違和感
――間一髪、というものじゃな。
頭の中で声がする。聞き覚えのある声だ。
――それにしても下僕。お前は本当に寝転がるのが好きなようじゃな。
その口調、マキナか。しかし妙だ。どうしてここにマキナがいるんだ?
――魔力で繋がっとるのじゃ。いやしかし。もう少し離れておったら一大事だったのぉ。
一大事――そうだ。俺は死んだんだ。右足を消し飛ばされて、頭を潰されて……潰され、て?
ならどうして、どうして今こうして会話しているんだ。俺は誰だ。ここはどこだ。お前は誰だ。
――狼狽えるなっ! 下僕、忘れたのか。今のお前は
なら俺は――生きている?
◆◇◆◇
どういうことなのか。再び覚醒した感覚が伴う。
「はぁはぁ――」
起きざまに手で確認する。右足はある。当然、頭もある。
「なっ、なんで?!」
背後から悲鳴のような声が聞こえ、俺は反射的に振り返る。するとそこには、樹木の根に背を預けて苦し気に肩での呼吸を繰り返すリムルの姿が。そして。
「マ、マスター」
その細い顎に手を添えようとした態勢のまま怯え切った目でこっちを見やってくる。赤いニット帽を目深に被った男の姿。その傍に立つ――というよりはそびえている、と表した方がしっくりくる浅黒い肌の巨体が見えた。
巨体の方は言わずもがな。一目で魔族だと分かる。すると男の方は魔法使いだと考えるのが自然だ。だが。そんなことはどうでもよかった。
「お前――俺の使い魔に指の先でも触れてみろ。方法は定めないが。どうにかしてでも、生きてることを後悔させてやるからな」
強張って見せるよりは抑揚なく。この場合はその方が効果的だ。
理由はともかく。相手は俺に対して怯えた様子を見せてきているのだ。それなら、その恐怖を煽ってやればいい。それだけで――この場はやり過ごせる。
「くそっ――オーガ。良くわかんねーけど、死ぬまで殺してやれっ」
「ガアアッ!」
成る程。人生とは須く何が起こるか分からない。
オーガと呼ばれる魔族が背後に見える大木の太い枝のような腕を振り回したと思った直後。怪し気に光る二つの紅色が残光を描きながら動いて見せた。
自信の程などは情けないが。粉微塵も抱いていない。が。
「信じるぜ、
右手を空に掲げる。すると、ピリつく感覚が指先に走ったと思った瞬間。仰視する空の青の中に紫色の円が浮かび出す。が。
先よりも短いオーガの低い唸り声が聞こえてすぐ、視界が移り変わる――いや。腹部に走る激痛を鑑みるに。殴られて後方へと吹き飛ばされたのだろう。
「あっ――あぁ」
しかし何故だろう。痛みはすぐに消える。それどころか。
「意外に重いな、これ」
地に伏せる間際に掴んだマキナの剣の重さに戸惑う自分がいる。
どうにも感覚が麻痺し始めて来たのだろうか。この剣ならば勝てる。そんな考えに気分が高揚してくる。
「ば、化け物かよ……」
起き上がりながら見据える先。追撃の為に踏み込みを見せるオーガよりも奥。そこで呆然とこっちを見てくる男の顔がどうしてだろう。酷く滑稽に見えて仕方が無い。
「見るに耐えんな、
先には不意を突かれたが。それもたかだか一度きりの、所謂――事故というもの。事故は早々に起きはしない。
何せ、先からオーガの動きが酷く鈍速の程を強めて見える。これでは羽虫の方が幾ばくかは手を
「そこで寝ていろ」
振り下ろしてくる右腕を左前へ進む軌道で避け、迂闊にも無防備な脇腹に剣の先を向かわせる。そして歩み進める推力だけでそれを振り抜く。さもすれば後は。
「ガッ……ガアッ!?」
裂いて出来た傷は瞬く間に広がり、あの醜悪な唸り声も上げられぬ内に再起不能になる。
下位の魔族など、この剣に触れただけでその拙い命などは幾らでも奪えるだろう。これはそういった
「おい、嘘だろっ?! オーガ――」
「喚くな人間。お前ごときの声で鼓膜が震わされると思うだけで――はあ。こうして生を貰い受けたことに反旗を覚えるだろうが」
切っ先を男の喉元へ向け告げる――いや。違う。
違和感だ。どの地点からか、俺は俺じゃない何かになっている。そんな感覚に陥る。
「おい、あんた。今すぐにここからいなくなれ」
「た、助けてくれっ。ごめん。謝るからっ!?」
「いいから早く、消えろっ」
最後にヒィッ、と漏らしてから男は走り去って行った。
これでいい。そうじゃないと、何か。何か取り返しのつかないことになってしまう。そんな気がする。
「マスターだよ、ね?」
違和感を引きずる曖昧な意識のなか、リムルの怯えた声がした……気がした。
静寂よりも静か。そんな無音に起こされたかのような感覚だ。それ程に寂しい空間で目が覚めた。
この匂いは畳か。それならここは。
「目、覚めた?」
それは久しぶりの音。いや、声だ。
この静けさに沿うようにしてか、リムルの声は珍しく小さなものである。それに、とても柔らかいように思える。
「リムルだけ、か」
「うん。みんなはご飯食べてるよ」
身体が上手く動かせないから首だけを声の方へ向ける。
そこには、枕のすぐ横で正座しているリムルの姿がある。今では見慣れてしまった人の姿を装った、あの姿だ。
「身体はもういいのか?」
「まだ本調子じゃないけど、大丈夫」
柔らかい微笑みだ。そう思えたからだろう。
自然と口から謝罪の言葉が出たのは。
「謝るのはリム――私の方だよ。迷惑掛けてごめんなさい、マスター」
囁きのように聞こえた声はしかし。涙声だった。
「迷惑だなんて思ってない。それにさ、今回のことは俺に非があることなんだから」
「そんなことないよ……私が勝手に嫉妬して、勝手に――」
もう、我慢はできなかった。
それにしても人間の体は神秘的だと思う。咄嗟になると何故か、それまでは動かせそうに無く感じていたはずだが。動いてしまうものだ。
「リムルは優しいんだな」
今日は俺の方から抱き締める。リムルの身体は思ったよりも細く、これ以上強く締めたら壊れてしまいそうだ。
「そんなこと、ない」
「優しいから、俺のせいにしてくれないんだろ?」
そういう人間を俺はもう一人知っている。
「違う。違うよ……私はマスターのこと、本当に好きだから」
声の震えは一層に強まり、耳もとですすり泣く音は聞いているこちらが辛くなる程だ。
「こんな俺でも、好いてくれるのか?」
「――大好きだよ」
身体を離しながらリムルの顔を正面に据える。もうなんていうか、その顔は涙でくしゃくしゃになっている。それでも。愛おしくて仕方が無い。そんな想いしか浮かんでこない。
俺はリムルのことが――
「ふう。ちと食い過ぎたかのぉ」
「メアの料理は絶品よね」
「
そんな時。背後からいつもの賑やかな声がすると、俺は“我に返った”。
「リムル、何した?」
「え――いや、私は何も」
それまでの泣き顔は一瞬にしてトボけ顏へと変わる。
「なんだ、起きていたのか下僕――て、何をしておるのじゃ?」
こっちが聞きたい。俺は今まで何をしていたんだ。
「あはは。元気になって良かったーマスター」
やや台詞口調でそう言うと、リムルは抱きついてくる。この感じ、やはりあれは夢ではない。俺はリムルを自分から……。
「マキナに続いて次はリムル。見境ないのね、君って」
「えっ、いや。橘?」
振りほどこうにもそこは魔族。リムルの力は尋常でなく強く、さらに身体の節々が悲鳴を上げている今となっては、あっちから離してくれるのを待つしかない。
嗚呼。どうにも今日は散々な日だ。つくづくそう思った。
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