第6話 女の子が好きなあなたがバイトするー①

 「といーうわけで、私、今日から、本屋でバイトを始めました」


 「え…………?」


 「月、4万くらいはゆかさんにお渡ししますね。残りの分はすいません。自分のお金に使わせてください」


 「え…………………?」


 「いえい! ちょっと自立しましたよ! ほめてゆかさん!…………ゆかさん?」


 「………………なんで?」


 ある日の朝、唐突にまいはそんなことを私に告げてきた。


 私はただ、呆然と彼女の言葉を聞くのみで。


 そして呆ける私を置いて、彼女は今日、初出勤なのですと意気揚々とバイトに向かっていったのだった。


 ……なんで、だろ。なんでなんだろう。


 まい唐突な行動も、それにショックをうけている自分にも答えが出せなくて。


 その日、私はさっぱり仕事に手が付かなかった。



 ※


 「朝田さん! 今日、前言ってた会をしましょう!! 『マイカ』について語りましょうよ!」


 なんで、なんだろ。


 そんな言葉が頭の中で、延々と反芻されている。そんな日。


 ぼけーっとして、我ながら今日は大層ポンコツだった日の昼休み、後輩の由芽さんにそんな声をかけられた。


 ああ、そんな約束もしてたっけとあやふやな頭で考えながら、私は彼女に手を引かれるがまま会社近くのファーストフード店に連れ込まれていた。由芽さんの眼は爛々と輝いており、好きな物を語る人間特有の眼をしている。対して私の眼は、多分、今、非常に濁っていることだろう。非常に対照的だ。


 二人で早々に注文を終えて席に着くと、由芽さんは待ちきれないとばかりにスマホをいじると、まいの、つまり『マイカ』の動画を検索し始める。


 「いや、ほんと、私が今日が楽しみで楽しみで仕方なかったんです! 『マイカ』の曲を誰かと語れる日が来るとは。あ、とりあえず、私の好きな曲はですね。『恋ガタリ』と『届けない』、もう最近はこの曲のツートップですね。ここ半年でマイカは一気に覚醒したっていうか。感情の歌い方が上手くなりましたよねー。再生数がぐんと伸び始めたのも、やっぱいいなって思ってる人がそれだけ増えたってことでしょうね。あ、でも前期の曲もいいのあるんですよね『夢ガタリ』とか、『迂遠な自殺』も私めちゃくちゃ好きなんですよね。あのダウナーなのに、前向きって言うか? あーもう、そういうとこ! みたいな感じがビンビンに響きますよね?!」


 検索に指を動かしながら、早口で『マイカ』の歌について語りだす彼女に若干気おされながら、私は、はあ、とかうんとか、そうねとか、適当な相槌をうつ。我ながら、気が持っていかれていてそれどころじゃない、とは言えなかった。


 「朝田さんは何の曲が好きですか?」


 「え……なんだろな」


 質問を飛ばされて、ようやく呆けていた頭がゆるゆると回りだす。まいの曲で好きなもの? 全部。旧い曲も、新しい曲も。全部。


 ーーーとは、答えにくいので一・二曲に絞らないといけない。


 うーん……なんだろ。


 「『震えた指』……かなあ」


 私の答えに、由芽さんは若干、考え込むような顔になった。それから数瞬後、思い立ったようにはっとした顔をする。


 「滅茶苦茶、再生数低いデビュー曲じゃないですか?! 渋いとこ来ますね……」


 「うん、初期から見てるから、やっぱ思い入れがあるかな」


 唸る由芽さんに私はははと笑う。


 『震えた指』はまいが初めて動画投稿した曲で、当時、まだ音源の取り方とかがちゃんとわかっていないまま作ってあるから、かなり音質が荒い。並べられた歌詞も曲も、注目され出した今の曲に比べればやっぱりシンプルで、注目度は低い。あと、私が路上で聞いた最初のまいの曲でもある。当時は文字通り震えながら歌っていたけど。


 「あー……さてはなかなかの古参ファンですね。私もしかして、今、にわかやってます?」


 「いや、全然、気にしてないよ。大丈夫、大丈夫」


 あー、厄介な古いオタクみたいなセリフだっただろうか。無難に最近の曲を言っておけばよかったかもしれない。由芽さんに気を遣わせてしまったかな。


 何よりにわかとか、そういうのは多分、まいが一番気にしてないし。あの子は昔からいるファンだろうが、最近のファンだろうが、気にしてない。誰に褒められても喜ぶし、誰に言われても微妙な評価だと落ち込んでる。すぐ小躍りしたり、俯いたりするから、私はコメントを読まなくても新曲の評価が大体わかってしまう。


 「よかったあ、古参の、しかも仕事の先輩の前でにわかファンとか思われてたら生きていけませんでした」


 「誰もそんなこと思わないでしょ……、ファンが増えてくれだけでありがたいんだから」


 「いやあ、朝田さんみたいな人ばっかりじゃないんですよー、なんていうか、独占欲? みたいなの発揮する人たまにいるんですから。この歌い手は最初は私が見つけたんだーとか、投稿の頃からコメント残してるからーって言って、にわか来るなみたいな人、本当にいるんですよ? 気持ちは分からなくもないけど、新参減ったら歌手のためにならんってわかるでしょうに」


 「あー…」


 そういえば、他の歌手のコメント欄で見たことがある気がする。有名アニメとタイアップしてから、視聴者がガンと増えてたっけあの歌手も。


 まいは多分、今、そこまで有名じゃないからそういう厄介な人はいない……はずだ。


 「ま、何より、好きになったのに順番なんて関係ないですもんね。私、朝田さんが古参でも熱量では負けませんよ?」


 「そこ、勝負するとこ? 私も乗ったらいいの?」


 「いえ、全く。私は同好の士と感想を共有したいだけです!!」


 「だよねえ。感想とかどれくらい好きかとか、なんて人それぞれだし」


 「はい! とりあえず前置きはこれくらいにして『恋ガタリ』の話していいですか……?」


 「前置きだったの、今の……」


 昼休みをフルに使って、私は由芽さんの『マイカ』の曲のいいところ10選を聞くことになった。彼女が語り終えたころには、私は苦笑いと疲労感を多量に抱えて昼休みを終えることになる。熱量がすごいってのは本当だったね……。疲労を抱えた私とは裏腹に、由芽さんは非常にすっきりした笑顔で仕事に戻っていった。


 ※


 帰りの電車で、私はふと思い立って『震えた指』を聞いていた。


 まいが歌った、最初の想い。


 辛さの中で、それでも前を向く歌を。


 彼女が最初に私の前で歌った歌を。


 いつかの路上での出会いを。


 震える彼女を。


 頭の中で、由芽さんの声がする。


 独占欲? みたいなの発揮する人たまにいるんですから。


 この歌い手は最初は私が見つけたんだーとか。


 なぜか、その言葉が頭の奥で木霊みたいに反響し続けていた。


 まい、もう帰ってるかな。


 ※


 家に帰るとまいは、エレキギターを抱えてヘッドホンを着けて、確かめるように音を鳴らしていた。


 いつもと、真剣味が違う。眼は細められ、息は細く、長く、指は一つ一つの動きを確かめるみたいにじっくりと動かされていく。時折、脇に置かれた楽譜に乱雑に何かを書きこんでいく。


 集中してる。没頭している。


 ただ、音のことだけを、想いのことだけを、見ている。


 彼女の歌が、今、創られている。


 「あ、お帰りなさい。ゆかさん」


 そうしていた彼女が、ふと気づいて眼をこちらに向けた。


 「ただいま……、もしかして曲作ってた?」


 「あ、はい。多分、もうちょっとでできるんで。ご飯の準備、それからでもいいですか?」


 「うん、いいよ。待ってる」


 私は笑って、冷蔵庫に少し寄ってから簡単な下ごしらえだけして、まいの部屋に戻った。


 ドアを開けても、気付く様子はない。


 本当にただ、それだけを見ている。


 私はすこしでも集中の邪魔にならないように、彼女の視界から外れた位置に静かに腰を下ろした。


 することもないので、静かにまいを見る。


 細く鋭くなる眼、指は静かに滑らかに、時に激しく音を震わせる。時折、何かを口ずさむように口が動く。言葉の一つ一つを確かめるみたいに紡いでいく。彼女にさえ聞こえればいいその言葉は私には届かない、聞き取れない。幾許かの後、楽譜に何かをひたすらに刻んでいく。


 彼女の歌が、今、創られているんだ。


 聞き手の私はただじっと、それが出来上がるのを待っていることしかできない。


 眼を閉じて、か細い彼女の独り言に、部屋の隅で独り、耳を澄ませていた。


 ※


 最後に何かを楽譜に書き加えたまいは、急にどろんと身体全体の力を抜くと地面に寝転がった。穴の開いた風船のようにぐにゃぐにゃと力が抜けていく。


 「っぷはー、できたぁ……」


 「おつかれ、まい」


 私がそう声をかけると、まいはへらっと力のない笑みを浮かべた。さっきまでの真剣な顔とは大違い。そのギャップに思わず私はくすくす笑ってしまう。


 「ごめんなさーい、ゆかさん。思ったより時間かかっちゃって。今、何時です?」


 「んー? 九時だね」


 「どぅえっ?! す、すぐご飯の準備しますね?!」


 私がそう言うと、まいは慌てたように立ち上がるとキッチンに向かった。ただ、途中でヘッドホンのコードが絡まって、わたわたと慌てている。かわいい。


 私は慌てる彼女の後ろについて、キッチンに向かう。一応、今日の料理当番はまいなのだ。


 「下ごしらえだけしてあるよー、あ、ご飯も炊いてる」


 「助かります! というか、ごめんなさい!!」


 「ふふ、ゆかさんポイント8で許してあげよう」


 「久々に聞いた、それ!! なんのやつでしたっけ?!」


 「後で、まいは私にマッサージねー」


 「それくらい、喜んで!」


 笑いながら大慌てでご飯を作るまいを見ながら、私はお風呂をお沸かして、出来上がりをゆっくり待っていた。


 心のざわつきは笑顔の彼女を見ている間にいつのまにか落ち着いていた。


 ※

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