近くて遠い

 舞扇まおう駅の北口に程近い商店街。そこは普通の駅前商店街に比べたら、ずいぶんと活気だっている部類に当たるだろう。

 服に関して疎い俺ですらその名を知るブランドの支店から、大手グルメ雑誌やらで取り扱われる料理店まで。ありとあらゆる商業施設が軒を連ねているのだ。


「ここ、ここだよ」


 そして俺たちもまた。森咲もりさきに連れられる形でその内の一軒。「パティシエ」と可愛らしいフォントで印字される看板の店に来ていた。

 店の自動ドア越しにも香ってくる甘い匂いから、ここが何かしらのスイーツを取り扱っている店だと分かる。


「なあ森咲。入るなら一人で入れよ」

「えー、なんでー?」


 俺の横で分かりやすくしかめっ面を披露する圭介けいすけ。しかし。その気持ちは痛いほどに理解できる。


「そうだな。それじゃ俺は外で待ってるから、二人で行ってくれば良いんじゃないのか?」

「おいあゆむ、逃げんなよっ」

「いや。圭介は甘いの好きだろ?」


 よく森咲のお菓子を遠慮もなく拝借しているのだから。


「そうじゃなくてさ。それじゃまるで――」

「そう見えないと、意味ないだろう?」


 この手の店に相応しい客層。それは――女の子か、もしくはカップルだろう。


「もう、早く入ろうよー」

「ほら圭介、行ってこいよ。カノジョがお待ちかねだよ」

「くそっ、覚えとけよ」


 言うものの。素直に森咲と店に入って行く辺り、どうにも満更でもない様子だ。


 二人が甘ったるい香りで釣ってくる自動ドアに吸い込まれる様を見送った後。俺は近くのベンチに腰を据えた。

 赤いレンガが敷き詰められる小洒落た道を見降ろしながら、先程のことを喚起させる。

 水戸という森咲の友達。その兄が見せた目。それがどうにも気がかかりで仕方がないのだ。この身でいうのも難だが、妙な胸騒ぎがして収まらない。


「考え過ぎ、だよな」


 息を吐きながら視線を上げる。

 レンガ調の道とは打って変わり、視界の先にはいかにも日本風の古びたビルが並ぶ光景。それはあまりに不釣り合いな様で。思わず苦い笑いが漏れてしまう。


「俺もきっと、こんな感じなんだろうな」


 普通ならそこにあるハズの鼓動が感じられて来ない胸に手を当てて呟く。

 人の形を成してはいても、今の俺はマキナ曰く――不死族アンデッドと違わない身らしい。それに。何よりも俺自身がその事実を身を以って実感してしまったのだ。

 弱音ではない。決して後悔しているわけでもない。が。どうにも圭介たちと過ごしている内に、俺の中では無意識にあいつらとの間に距離を感じてしまうようだ。

 二人との時間が楽しければ楽しい程に。それは遠くに感じてしまう。


「どうにもダメだな、俺って」




 それからずいぶんと経った後。電車通学の圭介と別れた俺と森咲は、駅から自宅までの交わっている部分の帰路を並んで歩いていた。


「何か久々だったからさ、楽しかったよね」

「そうだな」


 駅前の絢爛さはどこへやら。一歩レンガ調の道を外れてしまえばそこは、どうということもない。集合団地が建ち並ぶ合間の平素な道に出る。

 街灯の灯りで照らされる森咲の胸元に抱えられている、大きな黒いネズミのぬいぐるみ。ふいにその突き出た鼻先が俺の視界を占領してくる。


「これ、ありがとね」


 スイーツ店の後に寄ったゲームセンターでたまたま俺が取ることのできた、UFOキャッチャーの景品である。


「運が良かっただけだよ。まあ、喜んでくれたなら良かったけどさ」

「やっぱネズミーマウスって可愛いよね」


 安易に訳せば――ネズミねずみ。

 改めて耳にすると酷くお粗末なネーミングに思える。が、悔しいことに。愛嬌たっぷりな見た目は、その名前の限りではないのである。


「森咲は本当に好きだよな、それ」

「うん。それにね――ネズミーランドは思い出の場所だから」


 楽し気に見える表情に反して。言葉は次第に沈んでいく。


「私のお母さんとお父さんってさ、去年の終わりに離婚したんだよね」


 思い掛けない言葉に。俺は森咲の方から視線を逸らして前を向く。


「そう、だったのか」


 今の高校に入ってから早くも二ヶ月が経つ。

 たったそれだけの時間しか共にしていない仲ではあるのだが、それでも。俺は森咲という人間を分かった気になっていた。

 でも。それは酷く浅はかな気持ちだったのだ。


「ごめん。少し空気、悪くしちゃったよね」

「いや、いいよ。俺こそ変なこと聞いて悪かったよ」

「これでお互い。裸同士の付き合い、だねっ」


 もう一度、森咲の方を見やる。と。そこにはいつも通りの笑顔があった。


「妙な誤解を招きそうな言い方だぞ、それ」

「あれ、また間違ってた?」

「いや。間違ってはいな――」


 その瞬間。俺の視界は暗転――いや。俺はこの感覚を知っている。知ってはいるが、どうして。どうして今なんだ……。



 ◆◇◆◇



 再生されていく俺の頭部。戻ってくる視界は薄ぼやけた夜空を映す。再開される口からの呼吸はやはり。喉から直接にするものと違って慣れ親しんだ感覚がある。


「はぁはぁ――」


 二度目だが。やっぱり慣れるものでもない――“生き返る”というのは。

 慌てて身を起こすと。そこは意識が途絶える直前まで居た場所で相違ない。しかし。


「森咲?」


 隣に居たはずの森咲の姿は見当たらない。

 さらに周囲を見渡してみると。少し先の街灯の下に黒い影が見える。あれは――ネズミーマウスだ。

 立ち上がった勢いのまま駆け寄るとやはり。それは森咲が抱きかかえていた物で間違いない。


「何が起こってんだよ、くそっ」


 地面に向かって悪態をつく。が、状況は変わるわけもない。落ち着け。落ち着いて思考を巡らせろ。脳に言い聞かす。

 俺を襲ったのは恐らく、魔族だ。それなら森咲は――いや。分からない内に落胆するのはやめた方がいい。しかし。

 嫌な想像は俺の募った焦燥を掻き乱す。


「俺のせいだ。俺の――」


 ――下僕よ。泣き言を吐くことが今の最善か?


 どこからか、声が聞こえた気がする。幻聴――いや。それは直接、俺の脳へと語りかけて来るマキナの声だ。


「マキナか?」


 だが、返答はない。そこで気付く。今のは俺の想像だ。

 マキナならばそう言うだろう、と。


「分かってるよ――分かってはいるけど、どうすればいいのかが、分からないんだよ」


 再び地面へと向く視線。しかし。


「何度も言わせるでない。泣き言はもう、十分じゃ」


 またしてもマキナの声が聞こえる。だがこれは――いや。


「マ、マキナ?」

わらわが直々に動いたのじゃ。感謝せい」


 街灯の灯りを挟んだ暗がりの先から歩いて来るマキナ。それは幻覚ではなく。本物のマキナだった。その手には白い制服のワイシャツが握られていた。



 団地群を外れた先。海に近くなるに連れて、ちらほらと見えてくるようになる倉庫らの。その内の一つで、俺の先を腕組みしたまま歩き進めるマキナの足は止まる。

 ゆっくり振り返ってくると。マキナは言った。


「ここじゃ。間違いない」


 大きな紅い瞳に険しさが伴う。


「ここに森咲が」

「最初に言っておくが。あくまで妾は下僕、お前の身体に残った魔力の感じを辿って来ただけじゃ。友人の安否までは――」

「分かってる」


 俺はマキナの方を向き直さず。老朽化の程が酷い倉庫を見やったまま告げ、歩み出す。

 近付くに連れ、扉や外壁のサビ付きはより醜く見えてそして。俺の内の激情は、その激しさを増す。


「いやあああ――」


 薄く開いたままの扉の隙間へ手を掛けようとした時。俺の耳に女性の――森咲の悲鳴が届く。

 そこからはもう。俺の理性は砕け散ったも同然になる。


「森咲っ!」


 勢い良く扉を開け放つと。薄暗い庫内の奥から男の怒号が響いてくる。


「誰だっ!?」


 そして。


「ほお。何故、生きている?」


 天井が抜けているのか。上から降り注ぐ青白い月光に照らされる、人ならざる姿をした――獅子の顔にも見える顔相を歪めて笑う魔族が見えた。

 そいつの身体つきは顔とは違い、筋肉質な人間の男のようで。褐色の体毛に覆われているものの。胸板の膨らみや六つの腹筋の割れ目はハッキリと確認できる。

 歪だ。その姿はまさに――歪な化け物だ。しかし。


「森咲は奥か?」

「女のことか――それならば、我が契約主マスターが味わおうとしている最中。邪魔だては――」


 駆け出す。もはや聞いていられない。

 その饒舌じょうぜつを塞ぎ、森咲の元へ行き、こいつの契約主を――殺す。


「人間風情がこの私を――身の程を弁えろっ!」


 近付く獅子の形相はやはり。憤りを覚えてもなお。歪。

 しかし。走り掛けに取り出した剣の刃を向けるよりも寸分はやく。何かが俺の腹部を貫いた。痛みはある。だが。


「そんなんじゃ――」


 止まらない。そう言い掛けたのだが。


「よく見ろ、人間」


 下半身の感覚が――ない。いや。それどころか。

 視界が前のめりに地面へと移ろう。


「あ……がっ」


 身体が真っ二つにされた。そう理解する頃。俺の身体は再び、元の様相を取り戻す。そして。前のめりになった状態のまま剣先だけを前に向け、駆け出しを再開させる。


「なっ――」


 魔族の驚嘆は声だけ。その間の抜けた表情を捉え損なったのは惜しい。が、どちらにせよ。それも歪だ。

 剣先があいつの身体に突き刺さる感覚はそれこそ。驚く程に、何ら手応えもない。だが。

 硬質な物体が身体にぶつかる感覚でようやく。俺は顔を上げる。


「魔族風情が」

「こ、この――」


 その腕が動くよりもはやく。俺は腹部に刺さった剣をそのまま振り上げる。

 やはり。刃はすんなりと魔族の身体を裂き、首よりも少し横から出てくる。


「バカ、な……」


 花が開くように裂け目から割れる魔族の上体。

 一歩退いて見やるその表情は、驚嘆と恐怖が入り混じった様子で。殊更ことさらに醜悪だ。

 そこで妙なのは、切り口から流れ出すハズの血らしき液体が見られないことだ。その代わりにあるのは。微細な白い気泡をふつふつと湧かす、黒ずみ。

 終幕の間際を飾る叫びを以って、名も知れぬ魔族の息は事切れたようで。興奮状態にあり震えていた手の、小刻みな振動が収まった頃。俺は改めてその死に様を直視する。

 宙を舞う埃すらも浮き彫りにさせる月明かりの怪しい美しさのせいなのか。それとも。それが人ではないことに起因してなのか。俺の内へ訴えかけてくる罪悪感は、その殆どが確かな形を成していない。


「もり、さき――そうだっ。森咲っ!」


 様々な感情に揺らされて曖昧になる脳が、ようやく俺に当初の目的を思い起こさせる。

 鉄骨やらダンボール、付け加えて瓦礫の類い。それらが不鮮明にする視界のなかを、それでも凝らすと。暗がりの先で動く一層に濃い影が見えた。

 駆ける、というよりは。自分のものであって自分のものでない。そんな中途半端な感覚の身体が、見えない糸に引っ張られるかのように影の見えた方向へと進み始める。


「静かだな……あいつ、殺ったのか?」


 ダンボールを潰す灰色の塊の隙間から声が聞こえてきた直後。人ひとりがギリギリで通り抜けられるかどうか、という些細な合間からスキンヘッドの色黒な男が顔を出してきた。

 闇夜のなかだが。その男はサングラスを掛けて――いや。そいつがどんな格好をしていようと、どんな人柄だろうが。もう、どうでもいい。


「ん、誰だお前――」


 どうせすぐに。


「ばっ、やめ――」


 生きた人間でなくなるのだから。

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