


 ゆかさんは少し、眼を細めている。


 優しく色っぽく。


 どこか艶めかしく、笑う。


 あれ、ゆかさんが、こういうふうに見える時ってーーー。




 「月が綺麗だね愛してるよ



 

 ーーーゆかさんが、意地悪してくる時だ。


 ゆかさんは優しく笑って、私の首筋をゆっくり撫でた。


 それから、指をほんのり触れさせながら耳まで這わせると、頬を包み込むみたいに手のひらを当ててくる。


 親指が少しだけ唇の端をなぞる。


 頬が熱くなる。唇の撫でられている部分もだんだんと熱を帯びてくる。


 指先が震えだす、胸のあたりが熱くなって鼓動ばかりが聴覚を埋め尽くす。


 甘い、痺れが、全身を、覆う。


 あ、これ、だめーーーー






 「いえい、赤くなった―。私の勝ちね!」






 ーーーーーーーーーーーーーーーーーは?


 ゆかさんはもろ手を挙げると、私に向かって勢いよくVサインをかましてきた。


 いや、ちょっとまって、あれ、じゃあ今のは?


 ゆかさんの、愛い愛いしい、愛しの、愛の、告白は? あれえ、漱石先生?


 これってゲームですか?


 脳内で漱石先生が優しく手を振って笑っていた。


 「ご褒美に、ゆかさんポイントが10チャージされます!!」


 ゆかさんは腰だけをぴょんぴょん跳ねさせながら、私の足の間で器用に跳ねて喜んでいる。


 私は赤くなった頬を抑え、ついでに頭を抱えた。


 なん……だろ、この感じ。困惑と、変な安堵と、緊張と、期待と、がっかりと、ああ、もう。


 こう、壮大な、もう、なんていうか、もう。


 私は深い、深い、ため息をついた。


 「ゆかさん……」


 「なに?」


 「まい、ポイント10になるまで、貯めますね?」


 「あれ?!」


 ゆかさんは驚愕の表情でこちらを見る。いや、でも、知らん。今のはゆかさんが悪いと思うの。


 「それと10使って、今日は添い寝してください」


 「あれぇ?!?!」


 二度目の驚愕、しかし、問答無用なのである。


 「ちょっと今のはですねー……だめ。そういうのだめだから」


 「えー!?」


 「えー!? ーーーじゃない!!」


 ゆかさんは不満げな顔で私を見て、私は弄ばれた心を必死に叫んでいたのでした。


 ちなみに、月はそもそも出ていなかった。新月だったのだろうか。


 脳内で漱石先生がまあ、そういうときもあると優しく私の頭を撫でていた。うるせえ。



 ※


 

 そして、その日はゆかさん抱き枕によって、しっかりと癒されたのでありました。


 しかし、柔らかいよ、ゆかさん。ほんっと、柔らかい。


 ゆかさんの胸に顔をうずめてふがふがしながら、私はその夜、床に就いたのであります。


 私がゆかさんの胸越しに息を吸うと、そのたびにゆかさんがちょっとくすぐったそうにしていました。


 でもしばらくすると、寝息が安定して、ゆかさんの胸の上下を感じながらああ、寝てるんだなっていうのを実感しながら、夜中に一人、ゆかさんの匂いを吸っていました。


 癒されはしたけど、堪能しすぎてちょっと寝不足になったのは内緒だぞ。




 ※



 今日の幸せポイント:3


 累計の幸せポイント:82



 今日のまいポイント:9


 累計のまいポイント:10⇒0(添い寝で消費)


 今日のゆかさんポイント:10


 累計のゆかさんポイント:10

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