第12話 別にそうでもないあなたにアッパーカットをもらうー①

 最近の私は調子がいい。


 何せゆかさんがキスしてくれた。


 曲の再生数も思ったより伸びてる。


 何せゆかさんの照れ顔がかわいかった。


 生理も終わって、体調も良好。


 何せゆかさんが私が好きだって言ってくれた。


 これは、これは、これは。


 なんだかイケてるんじゃありません?


 今なら、いろんなことが出来そうな気がする。


 うんうん、半年前に告白を断られたころから随分と進歩した。


 あの時は、ハグの一つにも躊躇いや恐怖があった。しかし、今やそれもない。


 これは、これは、これは、これは。


 イケちゃうんじゃありません?


 そう思って。


 「おはよー!! ゆかさん!!」


 起き抜けにリビングで本を読んでいたゆかさんに後ろから近づくと。




 揉んだ。



 胸を。



 両脇から。



 がしっと。



 ふわっと。



 やわくて、思った以上に反発が少なくて。


 無言で数秒。







 






 ゆかさんが振り上げた拳が綺麗に私の顎に入っている。






 ゆかさんが無言で、無表情に、こちらを振り向きもせず、アッパーカットをかましてきたのだと、理解するのに10秒ほどかかった。


 うずくまる私を振り返りもせず、本を読んだまま、ゆかさんは告げる。


 「片側につき3で、セクハラポイント6ね」


 声が酷く冷たい。こちらを見ようともしない。


 「最高記録……更新じゃないですか」


 思わず、涙目になりながらそううめく。顎を押さえながら。


 「なんか、優しさがなかった。欲に駆られてノリで触った感じがして嫌だった」


 「………すいません」


 なぜ、胸の揉み方ひとつでそこまで読めてしまうのだろう。


 私があまりにも分かりやすすぎるのだろうか。


 その日は、初めておっぱいをまともに触った感動とか微塵もないままで。


 ゆかさんは、仕事に行くまで、まともに口をきいてくれなかった。




 ※




 「顔、死んでんじゃん」


 「やって……しまいました……」


 本屋の棚だし中に、また遊びに来たハロワのお姉さんと私はまた話をしていた。


 「なにを」


 「ゆかさんの、胸を、もみました」


 私がそう言うと、お姉さんはひどく、軽蔑したようなそんな眼を向けてきた。


 「知ってる? セクハラって訴えられるんだよ? 犯罪なんだよ?」


 呻く。返す言葉もねえ。


 「はい、なんか、最近、お願いとかで距離近かったから。こう、油断と、慢心が」


 「哀れな性欲の奴隷……」


 軽蔑の視線が哀れみに染まった。どっちにせよ惨めなことに変わりない……。


 「というか、やばいんです。とうとうセクハラポイント50超えちゃって……」


 「あー、単純計算、あと一か月半の同棲生活ねー」


 「やだーーーーーー!!!!!!」


 「セクハラが加速してることを考えると、もっと早いか」


 「いーーーーーやーーーーーーだーーーーーー!!!!」


 連絡用のイヤホンから『夕山さん、うるさいよ』という店長の声が聞こえてきた。


 「すんません……、以降、心の中で叫びます」


 『あと、同棲彼女の動向については、後でスタッフ一同に報告すること』


 「了解しました……」


 「了解すんのか、そこ……」


 「ちょっと、セクハラポイントの内情までバレてまして」


 「喋りすぎでしょ、あんた……デリカシーってそういうところからよ」


 「やめて、傷口に塩を塗らないで……」


 しかし、うちのスタッフはこうなると喋るまで返してくれないのです。うう……。


 涙目になりながら、呻いているとお姉さんは軽くため息をついた。


 「まあ、でも、そこまで悲観することないんじゃない? 本当に追い出されるなら、とっくの昔に追い出してるでしょ。なんやかんやなるかもよ」


 「です……かね? そういえば、引っ越すとき、ゆかさんの家に住民票も移したんですよね……。そうしなさいって言われて。ちゃんとした住所が就活にも必要だしって」


 ずびびと鼻水をすすりながら、返事をする。お姉さんは漫画を物色していた手を止めて、若干あきれ顔でこっちを見た。


 「……………それ、相当、長期で住みこませる気じゃないの?」


 「ただ、あれセクハラポイントができる前だったので」


 「あー……」


 そう、これがセクハラポイント後だったのなら、なんだゆかさん、そんなことは言っても私と暮らす気満々じゃないですかーって感じに行けたのかもしれないけれど、現実はそういかない。


 まあ、どちらにせよ、追い出されれば明日がないのは明白だった。ついでに多分、私の心ももたない。


 「いっそ、拒絶されて別れる前に、自分から部屋探して出ていったら?」


 「それは!! 断じて!! 嫌です!!!」


 『夕山さーん、お客引いてるー』


 「はい、すみません、はい」


 危うい、変なテンションで職まで失いかねない。


 「しかし、そんなにいいの? その、ゆかさんっていうのは」


 お姉さんはあきれ顔のまま、ため息をついて私を見た。


 「お姉さんにはさんざん、ゆかさんのすばらしさを伝えたはずでは?」


 「いや、私が聞いたのはあんたがどれだけ、ゆかさんラブかってだけだから」


 私はえーとむくれる。


 「それで充分では?」


 「いや、理由にはなってないでしょ」


 ふうむ、確かに、私がなぜこれほどまでにゆかさんに惚れているか、伝えないことには共感はしてもらえないのですね。


 「仕方ありません、聞くも涙、語るも涙な私とゆかさんの出会いを教えましょう」


 「よし、絶対泣かねーぞ」


 「……お姉さん、ってほんといい性格してますよね。なんで彼女出来たんですか?」


 「それは…………なんでだろね、私も知らん」


 「はあ…………」


 かみさま、かみさま、こんな人が結ばれて私が結ばれないのはどうかしてると思うのです。こんなこと思ってるから結ばれないのですか、そうですか。はい。


 私はため息をついて、ゆかさんとの出会いをぽつぽつと話し始めました。




 ※




 出会いは橋の下でした。


 ああ、あんたホームレスだったの?


 ちげーますよ。そこは割と有名な路上ライブスポットだったんです。


 ああ……、いつもカップルがよくいるあっこか。


 そうそう、当時、大学生だった私は、曲を作ったはいいが発表する場もなく。


 音楽やってたんだ、へー。


 はい。まあ、そんなことはいいのです。とりあえず、曲を作った私は人に見せるのは怖かったのですが、でもせっかく作ったし誰かに聞いて欲しいってそんな感じでその橋の下に行きました。


 ふんふん。


 ところで、お姉さん、あの橋の下の演奏って聞いたことあります?


 あー、あるよ。なんか外国の音楽鳴らしてた。ふつーのバンドマンもいたけど。


 そう、色々いるんですよね。で、あの人たちですねえ、……滅茶苦茶レベル高いんですよ。


 あー、そうなの?


 はい、やっぱあーいう所で、自信もってやろうって人たちはですね、すごいんですよ。磨かれた技術も、自分を貫き通す精神面もやっぱすごいのです。で、そんな人たちの中に今まで部屋の中でギター弾いてただけのやつが入っていくのです。


 こわそー。


 怖いですねえ。真っ白になりました。燃え尽きてもいないのに、灰みたいになって飛ばされていきそうでした。ギターを背負って、空いてる端っこに座ってさあ、やろうかって時に周りを見回したら、それですよ。コピーバンドが仕上げてきた完成度の高い名曲、あまり知らないけれど固定客のいるらしきお兄さんのシンガーソングライター、名前も知らない国の弦楽器、パフォーマーとか露天商もいましたね。


 ……。


 こんな中で、歌っていいのかなってなりました。どう考えてもこの人たちに比べたら、私が作ったこの曲は拙いし、ギターもうまくないし、そんなに声も響かないし、何より私のことを知っている人すら、あたりまえだけどいなくて。


 ……。


 がちがちに震えながら、ギター取り出して、弾くのかなって周りが見てきたから、慌てて隠して。違うんですよーって、こんなにすごい人たちばかりだとは思わなかったんですよーって、心の中で言い訳しながら、膝抱えて縮こまっちゃって。しばらくしたら、私のことを見てた人も去っていっちゃいました。情けない話、それでちょっと安心して。それから、周りを見回して、やっぱ自信なくて。家出した子どもみたいだったでしょうね、ギター背負って、膝抱えて、ボロボロに泣いちゃって。


 ……。


 それでもね、結構頑張ろうって思ったんですよ。折角来たんだし歌って帰ろうって、小声でもいいから、何でもいいから、何もしないで帰ったら馬鹿みたいだし。それしちゃったら、もうどこでも歌えない気がして。30分くらいうずくまってから、ぐるぐるする頭を無理矢理、前に向けて、ギター取り出して、ピックもって何人かが立ち止まったけれど、結局歌い出さないから人がどこかに行っちゃって。頑張って歌おうと思うんですけど、バカみたいな話、泣きすぎて声でないんですよね。飲み物もないから、整えることもできなくて。夏だったからよかったけど、長いこといたから他の季節だったら風邪ひいてたでしょうね。そうやって歌い出す形のままずっと動けなくて。


 ……。


 時間も深夜回っちゃったから、人も段々少なくなって、歌ってる人たちもだんだんと引き上げていったんです。シンガーソングライターのお兄さんと、途中で入れ替わった打楽器演奏の人と民俗演奏の人が残ってたくらいでした。人が少なくなったけど、喉はつぶれたまんまで、歌えなくて。そのころにはギターを肩にかけて、ぼーっと泣きながら座ってるだけでした。歌えなかったなって、諦めてて、このままどこでも歌えないのかなって、別にそんなことないのに、勝手に思い込んじゃってて。


 ……。


 もういっか、諦めよって思うんですけど、なかなか立ち上がれなくて、諦めきれなくて、もうちょっともうちょっとって、ずっと膝抱えてそこにいたんですよ。そしたらですね、私のちょっと前にお姉さんが座ったんです。すごい酔っぱらってるなーって感じのお姉さん。いかにも仕事帰りで、疲れてますーみたいなお水のペットボトルもって。いろはすの水でした。なんでか覚えてるんですよね。いろはす、味ついてないやつ。


 ……ふうん。


 そのお姉さんが私の前でじーっと見てるんです。私も疲れて座ってるのかなって思って、眼をそらしてそっとしてました。10分くらいしたら、お姉さんが急に口開いたんです。「歌わないの?」って。


 ……。



 正直、びっくりして、でもずっと泣きっぱなしだから、喉は詰まったまんまで。上手く応えられなかったんです。言われて、慌ててギターを弾く体勢になったけれど、結局歌えなくて、初めて、声をかけられて、期待されて、なのに応えられなくて。それが嫌で、また泣いちゃって。情けなくて、惨めで、泣いて、歌えなくて、それが情けなくて、ってずっと繰り返して、最後は泣くばっかりになっちゃって。


 ……。


 お姉さんを見て、首を振ったんです。ごめんなさいって、歌えませんって。言えないけど、伝えようとしたんです。そしたら、そのお姉さんどうしたと思います?


 ……ふふ、どうしたの?


 ぼーっとしたまま、こっちに来て、いろはす無言で私の口に突っ込んだんですよ?! うえってなって、びっくりして、それで「泣くのが止まらないのは喉が痛いからで、水で流せばましになるよ」って言うんです。そんなので治るわけないじゃん!! って思うじゃないですか? こっちはどれだけ苦しんでるんだと思ってるんだ!! って、でもねちょっとね、マシなるんですよ!? ほんと、バカみたいな話なんですけど。マシになっちゃって。


 ……ふふ。


 それからね、座り直して、ちょっと悩んでからね私を見て「歌って」って、言うんです。「一言でいい、なんなら、ギターを一回鳴らすだけでいい」って。「それだけで、私は明日、頑張れるから」って。でもね言われても、ましになってもまだ、怖いんです。周り見たらね、怖いんです。それでもやっぱり応えたくて、私を初めて見つけてくれた人に応えたくて。


 ……。


 なんとか、どうにか、こうにか、弾きました。声は結局かすれるみたいな風にしか出なかったけれど、指は震えてまともに動かなかったけれど。弾きました。傑作なのが、この時弾いた曲、「震えた指」っていうんですよ。ほんとに震えて歌つやつがあるかって、後々自分で思いましたもん。正直、そんなだから聞けたもんじゃなかったんです。すぐ音間違えるし、テンポ分かんなくなるし、声は掠れて汚いし。でもね、そのお姉さんはずっと聞いてくれていた。歌いながらまた泣いちゃったんだけど、それでもずっと聞いてくれて。


 ……。


 歌い終わってお姉さんみたら、なんでかお姉さんも泣いてて。ボロボロになって、なんなら私より泣いてて。私、よくわかんないまま、お姉さん見てたら、お姉さん財布からお札全部取り出して渡すんですよ。それから、駄々泣きのまま私に「ありがとう! 明日頑張れる」ってすごい笑顔で言って。そのまま去りそうになって、声かけたかったんです。でもお金は手に乗ってるし、声は出ないしで。もう一回会いたいって、ありがとうって、伝えたかったのに上手く伝えられないって思ったら。お姉さんすっと引き返してきてたんです。すごい慌てた顔で。それでなんて言ったと思います? 「帰りの電車代ないから1000円だけ返してもらっていい?」って、ちょっと違う意味で涙目になりながら、私にそう言ったんです。私、思わず笑っちゃって、それで力抜けたから、ようやくちゃんと話せるようになりました。お礼言って、また明日歌うから、その時はちゃんと歌うから、よかったら来てっていったんです。そしたら、お姉さんも喜んで、絶対、明日もくるって言ってくれたんです。それで、本当にその次の日も見に来てくれたんですよ。


 ……ふうん。


 本当に、あの出会いがなかったら、私歌えてないんですよねー。もう、本当にゆかさんがいたから私ちゃんと今、やれてるんです。……ちなみに半年後位に告白して、振られるんですけどね………………。はあ。


 ははは。災難なのか、幸運なのか、わかんないねえ。


 いや、ほんと。


 ※

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