第2話 女の子が好きなあなたと別にそうでもない私

 お風呂から上がったころに、キッチンで水を飲んでいるとかすかな音を耳が拾った。


 弦が振動する音。


 まいがギターを弾いている音。


 音に誘われて、まいにあてがった部屋のドアを開ける。ノックは省略、多分、ヘッドホンをしていて聞こえていないだろうし。


 まいの部屋に入ると、案の定、まいは真剣な表情で黒いエレキギターを抱えて弦を鳴らしていた。


 ヘッドホンで聞いてるから、実際の音は聞こえないけれど、弦をはじく大まかな音は聞こえてくる。これは、確か、まいが作った曲だったっけ。私は髪をタオルの中にしまいながら、元からうちにあった座布団に静かに腰を下ろした。


 邪魔したくなかったけど、気付いてしまったみたいで、まいがヘッドホンを外してこちらを見た。


 「ありゃ、ゆかさん、どしたの?」


 「ん? お邪魔じゃなければ演奏会聞きに来たの」


 私がそう言うと、まいはちょっと照れたように笑う。


 「いやー、人前で演奏すんのは相変わらず慣れないんだけど」


 「まあまあ、練習だと思って」


 私がそう言うと、まいは軽く息を吐いてエレキギターの弦を止めた。そして、脇に置いてあったアコースティックギターを取り出す。アパートだからね、エレキギターじゃ、ヘッドホンなしでちゃんと鳴らせないのだ。


 「あ、でもあんまありおっきい声で歌っちゃダメだよ? ご近所さんから苦情来るから」


 「はいはい、わかってますよ」


 私が指に唇を当てて、しーっとするとまいも真似して唇に指をあてた。二人でくすくす笑う、誰にも聞かれぬ秘密のコンサートだ。


 練習のためにジャランとまいが音を鳴らす。一瞬だけあまり普段見ない真剣な表情をする。


 私はこの表情が好きだった。


 「リクエストは?」


 「ん? んー、じゃあ、サウダージ」


 「悲恋の曲だなあ…………、心に染みるわ」


 「えー、じゃあ、アゲハ蝶」


 「それも悲恋の曲では……?」


 「え、そうなの?」


 あれは悲恋の曲なのだろうか、まあ、言われてみれば確かにそれっぽくもあるか。


 「まあ、よろしゅうございますがね」


 まいは軽くため息をついた後、ふーっと息を吐いた。私はじっとその姿を見守る。


 ゆっくりと弦がはじかれる。ほんとはアップテンポな曲だけど、まいはゆっくりとその曲を弾いていく。優しく、穏やかに、どこか寂しく、まいの高い声がゆっくりと音を紡いでいく。


 小さい頃に聞いたこの曲はもっと激しいイメージがあった、格好いいイメージがあった。だから、さっきまいに悲恋の曲って言われた時はいまいちピンとこなかったけれど。うん、なるほどこうやって聞くと確かに悲恋の曲だね。


 報われない想い、それでも届け、見止めてと願う。


 まいなりの、ご近所に気を遣ったアレンジなのだろうけれど、その曲とまいの声はとてもとても、静かな夜と嚙み合っていて。


 悲しい曲なのに、どこか心の奥に綺麗なものを残してくれる。


 何よりそれを歌って奏でるはまいはひどく真剣で。歌うということにただただ、没頭しているのがよくわかった。


 そういう、まいを見ているのが、私は何より好きだった。普段はセクハラしたり、すぐえっちなことを言ってきたりするが、こういう時にはスイッチが入ったみたいに真剣になるその様が好きだった。歌を想いを奏でるその姿が。


 きっと、きっと誰より想いを込めて、きっと誰より曲を感じて、きっと誰より歌にのめり込んでいる。


 そんなまいが、私は好きだった。


 ふふ、なんか、これのろけみたいだね。


 まあいいでしょ、なにせ私はこの小さな歌手のファン一号なのだから。


 今日、この場で私のためだけに開催されたコンサートは、その特権みたいなものだよね。


 ひっそりと、心の中で自慢するくらいいいでしょう。


 歌い終わって、まいは優しく弦を止めた。


 私は少しだけ余韻に浸って、ご近所迷惑にならないように小さく、拍手をする。


 「へーい」


 まいはちょっと照れながら、ピックを高く掲げる。でも恥ずかしがってるから、あんまり締まらない。


 「照れ屋な所さえ治れば大成すると思うんだけどなあ」


 「恥じらいも、一種の感受性なのですよ、ゆかさん」


 顔を赤らめたまま、まいはそう言った。


 まいは音楽をやっているけれど、バンドとかを組んでるわけじゃなく一人だ。


 あんまり人前に出ることもなくて、曲の発表もネットの動画投稿サイトとかでしかやってない。その動画投稿ですらいちいち、反応を心配したり身もだえしたり忙しい人なのであるが。まあ、そこも愛らしいとこだね、というのはファン一号のひいき目かな。


 「はー、顔あつい。で、次のリクエストはなんでしょう?」


 まいは手で顔に風を送りながら、私にそう問う。確かに、顔はほんのり赤くなってる。集中してたからか、照れなのか。照れだね、多分。


 「んー、じゃあ、まいのオリジナルのやつ」


 「え、あー……うん、昔のにしよっか」


 「ううん、最近のがいい」


 まいの指がピタッと止まる。それから顔を赤らめたまま、じりじりと私に顔を寄せてくる。何とも言えない表情で。


 「ゆかさん、最近の私の曲の内容をご存じで?」


 「うん、愛してるの曲とか、恋が報われないとか、そんな曲ばっかだね」


 ここ、半年くらい、まいの曲はわりとずっとそんな感じだ。半年前って言うとあれだね、ちょうどまいが告白してきて、私が断ったくらいの頃だね。


 「ゆかさん、絶対わかってて言ってるじゃん!!」


 「へへへ、でもそれはそれとして曲は好きだからさ」


 「鬼! ひとでなし! かわいい!! 天使!!」


 「ねー、歌って?」


 「あー、もうわかりましたよ!!」


 まいはしばらく悶えて、羞恥心と戦っていたけれど、しばらくすると諦めたように体勢を戻してギターを持った。


 しばらくの逡巡の後、ギターが音を奏でだす。


 まいの高くて透き通った声が、音を、歌を連れてくる。



 あなたへ、想いは届かない。届かない。


 伝えど、想いはどこかへ消えてく。


 それでも、あなたは優しく笑って。私の手を取るのでしょう。


 あなたへ、想いは届けない。届けない。


 震えど、言葉はあなたへ消えてく。


 それでも、私は寂しく笑って、あなたの手を取るのでしょう。


 ずれた、歯車。刺さらぬ、鍵穴。触れえぬ、唇。溶け出す、心で。


 それでもあなたを、愛していますと。


 伝えて、それでも笑っているから。


 まだね想いは、あなたを向いてる。あなたを見てるの。あなたを想うの。


 

 

 最後にギターの弦を優しく抱いて、まいは歌い終わった。


 とても、とても悲しい曲、でもまいの綺麗な心がそのまま歌われているみたいで、涙が滲んでーーーー。


 「まい、いい曲だねえ……」


 「ゆかさんに!! 振られてできた!! 曲なんですけどね!!!!」


 涙ぐむ私の鼻をすする音と、顔を真っ赤にしたまいの絶叫がアパートに響いていた。でも、不思議と苦情はこなかった。


 「はー…………日々のストレスが浄化されていくよ……」


 私はどこか心が洗い流されたような気分になって、リラックスモードで息を吐く。


 「私は今、現在進行形でストレスがマッハなのですが……」


 対するまいはどこか疲弊したような声で布団に顔をうずめていた。ありゃりゃ、拗ねさせちゃった。ギターはどこかに投げ出されて、もう今日は弾いてくれなさそうな感じ。


 仕方ない、どうにか機嫌を戻してもらわなきゃ。私の大事な、歌手さんなのだから。


 「そう? んー、じゃあ、まいポイント10貯めていいよ?」


 「なにそれ……?」


 まいは布団に顔をうずめたまま、そう、問うてくる。どうでもいいけど、ジーパンをはいたお尻がつきだされて、丁度いい場所にあるから、撫でれそうだななんて思った。まいじゃないのでしませんが。


 「え? 10貯まったら、まいは私になんでも一個お願いしていいよ?」


 「え………………? なんでも?」


 まいの顔が布団からガバっとはがれる。眼もとにはまだ紅潮した赤さが残っているけれど。あまりにも分かりやすすぎて、私は思わず苦笑した。


 「うん」


 「え――――」


 「えっちって言ったら、セクハラポイント5ね」


 口を開いた瞬間に、先読みができてしまった。伊達に36ポイント貯めてないね。


 「ーーーーと、なにしよっかなー」


 子犬を轢きかけた自動車ばりに、急カーブで言葉をひん曲げたまいは、冷や汗が浮かんだ顔でしばらく思案する。


 私はそのさまをにこにこしながら見守る。さてさて、何を言うのかな。


 「うんうん、なんでもいいよ。いい曲、聞かせてもらったお礼だし」


 これは、噓偽りなき言葉、まあ、まいなら、無理矢理迫るとかそういう酷いことはしないでしょう、っていう信頼も込めてだけど。


 「…………お」


 「ん? なに?」


 まいが口を開いたけど、うまく聞こえなかったので、聞き返す。


 「おふろ……一緒に……とか」


 指を突き合わせて、俯いて、顔を真っ赤にしながら、私より少しばかり身長の高い女性がそんなことを言ってくる。


 ファンとしては写真にでも撮っておきたいけど、お風呂……かあ。


 「私、入ったばっかりなんだけど……」


 「ですよね?! はい、次の考えます!!」


 まいは慌てたようにそう言って、なぜか正座になった。なぜ。私は軽く息を吐いた。


 「明日ならいいよー」


 「そっか、明日なら…………ええ!! ゆかさん、いいの?!」


 私がそう告げると、まいは驚愕したように眼を見開いた。驚いた勢いで私に迫ってきて肩を掴まれる。私はその様子に若干気おされつつ、頷く。

 

 「う、うん」


 「セクハラポイント……貯まらない?」


 「まいのお願い聞いてるんだから、貯まらないよ」


 「まじっすか……」


 まいは自分で言っておいて、顔を真っ赤にして唸りだした。その後、なぜか意気消沈したり、また顔を真っ赤にしたりなかなか忙しかった。はてさて、あの素敵な曲を産みだす頭の中で何が起こっているのやら。


 私は苦笑いをしながら、喉が渇いたのでリビングに水を取りに戻った。


 それから、もう少し話がしたくてまいの部屋に戻ったころ。


 「ん? セクハラポイント5を犠牲にすれば、ゆかさんとえっちできる…………?」


 一人、ぼそぼそとつぶやくまいを目撃した。


 「その発言がセクハラポイント1かなー」


 「私ってほんとばかっっ!!」


 その後もまいは顔を真っ赤にしてあれやこれやと妄想にふけっていて。


 お風呂くらいで大げさだねえと、私はくすくす笑うのでした。




 ※




 今日のセクハラポイント:1


 累計のセクハラポイント:37


 (※100で今後について相談)



 今日のまいポイント:10


 累計のまいポイント:10


 (※10でゆかにお願いができる)

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