第15話 別にそうでもないはずのあなたとー①
眼を閉じると、歯車の音がする。
私、独りの小さな歯車。
あなたとうまく嚙み合わない、小さく歪つな歯車。
かち、かち、と規則的な音を立てて回ってる。
あなたとは嚙み合わない、それが寂しく。悲しく。
でも、それでもあなたといることが幸せだった。
隣にいるだけで幸せだった。
歯車は回る。ただ、独りで。
かち、かち、と音を立てる。
でも。
かきり、と何かが触れる音がした。
聞いたことのない音、触れたことのない、もの。
音は小さく、まばらで時折、聞こえてくるそんな程度。
その気になれば無視してしまえる程度。
でも、かすかに、でも確かに。それは音を立てていた。
何が起こるのだろう。
何が音を立てているのだろう。
一体、何が、変わって、しまうのだろう。
指先が、少し、震えた。
※
最近、ゆかさんのスキンシップが激しい、気がする。
散々、スキンシップかましてきた私が言うのもなんだけれど、なんというか、こう向こうから来る。
だって、今まで私からハグのおねだりをすることはあっても、ゆかさん側からしてきたのなんて、私が落ち込んでるときくらいしかないわけで。
なのに、最近はゆかさんからしてくる。ハグをぎゅーっと、笑顔で、あふれんばかりの笑顔で、女神みたいな顔で、世界はこの人によってつくられたんじゃないかってみたいなそんな顔で、というかこの笑顔のためなら私は命だって「笑顔の形容がなげえ」「恋は盲目っていうか、どぎついフィルターかかってるんかんじだね」
仕事が終わって休憩室でだべっている私に対して、ハロワのお姉さんは藪にらみでそう告げた。
常連兼、私の知り合いということでなんかいつのまにかここまで侵入することを許されているお姉さんである。すっかり、店長や先輩店員たちとも顔なじみだった。それで、ちょこちょこ私のプライベートを共有しているらしい、個人情報保護って法律で決まってるんじゃなかったっけ?
「おかげで最近、心臓動悸うちっぱなしなんですよね……、自律神経壊れる」
「どうせ寝不足でしょうが」
「ありうーる」
「そーいう、野暮なこというのどうかと思います……」
店長とお姉さんの心無いツッコミを受けて私は口をとがらせる。
畜生、人の恋ごころに水差しおって。
「夕山さん。それなら今度こそ押し倒せるんじゃないの?」
「いや、多分、ダメなんですよね……。そのフェイントで何度痛い目をみたか……」
「ダメだろねえ……、オタサーの姫に二人で飲みに行こうよって誘われたからって、えっちまでいけると思うオタク君くらいダメだろねえ」
「え、そこまで行ってダメなの? むしろどこまでいったらオッケーのサインなの? オタク君はいつ報われるの?」
「早とちりは身を滅ぼすんですね……」
うなだれる私と一緒に、なぜか店長もうなだれていた。過去の嫌な記憶でも掘り当てたんだろうか。
「つーか、あんたどうしたの? いつもなら諸手を挙げて喜んでるじゃない」
「いやー……なんていうんです? 今までにないパターンだから困惑が大きくて、嬉しいけど、なんていうか……うーんみたいな」
「ちなみに、セクハラポイントはそれでマシになったの?」
「きっちり取られてます。この前、ハグしながらこっそりお胸の感覚味わってたら3持ってかれました」
「
「うちから、犯罪者排出するのは勘弁ねー」
「くそう……何も言い返せねえ……」
程々に話を終えて、なんとなく流れでお姉さんと一緒に帰る。
店を出て顔を上げると、雨が降っていた。
ここ最近は何故だか、ずっと雨が降っている。梅雨だからね、ゆかさんがずっとご機嫌な理由でもあるのだろうか。
ゆかさんに渡された傘を差して、お姉さんと並んで歩く。
「そーいえば、おねーさん。最近、彼女さんとはどーですか?」
「別に、程々にやってるよ」
お姉さんの方を窺うと、ため息をついたような顔で歩いている。こっちを見てもいない。
「ラブラブっすか」
「まあ、付き合ってまだ一か月も経ってないしね。冷めてる方がやばいでしょ」
ちょっとお姉さんの顔が赤らむ。
「えっちは?」
「……まだ」
意外な答えに、私はぎょっと驚いてお姉さんを見る。
「え? 私、昔の彼女は全員告白通ったら即えっちでしたよ?」
「それはあんたが色ボケすぎる……。ふつーはもうちょっと手順踏むって」
お姉さんはため息をついて、こっちを見た。
「いや、私から求めたわけじゃないですよ、向こうから」
「へー……っていうか、あんた。告白される側なの?」
「ええ、大体そうですね。高校生の頃に告白されるまで、そんなの微塵も考えたことなかったですもん」
よくよく考えれば、あの時の私とゆかさんって同じ境遇なのだ、ふーむ。
「ふーん……、それでよくえっちさせたわね」
「まー、興味はあったので。あと女子高だったんで、そーいうの割とあったんですよね。女子同士の告白とか」
「ちょっと女子高への偏見生まれそうなんだけど、それでも即えっちってなくない?」
「あります、あります。あ、さすがに最初の子は一週間くらいかかりましたけど」
「ふーん…………あ」
お姉さんは何かに気付いたように、声を上げた。
「どしました?」
「……気づいたんだけどさ」
「はい」
ぴっと指がこちらに伸びてくる。犯人を指さすみたいに。
「
「……」
「……」
沈黙。
「はっはっはっは」
「あ、誤魔化した」
人には触れてはいけないところがあるんですよ、お姉さん。
※
独りで家に帰りついた。
ゆかさんはまだ帰ってないみたいだ。
ごはんの準備でもして、待ってようかな。
いや、今日の当番、ゆかさんだっけ。じゃあ、することないや。
仕方ないので、部屋に行ってエレキギターをとる。ヘッドホンをつけて、適当に鳴らす。
しばらく指を動かす。
そうすると、指が勝手に知っている音を鳴らしていく。
なんだっけ、これ……。ああ。
「震えた指」
いつかより随分と滑らかに動くようになった指が、それを奏でていく。
わたしは 別にあなたを知りはしないよ
あなたは 別に私を知りはしないの
そりゃ そうでしょ 他人だもん
間奏が入る。指はとめどなく、淀みなく動いていく。
私は知らない 他の誰のことも
それでも私は 歌っているんです
あなたは 私を知らないだろうけど
それでも私は 歌っているんです
どこにも行けない
誰にもなれない
指は震えて 喉は枯れてく
とめどない意味を 拙い言葉を いくつ重ねても届きはしないかな
それでもどこかの、あなたに届けと
あなたが笑えば
それでいいの
震えた指先 言葉は零れて
それでも私は歌っているんです
どこかのあなたへ歌っているんです
弦を抱き留めた。
もう、指は震えてない。何度も弾いた曲は譜面を見ずとも、淀みなく流れていく。
あのころとは違う。あの橋の下のころとは、もう違うんだ。
もう、変わってしまったんだ。もとには戻れない。
手のひらを見て、胸に当てた。
心臓が弱く、動悸を打っている。
眼を閉じた。
音がする。
歯車に何かが、触れる、音だ。
指が、少し、震えた。
※
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