届かぬ声
俺と橘が離れに戻った時。俺は自らの弱さを恨んだ――いや。呪った。
「リム、ル……」
畳の上に伏せる魔族の姿をしたリムルの傍で膝の上に子猫を乗っけた状態のまま座るマキナ。彼女から向けられる紅い瞳が語り伝えてくるのは、責め。それとも蔑みか。
言葉という分かりやすい形にはしないからこそ余計に、詳細に伝わってくる。
「のぉ下僕。魔力を失った魔族がどうなるか、予想はできていなかったわけでは無かろう?」
しかしマキナは言葉を繕った。
「まさか……」
それは多分。いや、絶対に。俺に明確なことを伝えるためだ。
「お、俺は――」
全身から力が抜け落ち、立っていられなくなる。
「愚かしいのぉ下僕。やはりお前は底抜けに愚かしい畜生だ」
俺はリムルを自分の手で――死なせてしまった。あんなにも俺を慕ってくれて、想ってくれていたのに。
あんなにも――
「うわああああっ――」
勝手に動き出した身体は自然とリムルの元へと寄る。
眠ったように穏やかに見える彼女の頭を手ですくい上げる。が、あの綺麗な紅い瞳を見せてくれることも。いつもみたいに回してくる両腕が動くことも、ない。
「リムル、目を覚ましてくれよっ! いつもみたいに笑ってくれよっ、いつもみたいに……頼むよ」
視界のなかのリムルの顔が歪んでくる。
出会ってから未だ短い時間だった。しかし。それでもリムルは俺にとっては大切な存在になっていたんだ。決して失うなんてこと、したくなかった。けど。
「リムル……」
俺の声はもう、届かない。
「嬉しいよ、マスター。リムのこと、そんなに好きだったんだね」
「ああ――え?」
頬を赤らめ、紅い瞳を潤ませるリムル。いや。なんで?
「おい淫魔。タネを明かすのがちと、早すぎるのじゃ」
「だって、凄く嬉しいんだもん」
タネ?
「楽しんでるところ悪いけど、二人とも気をつけた方がいいと思うわよ?」
そうか。リムルは生きていたのか……。
「なにをじゃ?」
「違うよマスター? これはマキナが――」
良かった。本当に、良かった。
「マスター?」
「生きててくれて、良かった」
嬉しさのあまり、慌てて身を起こしたリムルを抱きしめる。
「痛いよ、マスター」
耳もとで囁いてくるリムルの声が嬉しくて、それがとてつもなく嬉しくて。俺はしばらくそのままでいた。
窓から入る陽に赤の色合いが混じりだしてきた頃。ようやく落ち着きを取り戻せた俺は改まってリムルとマキナに謝罪した。
「ちと悪戯心が過ぎていた点に関しては、
「ああ。だからこそ、ごめん」
「もういいってばマスター」
マキナの顔にもそして、リムルの顔からも俺を責め立てる意思は感じ取れない。しかし。
俺が犯してしまった事の重大さや、自分自身でも擁護のしようもない情けなさから。口から出る謝罪の言葉は後を絶たない。
「それよりさ。君には謝罪の意を示すよりも先に伝えるべきことがあるんじゃないの?」
赤毛を耳に掛け直しながら告げられる橘の言葉。それに抑揚はなく。どうにも気になる口調である。
俺のことを諭すべくして発せられた言葉にしては、どうにも感情が込められていなさ過ぎる。それはまるで。学校の購買部の前で会った少女が発した言葉と同質なものに思える。
無関心。ここへ来て橘から受け渡される言葉に付与された感情がそれである。彼女はいったい、何が気に食わないのだろうか……。
「あ、ああ。分かったことを関節に言うなら――先ずは被害者の魔法使いは胸を矢でひと突きされていたこと。それから、他に目立った傷はなかったことだ」
「ふむ。しかし下僕、それだけか?」
敢えて言葉足らずに聞かせてくるが、要するに。ここまで大仰に動いて得た成果がこれだけか、とマキナは言いたいのだ。しかし、見限られたものだ。
「それだけじゃない。男が殺された場所からはちょうど、俺とリムルが居た場所は木の陰になる位置にあったんだ」
「成る程ね。それでリムルと君は無事だったわけ、か」
「悪運だけは――と云いたい所じゃが。戦いに於いて運とは、それ以上にない唯一無二の武器じゃからのぉ」
橘は軽く。マキナは腕組みしたまま大仰に頷いて見せる。が、俺と同じく当事者であるはずのリムルだけは違っていた。
「どういうことなの、マスター? リムたちのラブラブパワーが凄いってこと?」
頬を赤らめながら満面の笑みをもって小首を傾げる。
わざと言っているな。
「まあ、それは置いといて。つまり犯人の魔法使い、あるいはその使い魔は、離れた位置から男を狙い撃ったってことになると思う」
「しかし、弓となると少しばかり厄介な相手になるのぉ」
「どうしてだよ?」
「それを説明するともなれば、相当の時間を掛けなくてはならぬ。それはちと面倒じゃ」
言うに事欠いてか、それとも本心か。いずれにしてもやはり。情報共有という観点から見れば、この場には相応しくはない言葉である。
「あのな。そういうこと言い出したら――」
「兎にも角にも。今はそういった敵が居る、という認識を持つだけで十分じゃ。それ以上は良いだろう」
やはり本心からのものか。引き下げられるまぶたがそれを物語っている。分かりやすいヤツだ。
「ねえマキナ。もしかしてそれって
「なんだ淫魔。わけ知ったような者の言い草じゃが」
「知り合いってか。あっちで見知った射魔なら、この前見たんだよね」
それを聞いて身を乗り出すのはマキナだけでなく、俺や橘も同じだった。
「リムル、どこで見たんだ?」
「あの時だよマスター、学校で」
学校――嗚呼。一切の無駄な記憶を巡る間も無く、必要な記憶はすぐに喚起する。
リムルが橘の制服を拝借してやって来た日のことだ。
「それじゃなにか。一人の男を取り合ってた魔族と女の、その魔族の方ってことなのか?」
「うん、そう。確か名前は――アンビー、とか言ってたかな?」
「アンビー、とな……」
その名を聞くと、一瞬だけマキナの声量が増した。
「マキナも知ってるヤツなのか?」
「知っているも何も。アンビーは射魔の中では随一の実力の持ち主として、我が領地の内でも名高い者だったのじゃ」
いつものマキナならそこは。もう少しばかり雄弁に、そして大仰に語る所だと思うのだが。その声色は思いの外、彼女にしては心許ない印象を受ける。
「なら。そいつは強いと考えて間違いないんだな」
「そうじゃな。一切の隙すらも許さない輩じゃ」
煌めかしかった紅玉の光沢は薄れ、マキナの瞳は既に。
夕食から幾ばくか経った後。俺は橘のお祖母ちゃんの着替えを手伝い終えて寝室から出てくるメアを、青暗い夜色に包まれる庭が見渡せる縁側に着いて待っていた。
すると間も無く。
「あっ――
目当ての人物の短く息を飲む音が聞こえた。その後で聞こえてくる声の色こそ、平時と変わらずに落ち着いたものではあるが。些か驚かせてしまったようだ。
「ごめん。少し聞きたいことがあって待ってたんだ」
「そうでしたか」
淵に腰を据えたまま上体を捻って振り返りながら説明すると、メアは微笑みを浮かべながらそう言って隣へ腰掛けてくる。
「聞きたいことと言うのは何でしょうか?」
「マキナのことなんだけどさ。こっちへ来る前のあいつって、どんな感じだったんだ?」
以前のこともある。だから断られても仕方がない。そう、覚悟していた。しかし。
当のメアは、少しだけ意外そうな目を向けて来ただけで。すぐに笑みを向けてくれる。
「それでしたら、私の方からもひとつだけお聞きして宜しいでしょうか?」
目を細めてから銀縁の眼鏡を外すメア。声色の方も落ち着いた雰囲気のままだが、柔らかい。と、感じた瞬間。
「これからお話しすることを聞いても――決して感情を動かさないと、お約束できますか?」
全てが逆転する。切り細いまぶたの隙間からこちらを凝視する紅い瞳は、瞳孔の幅が縦に細くなる。
それはまるで猫の目のようで、持ち合わせのない心臓の代わりに俺の焦点が鷲掴みに遭う。
「どうなさいましたか?」
丁寧な言葉遣いは変わらずだが。声の程は耳が凍りつくかのごとく冷たい。
きっとそれは、肝心の本題に入る間も無く動揺してしまっている俺に対しての指摘だ。「こんな様子ではとても聞かせられない」という。しかし。
「聞かせてくれ」
いなさらに退く、なんて選択肢は選べない。つぎの瞬間に断られることになろうとも、今はこう返す以外に他はない。
「その様子ではとてもじゃないですが、全てをお話しするわけにはいきませんね。――ですが、少しだけならお話しましょう」
まただ。メアはまた。そう言って笑って見せてくる。嘲りだ。それは嘲りの笑みなのだ。メアの中では今、俺との間に線を引かれたのだ。
仕方ない。仕方が無いがやはり。情けない。ことごとく情けない人間なのだ。俺は。
「ありがとう」
自分のことがまた、一段と嫌いになった。
◆◇◆◇
魔界を統べる王――魔王の名を冠する魔族に次いだ実力を持つ種に与えられる位。それは文字通りに《魔界第二位》と呼ばれるらしい。
第二位に座する魔族の種類は三種。
マキナは魔皇の父と上位種の魔族である
こちらの世界の言葉で称するのならば。マキナは貴族を親に持つお嬢様ということだ。が。
順風満帆とはいかなかったらしく、幼い頃に両親を欠いてしまったようだ。その点に関しての詳細なことを彼女は俺に伝えることはしなかったのだが。
そして。
「ここから先のことは、お嬢様に直接お聞き下さい」
メアは生い立ちに関しての掻い摘んだ説明だけ聞かせ、そこで話を切った。今の俺が知っていいのはどうやら、ここまでらしい。
見当違いのもどかしさを覚えながらも。俺はメアに礼を告げて離れへと戻ろうとした。その時。
「歩様」
メアの冷めた声に呼び止められた。
「最後にひとつだけ――お嬢様はこちらへ来てから随分と笑う姿を見せられる様になりました。そのことに関しては感謝致しております」
皮肉だろう、と思う反面。良かった、と思う自分もどこかに居る。
もっと強くなろう――漠然の程が酷い決意だが。咄嗟にそう思ったのだから、それはきっと純粋な想いに違いない。
床の軋む音に紛れる庭先を滑る夜風の声が妙に寂し気に聞こえた。
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