第9話 女の子が好きなあなたが細すぎる

 その夜、ご飯を食べ終わってまいがトイレにこもっているころに。


 そっと唇をなぞってみた。


 初めて。


 唇と唇を触れ合わせた。


 20代も後半になって、初めての感触。行為。


 ファーストキスと言葉にしてしまえば、気恥ずかしくて。


 同時に未だに、そこまでまいに求めれている意味が理解できていないでいた。


 この年に至るまでに、私は未だに人に好かれた経験なんてなかったのだと、そう思い至る。


 まったく、あの子は私なんかのどこがいいんだか。


 ふうと息を吐いた。


 水の流れる音がして、慌てて唇から指を離した。


 なんだか、見られてはいけないところを見られている気がして。


 振り返ると、トイレから出てきたまいは若干、涙目でそれと……なんていうんだろう、自嘲っぽい笑みを浮かべていた。


 「ゆかさーん……すいません、生理用品お借りしました」


 「あー、いいよ……っていうか、生理だったのね」


 「みたいです、なんかみょーに落ち着かないわけで……」


 「じゃあ、しかたないね、あったかいの入れようか?」


 「うう……ありがたいです」


 それからまいは若干、ふらつきながら食卓に帰ってきた。私は軽く笑いながら、電気ケトルで湯を沸かして、何がいいかなあと棚を漁る。


 っていっても、ココアくらいしかないな……。はちみつしょうがとかは冬場じゃないから備蓄がない。


 「まい、ココアでいい?」


 「はい……なんでも……コーヒーでも、紅茶でも」


 「カフェインとんないほうがいいよ? ま、ココアもちょっとカフェインあるわけだけど」


 「あったかければ何でもいいです……」


 「はいはい、ちょっと待ってね」


 湧いたお湯でココアを溶かしてから、牛乳を入れてレンジに突っ込む。


 まいを振り向くと机に突っ伏して、ううと呻いていた。


 「そんな重い人だったんだ、まい」


 「いや、普段はそうじゃないんですけどね……」


 ふうんと、私は首を傾げて、少ししてからレンジから出てきたココアを混ぜて、まいに渡した。体調でも悪かったのかな。


 「あったかあ……」


 「…………」


 まいがちょっと落ち着くのを待ってから、それとなく、聞いてみる。


 「今回だけ重かったの?」


 「ええ……、なにぶん久しぶりなもので」


 「久しぶり……?」


 ちょっと期間が開いてたのかな。まあ、退職もしてるし、色々とストレスとかあったのかな。


 そう、私が思っていると。




 「はい、私あんま生理なくて……




 そんな事を言った。


 …………ん?


 「え? なん……で?」


 「え? ええと……独りで住んでる時って基本、食事も睡眠もぐちゃぐちゃだったんで、私、生理ほとんどこなかったんですよね。いやあ、久々に自分が女だって思いだしました、はは」


 力なく笑うまい。


 あれはあれで、便利でしたけどねーなどと宣う。


 いやいや、生理不順って立派な病気なのだけれど。


 しかも、継続的に? そういえば、前お風呂で身体を洗った時、随分と細かったような。普段、ゆったりした服を好むから見逃してたけれど……。


 席を立って、まいの側に回り込む。まいはココアをすすったまま、はてと首を傾げる。


 まいの首を触る。肩を触る。腰を触る。胸を。お腹を。足を……。


 触られて、何やらまいがもじもじしているのはこの際、無視する。


 「まい、今、体重、何キロ……?」


 「え? もうだいぶ測ってないから……。前は40なかったかな……?」


 「………」


 私より、10キロ以上、少ない。まいのほうが身長は高いのに。


 若干、冷や汗をかく。


 生理不順の原因は大雑把にわけて二つ。


 過度なストレス。


 そして、極端な健康不良。


 すなわち、調


 私はこの一か月半……何をしていたのだ。何故気付かなかった。


 「まい……ちゃんと、ごはん食べよっか?」


 「え? ゆかさんちに来てからはだいぶ食べてますよー? 多分、生理が復活したのも……」


 「とりあえず、お肉中心に野菜と炭水化物をとってーーー、今までの量から極端に増やしたらしんどいから段階的に増やしてーーー、それから適度な運動と、これも段階的にーーーー。ちょっと睡眠も改善しないとーーーー」


 「ゆかさん……?」


 「ごめん、まい。火が付いたから。ちょっと、本気でまいの健康のこと考えるからね?」


 「あ……はい……ありがとう……ございます?」


 心中で、自分の頬をはたいて気合を入れる。


 これは、ちょっと本格的にやらないと。



 ※



 それから、私は翌日から段階的にまいの食事の量を増やしていった。


 朝ごはんにゆで卵を一つ増やすところから初めて、ゆくゆくはヨーグルト、野菜、果物も追加していく。一つ一つは少量でもいい、とりあえず多種類をとらせる。


 お昼ご飯は作れるときはお弁当を、作れない時は最低限これだけは食べる様にとメモを持たせる。コンビニでも買える栄養のあるものを調べてリストを渡しておく。


 夜ご飯はいつもより豪勢に。ひたすらに割り増し、肉も野菜もお米もたくさん食べさせる。デザートにちゃんと果物とかも用意しておく。


 朝やお風呂上りに、まいを誘ってヨガやストレッチを行うようにした。私も最近使ってなかったヨガマットを引っ張り出して、まいにもトレーニングウェアとマットを買い与えた。


 しかし、トレーニングウェアを着ると、改めてまいの細さっぷりがよくわかってしまう。早く健康体にしてあげないと…。そんな焦りに支配されたまま、私は可能な限り手を打ち続けた。もちろん、継続を前提にして。


 今思うと、引きこもり脱出時にやった諸々が経験として生きているんだな。


 あの日々も、今役に立つことを思えば無駄じゃなかったわけだ。


 そんなふうにして、およそ三日がたったころ。


 「お弁当めっちゃヘルシーって感じですね、朝田さん」


 会社で由芽さんが私のお弁当を覗きこんで、そう口を零した。


 「ちょっとね……同居人の身体づくりに私も合わせてて」


 同時にお弁当を作るので、必然、私のお弁当もかなり健康的なものになる。前までは由芽さんと同じようにコンビニのお弁当とかおにぎりを頬張っていたから、たしかに急な変化に映るのかもしれない。


 「同居人? 恋人さんですか?」


 「いや、そういうのじゃないよ。居候みたいな感じ」


 「ヒモ……?」


 「ヒモ……ではないな……推し?」


 そしてあなたの推しでもあるわけだけど。


 「朝田さん、ダメですよ。男に金注ぎ込むようになったら。相手はATMとしか見てませんからね」


 由芽さんはちょっと憐みに満ちた視線で私を見てきた。いや、あなたの一推しの歌い手なのだけれどね、とは流石に言えないが。


 「そんな爛れた関係じゃないよ……。妹、みたいな? ちょっと仕事失くして社会復帰中だから私の所に来てるの」


 「ほへー」


 「その子があまりに細すぎてさあ、最近、栄養失調で生理すら来てないって言って、これはやばい……と思ってね」


 「うわー、ダメ子ちゃんですね」


 散々な言われようだ。『マイカ』がそうだと知った時、彼女はどういった顔をするのだろうか。……あんま、幻滅とかはしなさそうだな。それはそれで、アリとか言いそう。


 「でも、すごいヘルシーで美味しそう……。朝田さん、うちにお嫁に来ませんか? 私にも毎日みそ汁を……」


 「はは、私、そーいう趣味ないから」


 「ふられたー。っていうのは冗談として、構い方がガチですねえ。推しって言うほど、かわいいんですか? 今度、写真見せてくださいよ」


 「うん、あー、……今度ね」


 まいの写真、見せても大丈夫かなあ……あの子、顔出しはしてないから、分からないだろうけれど。


 それはそれとして。


 構い方が、ガチ。ねえ。確かにそうかも。


 昔、引きこもりから脱するために、ダイエットしてた時もここまで必死じゃなかった。もっと緩かったし、危機感もなかった。


 自分以外のことだから? それとも、まいのことだから?


 どっちだろう。


 考えながら、ペン回しの要領で、お箸を一本指の中でくるりと回した。


 回転したお箸はお互いに干渉することなく、元の形に綺麗に戻る。


 「わ、めっちゃ綺麗」


 「でしょ?」


 食事中は行儀が悪いから止めなさいと、親に散々怒られたんだけどね。


 

 ※



 「そーいえば、こんなに一杯ごはん食べてお金大丈夫なんですか?」


 「それくらいは余裕あるよ、まいのお金も考えたらむしろ余り過ぎるくらい」

 

 お肉と魚をたっぷり盛り付けたお鍋を囲みながら、私とまいはその日、そんな話をしていた。


 「でもですねえ、今までの食事で私はじゅーぶん改善されてたんですよ? ゆかさん」


 「そうなの?」


 「はい、なにせ前はほとんどインスタント出来合い生活でしたし、食事自体抜いてる時も多かったし、徹夜もざらだったので。ゆかさんと暮らし始めてから、明らかにちゃんと食べてるし寝てますよ。お風呂ちゃんと入るようにもなりましたしね」


 「それは……よっぽど酷い生活してたんだね……」


 「はは、お恥ずかしい限りです。でもおかげで、体調はよくなってますよ。生理が来たのも結局、ちょっと身体が普通に戻ったからでしょうしね」


 「あー……」


 なるほど、この一か月半の生活もまんざら無駄ではなかったのだ。


 そうかんがえれば、少し、救いはあるだろうか。


 「でも健康になったことで、痛みが増えるのってどーなんでしょー……」


 「それはまあ、不条理だねとしか……」


 「どうせ、ゆかさんと子どもはできないしなー。お金ができたら全摘しちゃおうかな」


 「えー……それはやだなあ。まいの身体が傷つく。それに未来の技術でなんやかんやできるかもよ?」


 「なんやかんや……? うーん、女性同士の子どもとか? ゆかさんの子どもなら、私喜んで孕みますよ。あ、でもゆかさんが孕むのも魅力的……」


 「生理の改善的な意味で言ったんだけどね。ちょっとその葛藤、私にはわかんないかな。セクハラポイント1ね」


 「えー……。わかって欲しい……」


 まいはちょと渋い顔をしてむくれた。


 二人で手を合わせて、食事を終えて、まだ身体が重い彼女の代わりに私が洗い物をする。


 「あー、でも生理も悪くないですね」


 背後でまいがそんなことを言っていた。振り返らずに声をかける。


 「なんで?」


 「いっつも優しいゆかさんがもっと優しいですから」


 「何それ」


 思わず、笑う。洗い物に手を動かしたまま。


 「しんどい中、優しくしてくれるゆかさんの背中見てたら、ああ、ここが天国かなって思えますもん」


 「ほんと、何それ」


 「だってゆかさん天使ですし」


 まったく、こんな私のどこが天使なのか、笑いながら、そんな話をする。


 「ねえ、ゆかさん」


 「なあに、まい」


 「好きです」


 「だから私、そーじゃないって」


 「はい、知ってます。でもやっぱり好きだなって」


 私の後ろで机にもたれたまま、まいが私のことを見ている。


 私は洗い物をしたまま、なんてことはないことをしたままで。


 ま、こんななんてことはない私で、幸せになってくれるなら。コスパがいいというか、お安い御用かな。


 「まあ、まいが幸せそうでなによりかな」


 「はい、とっても幸せです」


 振り返ると、まいはとびっきりの笑顔で笑っていた。



 ※




 今日のセクハラポイント:1


 累計のセクハラポイント:48


 今日のゆかの母性ポイント:10


 累計のゆかの母性ポイント:20

(100に到達すると、ゆかさんにペットとして一生養われる)

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