第3話 別にそうでもないあなたとお風呂に入る
好きな人とお風呂に入るのって、どんな気分なのだろう。
私はゆかさんのことが好きだけど、ゆかさんは別にそうでもない。
ゆかさんの家の小さな浴室。
ひと月ほど私も使った、見慣れた浴室。
そこで湯舟に口まで浸かってぽこぽこ泡を吐きながら、ゆかさんの到来を今か今かと待つ。
じゃあ、約束だしお風呂入ろっか。
夕飯の後、ゆかさんはひどく何気ない風に私にそう言ってきた。
いや、ゆかさんにとってはこれはきっと何気ないことなんだろうけど。同性とお風呂に入る。見られて困るものでもない、それだけのことなのでしょう。
しかし私にとってはそうじゃないんだよ、ゆかさん。わかってるぅ?
好きな人と裸を見せ合う。
好きな人と肌を触れ合わせる。
好きな人とお風呂に入る。
私にとってこれは、ある種、夢みたいなもので、ゆかさんと結ばれたらしたいことランキング堂々の三位だったりしたのだけれど。
結ばれてないのに、したいことだけが叶ってしまうってのはどうなんだろう……。
でも、それはそれとして、興奮に滾る血は抑えきれないのが悲しいところ。でもやっぱり、これでいいのかなって気持ちも消えない。そんな期待と不安を困惑で混ぜ混ぜしながら、私はゆかさんの脱衣が終わるのを、湯舟の中で膝を抱えながら待っていた。
「まい、入ってだいじょーぶ?」
「だ、だいじょーぶです」
ゆかさんの声がする。私はちょっと慌てて返事をしながら、浴室のドアを振り返った。
浴室のドアが独特の音を立てて横にスライドする。
当然。
ゆかさんは。
裸体で。
裸で。
まる、まま、見えて、しまう、わけで……。
細い首が。鎖骨が。肩が。脇腹が。胸が。へそが。お尻が。大事なところが。足が。指先まで。
何もかも。何もかも。
見えて、しまう。
私はいろんな感情に耐えきれず無言で顔を伏せた。
「まい?」
急に顔を伏せた私にゆかさんが、心配げに覗き込んでくる。
そうしているだけで、鎖骨がうかがえる。当然、少し下を窺えばありとあらゆるものが露になっている。
「今、ゆかさん直視したら……セクハラポイント今日で使い切る自信あります……」
「はは、大げさだなあ」
うつむく私の上で、ゆかさんがあははと笑う。
「うう……大げさじゃないんですよ……」
「まいは大変だねえ」
感情を抑えるのに必死な私の隣でゆかさんはころころ笑う。それから、風呂桶が湯舟につけられ、ゆかさんが身体を流す音がする。
見えていないのに、その光景がありありとイメージされてくる。うおお、煩悩が溢れる……。
「入っていい?」
「はい……」
自覚できるほどに顔が熱い。ただでさえお風呂に入っていて、顔が熱いのに……、これじゃあ、すぐのぼせてしまいそうだ。
ゆかさんの足が私の正面の湯舟につけられる。程なくして、ゆかさんが身体全体を湯舟につける。二人分の身体が入って、溢れたお湯がざぁと音を立てた。
水位の上がったお湯がうつむいていた私の鼻に少し当たる。それから逃れようと顔を上げて……。
ーーー正面を見てしまった。
ゆかさんが笑顔で私を見ている。その全てが見える。その全てが近くにある。手を伸ばせば触れ合える距離で、小さな小さな浴室に二人きりで。
「お願いが叶った感想はどう? まい」
「うー……、最高です」
「あはは、なんで泣きそうになってるの」
「だって、だって……うぅぅ」
感情が溢れて、零れてしまいそうになる。なんだか、本当に涙が出てしまいそうだった。
「本当に好きだから、こういうの夢だったんです。だから、叶っちゃって嬉しいんだけど、だけど、その結ばれて叶ったわけじゃないから、ちょっと寂しくもなっちゃって……」
「……そっか」
ゆかさんの優しい、いつものそんな笑み。
「おかしいなあ、……本当はあれですよ? 折角だし、いっぱいゆかさんのえっちな姿を堪能しようとか、たくさんスキンシップとっちゃおうとか、考えてたんですよ? なのに、いざ本番になったら、……はは、こんなんなっちゃいました」
「そかそか」
ゆかさんは笑ったまま、優しく私の頭を撫でる。お湯に濡れた手が私の頭を撫でるたび、まだ洗っていない私の髪を濡らしていく。
私は膝を抱えたまま、まともに前も向けないでゆかさんに撫でられていた。情けない。みっともない。でもでも、寂しいのは本当だった。本当は、結ばれて受け容れあって、この形になりたかった。何も心配しないでこの在り方になりたかった。
……でも、こうやって傍にいれるだけで幸せなんだけどね。たとえ思いが叶わなくても、一緒にこうしていれるだけで幸せなのだけれど。
「まい、こうやってるの……しんどい?」
「いえ! むしろ嬉しいんです、ちょっと寂しいだけで。比率で言ったら嬉しい8、寂しい1、えっちな気分1くらいです!」
「そっかー、えっちな気分1かー」
あ、と思わず声が漏れた。恥ずかしさを誤魔化すために、言ってしまったが……これは、セクハラポイントたまる……パターン。
「……?」
「どーしたの? まい」
と、思ったのだがゆかさんはなんてことはないというふうに、湯舟に浸っている。リラックスしたような表情で。今の……普段だったら絶対セクハラポイント取られてる、よね?
私が疑問に首を傾げていると、ゆかさんはふふと笑ってそのままグーっと伸びをした。
「あー、足伸ばしたいなー、まいちょっと足開けて」
「あ、はい」
一人暮らし用のお風呂はひどく小さくて、正直、二人で入るのにはいささか手狭だ。だからさっきまで、私たちは体育座りみたいな窮屈な姿勢だったのだけれど、言われるまま足を開く。自分の胸や大事なところが見れているという羞恥心はあったけど、とりあえず、言われるまま。開いた足の隙間にゆかさんの足がするりと伸びてくる。ひざ下を通って私の太もも辺りまで。
「ふー、これで足伸ばせるよ。まいも伸ばしていいからね」
「はい……」
言われるまま足を伸ばす。ゆかさんの足に負担をかけないように隙間を探して足を伸ばしていく。同じような体勢になって、ゆかさんの太ももに私の足の指が少し触れる。ちょっとどきっとしたけれど、ゆかさんはあんまり、気にしたふうじゃない。
私はこんなにドキドキしているのにね、まったく。
「ごめんね、あんまり気持ち考えてあげられなくて」
そんなときに、ゆかさんがちょっと、言葉を、零した。呟くように、小さな声で。
「え?」
私がそう問い直しても、ゆかさんは相変わらず笑っているばかりで。
「そうだ、体洗ってあげようか」
「ええ??」
次の言葉に疑問もまとめて押し流されてしまった。
「遠慮しないのー」
ゆかさんはそう言って、湯舟から身体を上げると、風呂用の小さな椅子の前にしゃがんだ。
「ささ、お客さん。身体流しますよ? シャンプーはいかがなさいます?」
何気ない様子でそんなことを言ってくる。私から触ったら、セクハラポイントだってのに、自分は遠慮なく触ってくるよなあ。
私は内心、ため息をついて、湯舟から上がった。
まあ、仕方ない、なにせこれは片思いなのだから。
ゆかさんからは溢れんばかりもらえるけれど、私の想いは渡すことは許されない。
そーいう関係。
一方通行で、ちぐはぐな。そういう関係。
恋をしているのは私なのに、想いをくれるのはゆかさんばかり。
与えたいのは私なのに、与えてくれるのはゆかさんばかり。
噛み合っているようで、絶妙に噛み合わない歯車が、ちくたくちくたくと音をたてて回っている。
ゆかさんの前に座って背中を向ける。
ボディソープの容器を押す音が何度か聞こえてくる。
ゆかさんの手が背中に触れる、熱が、体温が直に私の身体に触れている。
これにドキドキしているのも、きっと私だけ。
でも、おあほな私の心はこうしているだけで結構幸せなわけで。
仕方ないねと笑ったら。
「どうしたの?」
とゆかさんに聞かれたから。
「ゆかさん好きだなーって思ってました」
と答えたら。
「はいはい、ありがとう」
ゆかさんはそう言って、笑うのでした。ゆかさーん、それ私の気持ちの何割受け取ってるんですか?
一割でも取ってくれてたら、いい方じゃないかなって苦笑いが浮かんでくる。鏡は湯気で曇っているので、見えてなどいないでしょうけど。
それでも。
悲しいかな、一つの事実として。
満たされてしまっているわけで。
泡にまみれた背中を流されながら。
ああ、こんなんでも幸せだなって思う。
そんな、今日この頃でした。
※
「ところでこれ、私が洗うターンは……?」
「え? まいからするのはダメだよ?」
「どうしてですかぁ?!」
「え? だって私の体洗ってっていったら、まい、おっぱいとか大事なとこ触るでしょ?」
「そんなことは……ありま……せんよ?」
「うん、そうだね。で、本当の所は?」
「……触ります、ちょっと、事故を装って……」
「うん、そこは信用してる。まいは触るよね。だからね、ダメ」
「うう……信用ってなんだろ……」
そういえば、この日は不思議なことにセクハラポイントは一度も貯められなかった。
※
今日のセクハラポイント:0
累計のセクハラポイント:37
今日のまいポイント:0
累計のまいポイント:10⇒0(おねがいごと:一緒にお風呂)
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