第10話 別にそうでもないあなたに歌を歌う

 生理って言うのも意外と捨てたものではない、というのが私の個人的な意見だ。


 ま、しかるべきところでいえば大顰蹙ひんしゅくを買いそうな発言ではあるが。


 常に腸の付近を蝕まれるような感覚も、薄くへばりつくように残り続ける頭痛も、生理用品をあてがっているから微妙に座りの悪い下着も。


 何より、バランスが崩れて、ごちゃ混ぜになる感情も。


 歌うという一点に関して言えば、なかなか便利なものだった。


 頭が自分の感情で埋め尽くされる。


 他の余計なものが入る余地がきっぱりなくなる。


 本来、後ろ暗い感情を歌うときはどうしても躊躇いがある。


 これは、人に見せてもいいのか?


 これは誰かに聞かせてもいいのか?


 私の自己満足じゃないか、独りよがりじゃないか?


 そういう、理性とか常識に近いものが溢れてきて、思い切って歌うのは難しい。


 事実、そういう暗い歌は得てしてあまり受けがよくない。


 再生数が伸びるのはとっつきやすく、前向きな曲がやはり多い。


 そう、大半の人は暗い歌なんて聞きたくないのだ。怒りの歌も憎悪の歌も聞きたくないのだ。そんなことは解ってる。


 でも、それでも。


 苦しみもある。辛さもある。恐怖もある。怒りもある。憎悪もある。


 生きていれば、誰にだって。


 誰もが多かれ少なかれそれを抱えて生きている。


 だから、数は少ないけれど、響く人は必ずどこかにいる。


 少なくとも私の心には。


 少なくともゆかさんの心には。


 それがあるのだから。


 この間、書いたのがちょうどそういう歌だった。


 録音用の小さなコンデンサーマイクをセットする。ギターを構えて、軽く腕や肩を伸ばす。


 時間は人の出払った平日の頃。今日はバイトが休みの日。


 隣室の住人が仕事に出払ったのは確認済み。


 今からここは、私が、歌う場所だ。


 少し、長く息を吐く。


 ギターのピックを軽く指ではじく。


 頭の中の雑念を一度空っぽにする。


 といっても、余計なものをそぎ落としても、すぐ痛みや感情が湧いてくる。不快感が頭全体で反響し続ける。


 まあ、でも、これでいい。


 今、歌いたいのは、これなのだから。






 弦を鳴らした。





 引き裂くように。


 引き千切るように。


 ふつふつと湧く怒りを、溢れんばかりの憎悪を、震えるほどの恐怖を、息が止まりそうな不安を。ありったけ載せて。


 私の歌を歌うコツは、『歌詞』を歌わないことだ。曲に無理に決められたものを載せようとしないこと、湧き上がる感情をそのまま言葉にすること。


 憎悪は吐き捨てるように。


 不安は声を震わせて。


 喜びは叫んで。


 希望は泣きながら。


 愛は呟くように、囁くように。


 歌いきること。


 嫌悪感も。理不尽も。怒りも。不安も。恐怖も。それでも前を向くのだと、叫びを乗せて。


 私の曲につく批判コメントはいつもわかりきってる。


 感情的すぎる。荒れすぎてる。子供っぽい。そんなんばっか。


 知ってるわ。でもそれが私だ。これが私の心だ。うるせえ、黙ってろ。


 鳴らせ、鳴らせ。響け、響け。


 これが私だ。私の心なんだ。


 誰の文句だって聞いてやるものか。


 これが、私なんだ。




 ※ 


 


 私、あんたなんか知らないわ


 こんな、私、構わないでよね


 ねえ、私でさえも知らないわ


 一体、何を求めてんだろうね


 私、あんたなんか知らないわ


 誰も、あんたのために生きてないの、よね


 誰だってそうでしょ


 誰も彼もが自分のために、生きてるんでしょう


 それでいいじゃないの、なんでそんなことわかんないの、当たり前じゃない


 どうせ、自分しか、自分を知らないの


 あんたが、どれだけ、怖いかなんて、あんたしか、知らないでしょ


 私が、どれだけ、不安なんて、私しか、知らないから

 

 なんで、そんなこともわかんないの、ふざけないでよね


 自分しか、持ってない自分のカギを


 なんで踏みにじってんのよ


 ばっかみたい、ばかじゃないの、ほんと


 ふざけないでよね、なんでそれを私に求めてんのよ


 なくさない、あんたがなにしようが、しらない


 なくさない、私は、踏みにじんないわ、これは私なんだからさ


 ふざけんな、ふざけないでよね


 私、あんたなんか知らないわ


 私、しか、私、知らないわ


 ねえ、私、でさえ私を知らないわ


 私、も私がわかんないの


 どんな形かなんて


 なにがしたいかなんて


 それでも、それでもね


 あんたなんかにやってたまるもんですか


 私、は私のものだから、あんたなんかにやらないから


 やってたまるもんですか


 私は私のために、生きるの、邪魔なんかさせるもんですか


 誰にも、邪魔なんか、させてやるもんか


 私は私だ





 ※




 「…………どっすか、ゆかさん」


 「んー……、ちょっと待ってね。歌を消化するのに時間がかかるから」


 仕事から帰ってきたゆかさんに新曲のお披露目会ということで、録音したものを聞いてもらった。


 ゆかさんは黙って、眼を閉じたままヘッドホンをあててじっと曲を聞いている。


 私は正座のまんま、ゆかさんの感想を待つ。


 いつまでたっても、緊張の瞬間だった。


 個人的には結構、気に入ってる。


 でもそれが端から聞いたときどうなのか。


 特に暗い曲はそこらへんが不安になる。


 まあ、最悪、世間的な評価が低いのはイイ。いや、よくないけど。


 ゆかさんからの評価が低かったら……へこむ。


 激へこみする自信がある。でも、忖度して半端な感想はもらいたくない。複雑な歌い手心。


 うう……。胃が痛い……。……生理以外で胃が痛い。


 私は震える正座のまま、じっとその時を待つ。


 ゆかさんはすっとパソコンに手を伸ばすと、リピートボタンを押した。


 もう一回、聞き直すみたいだ。


 うん、一回じゃ、感想わかないかもだしね。


 しばらくして、もう一回、リピート。


 リピート。


 リピート。


 リピート……。


 「長くない!? ゆかさん?! そんなに感想に困った?!」


 不安過ぎて、ちょっと涙目になりながらゆかさんに詰め寄った。


 でも、ゆかさんは私に対して、すっと手のひらを出すと眼を閉じたままじっとしている。


 『聞いてるから、まってなさい』


 そんな感じの様子だった。


 私は諭されるがまま、すごすごと正座に戻る。足、痺れてきた。


 それから、もう一度だけリピートして。


 ゆかさんは、ふうと息を吐きながらヘッドホンを外した。


 それからゆっくり正座になると私の方を向く。


 神妙な面持ちのまま。


 私は思わず、ごくっとつばを飲み込む。


 「まい……」


 「はい……」


 ゆかさんは眼を、閉じた、まま。






 「プロデビューは……いつ……?」





 「はい……?」


 泣いていた。目頭を抑えて。


 「ごめん、ちょっと感情が抑えられなく……、プロになっても私のこと、忘れないでね……?」


 「ゆかさん? ゆかさん!?」


 「もう、こんなとこまで来たんだねって。あの橋の下で震えてたまいじゃないんだねって、もう……私……嬉しいけど、寂しくて……」


 「ゆかさん!? かむばーっく!!! 現実へ!! 現実へ帰ってきて!! プロデビューなんてしてないから!!」


 「え? こんな曲を歌うまいがプロデビューできない? それ現実の方が間違ってない? ちょっとレコーディング会社に殴り込みに行こうかな」


 「真顔で怖いこと言わないで!? 正気に戻って!!」


 「正気? 私はずっと正気だよ? ちょっと今、冷静にまいをどう世間に認めさせるか、考えてるから。レコーディング会社の社長に直談判……いや古いか。いまのご時世もっとフォロワーを増やすことで、間接的な実行力を握っていく? もっとまい本来のかわいさを売りに……いや、それも私が推したいまいとかけ離れるし、何より可愛いまいを人に知られるのは腹立つし……、いっそ私が会社を立ち上げるか……」


 「ゆかさん?! ゆかさんが言うとまじで実行しそうで怖いから!! 私、そこまでじゃないよ?! もっとゆっくり人に認めてもらえればそれでいいから!!」


 「ーーーーあれも、ーーーーーこれも、ーーーーーくそ、権力が…………金と権力が足りない…………!! OLなんてやってる場合じゃなかった、会社の経営の一つでもしていれば……!! 何やってんの私!!」


 「帰ってきてー!!! ゆかさーん!!」


 その日、ずっとゆかさんは変なテンションだった。常にぶつぶつ言っていて、本当に知りもしないレコーディング会社の社長に直談判しそうな危うさがあった。私は実行力がある人が、固い意志を持ってしまった時の恐ろしさを切々と感じていたのであった。


 「そ、そんなことより……!! いい曲だったんですよね?! ご褒美とか……ほしい……な?」


 とりあえず、ゆかさんを変なテンションから脱しようと私は、上目遣いになっておねだりを試みる。しかし、人生で初めてやったかもしれない、上目遣い。うちの父親はこんなことしても、微塵も効かなかったからね。


 とりあえず、ゆかさんにはいったん、ブレーキをかけていただかないと。本当にプロデビューまでこぎつけるようなことはないだろうけれど、ゆかさんに火がついてしまえば本気で私をプロデュースするとか言いかねない。そうなると本格的に音楽活動を徹底的にするようになるだろう。多分、生活様式もそれなりに変わってしまうわけで、私はまだこの一方通行だけど幸せな同棲生活を気兼ねなく楽しんでいたい……。


 「ご褒美……?」


 ゆかさんがすっと細く閉じた眼を向けて私を見た。あれ、セクハラポイント……たまんないよね?


 そんな変なこと言ってないよね……?


 明確な根拠もなく恐怖してしまう。


 日常的にセクハラをかましすぎていて、曖昧な言葉はその気になれば全部セクハラに聞こえる。


 そんなふうに、私が日常の報いを受けていると。


 抱きしめられた。


 溢れんばかりに抱擁された。


 ゆかさんの柔らかい胸が頬に当たる。


 え?


 「まい、私、何万円……払ったらいい?」


 「え?」


 「10じゃ足りないかな……20くらい、いるよね」


 「えと……その、お金的なサムシングではなくてですね……こう、触れ合い的な……いや、ハグはしてるんですけど。てか、金額高くない?!」


 「むしろ安いよ!! 感動はお金で買えないんだよ?!」


 「のわー!!! 矛盾してますー!! そんなことよりーー!! 私はこういちゃいちゃ的なものが欲しいのです!!」


 叫んだ。あらん限りを。ゆかさんも叫んでいた。そろそろご近所からの苦情が怪しい。


 「じゃあ、まいポイント20!! いや、30!!!」


 「なんでしたっけ、それ!!?? 」


 「まいが10ポイントで何でもお願いしていいやつ!!」


 「やったーーーーー!!!」


 私は叫んだ。もろ手を挙げて。やったー!! 30だーーーー!! お願いできるーーー!! 三回もーーーー!!




 …………………………三回も?




 「え? 三回もお願いできる?」


 「うん」


 「え?」


 「え?」



 いいの……?




 とりあえず、その日の夜は、添い寝をしてもらいました。


 ちょっとえっちなこと……とか考えていたけど。


 その日は集中力を使い切ったのもあり、生理もあり、叫び過ぎたのもあり……。


 ついでに、ゆかさんのお胸まくらが柔らかすぎて、一瞬で寝付いてしまいました。


 とても暖かかったのを、ただ覚えています。


 はい。


 以上。





 もっと、堪能すればよかったーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!




 

 ※



 今日のセクハラポイント:0


 累計のセクハラポイント:48



 今日のまいポイント:30


 累計のまいポイント:30⇒20

 (※添い寝で10消費)



 今日のゆかのプロデュースポイント:20


 累計のゆかのプロデュースポイント:60

(※100で会社を設立してまいをプロデュースし始める)

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