違わなくもない日常



 教室の扉を潜るなり俺はクラスメイトの――主に男子にだが。いきなりの包囲網を敷かれた。その首謀者であると思われる圭介けいすけが偉そうに、ごほんっ、と咳をしながら近寄ってくる。


たちばなちゃんと同伴登校とは、これは如何な状況だ?」


 ややその目が血走っている気がするのは気のせいだろうか……。


「いや、たまたま道の途中で会っただけで……」

「そうじゃないのだよあゆむくん」


 やけに力強く俺の両肩に手を乗せてくる。


「昨日。君が橘ちゃんの机に手紙らしき物を忍ばせた、という証言があるのだよ。そうだろう、伊勢崎いせさきっ!」

「はっ! 間違いありませんっ」


 誰かも分からない男子生徒がビシッと敬礼して見せる。朝からどんなテンションなんだよ、こいつら。

 しかしそれも事実なのだが、この暇と元気を持て余している連中が想像するような動機で行った行為ではない。ましてや、こっちはその後で殺されかけたのだ。


「しかも君は昨日、何か思い立ったようにして昼休みに教室を飛び出して行った。親友だと自負するこの俺の静止も振り切ってな」

「は、はあ……」


 やばいな。圭介の目は真剣だ。ヒク程に。


「それで今朝の同伴登校……もはや言い訳の余地もない。残念だよ」


 お前たちの頭がな。


「あのさ、俺たちの姿を見たんだったら分かるだろ? あんな気まずそうな雰囲気を醸し出すカップルが居るか、普通?」

「ちょいとお早い倦怠期けんたいきだろ?」


 そう来たか……。

 正直、もう何を言っても無駄だとは思うが一応。


「昨日の返事を聞くために今朝、合流したんだよ」

「え、そうなのか? で、結果は?」

「お察しの通り――ダメだったよ」


 その瞬間。校舎全体を揺るがすのではないか、という野太い歓声が沸き起こった。



 昨日の非日常的な出来事が俺にそうさせるのだろうか。いつもならば睡魔を誘う以外の意味を持たない現国の教師が聞かせて来る“為にならない”小噺にすらも集中して耳を傾けられる。

 しかし、やはり無駄な話は話であり、ものの数分でその集中も切れ始める。そしてふと目を瞑ってしまう。


 ――心の臓だ。


 昨晩に起きた妻との些細でしょうもない出来事が延々と語られる、教師の声意外に何も聞こえない静かな空間にあっても聞こえてこない――いや。感じられてこない鼓動の違和感に思わず小さく息を飲む。

 かなりの高鳴りを見せているであろう俺の心臓は今、恐らくマキナがどこからか用意したガラスのような質感の透明な箱に収まっているのだろう。

 僅かに顔を滑らせてすぐ横の窓から覗ける空に目をやる。はっきりとした白と薄い灰色が混じる雲の隙間から青い空が見えるのだが、どうしてだろう。今の俺はそれすらも素直に綺麗だと思えない。

 心臓を抜き取られ、マキナが称すところの“不死族アンデッド”に近しい身体にされた今の俺が見ている物。その全てが、あの女がこしらえた物に思えてくる。

 実感――そうか。俺の頭はようやく実感したのかもしれない。

 今朝方。橘に向かって偉そうなことを語り聞かせたが、それは間違いだったのだ。俺はただ単に実感していなかっただけ。実感を伴っていなかったからこそ、自然体で居られたのかもしれない。


「いまさら過ぎるな……」


 ようやく自分の身に降りかかった事態に理解が追いついて来た。本当にいまさらが過ぎるってもの――


『ハロー』


 嘲笑に混じえて吐息をつこうとした瞬間。窓から見える中庭に見慣れた人影を発見してしまった。

 金色の長髪を後ろで一つに束ね、青く大きな瞳はここからでもその美しさが確認できる。そして学校へ向かう直前に見た服装とは違うものの、白いシャツの上からでも分かる豊満な胸はそいつが飛び跳ねる度に際どい程に短い赤いチェック柄のスカートと同様に大きく上下して見せる。


「り、リム――?!」


 予想外の訪問者の名を叫びそうになった口を慌てて両手で静する。


「ん、どうかしたのか。妹尾せのお?」

「いや、ちょっとその、吐き気が……」


 咄嗟に姿勢を前のめりにして苦しむ演技に努める。


「大丈夫かよ、あゆむ

「ちょっとマズいかもしれない……」


 さすがは“親友”だ。いいタイミングでの問い掛けだ。これなら。


「なら早くトイレに行ってこい。体調不良なら仕方ないからな」

「あ、ありがとうございます」


 教室を出るまでは腹と口に手を当てがってゆっくりと歩き進める。

 気を利かせてくれた扉付近のクラスメイトの女子が開けてくれた扉を潜る。と。


「あいつ、どういうつもりだ」


 そこで俺の主演男優賞モノ――は少しばかり言い過ぎな演技も終了した。



 そいつは微塵も悪びれた様子もなく告げてくる。


「ハローマスター。リムね、寂しくなって会いにきちゃった。テヘッ」


 真っ赤な舌先を出して片目を瞑って見せてくる。こいつは……。


「テヘッ、じゃないだろ。別に何をしてもリムルの勝手だし、それについて制限する気もない。けど、学校はマズイだろう?」

「私とマスターとの思い出の場所じゃない。来てもいいでしょう? 制服だってあの女から拝借したし」


 独特な。いや。もはや、その原型もとどめていない程に着崩していた為に気付かなかったが、確かにそれはこの学校の制服だった。


「あんまり好ましい思い出でもない気がするけどな」


 そう。俺は昨日、ここでこいつに殺されかけたのだ。


「出会いってのはね、少々過激なくらいがちょうどいいのよ。そうすればいつまでも忘れずにいられるでしょ?」


 そう言うと、何の予備動作もなく抱きついて来る。首元に回される腕の感覚が昨日のことを喚起させる。が。


「ありがとね、マスター」


 全身が強張りかけたその時。耳元で囁かれた。


「いきなり、どうした?」

「昨日は本当にありがと。マスターが居なかったら私、あいつに殺されたよ……だから。ありがと――」


 そう告げられた後、肩に乗せられていたリムルの顔が離れたと思った直後。俺の唇は柔らかい感触が軽く触れたのを悟る。


「お礼だよ?」


 紅潮したリムルの顔が傾けられる。その微笑みは相手が人外の存在であることを忘れてしまいそうな程に可愛らしく見えてしまう。

 だがそれ以上に。急にキスされたことによる思考の停滞は酷く、俺に大切なことを失念させる。


「お二人さん、こんな所で何をしてるの?」


 背後から聞き覚えのある呆の色が特に濃い声が聞こえてきてから、ようやく俺の思考は再起動し始める。


「あっ、いや違――」

「そういうことなのね。流され易いからーとか言ってたけど、本当はそのエロバカと楽しんだからスッキリしてたって訳ね」


 盛大な勘違いをしてらっしゃる橘は赤いジャージ姿で腕を組み、その色とは相反する冷笑を向けてくる。どうやらすぐそこの体育館からそのままやって来たのだろう。


「おい。昨日から人をエロバカエロバカ、って馬鹿の一つ覚えみたいに言うけどさ。そういうあんたこそ、頭ん中そーとーピンク色なんじゃないの?」

「聞き捨てならないわね……」


 俺に向けられていた冷笑は引っ込んでくれたが、事はさらにマズイ方向へと進み出してしまった。

 後ろのリムルも正面の橘の顔にも憤りの色が見え始めており、それの板挟みになっているのである。これは非常にマズイ。早く退避しなければ……。

 そう思って動き出そうとした時、俺の耳は妙な爆発音を聞く。


「なに?」

「この感じ……魔法よ」


 それまで一触即発な様相だった二人は揃って音のした方へ顔を向ける。その動きは完全に同調している。実はいいコンビなのではないだろうか。いや。それより。


「橘、俺はどうすればいい?」

「とりあえず君はここで待機。リムルは様子を見てきて」

「はい――よっ」


 橘に促されるとリムルは有無も言わずに背中から青い翼を生やして飛び立って行く。

 するとその様子を見届けた橘の茶色い瞳が再びこっちへ向いてくる。


「いい機会だから言っておくけど、なるべく一人の時は他の魔法使い――それと使い魔を見掛けても下手に干渉しないで」


 先のどれとも違う真剣な表情と声色。何故だろうか。相手は至極真面目な話をしていると言うに、その顔に見入ってしまう。


「聞いてる?」

「あっ、ああ。肝に命じておくよ」

「あくまで君は巻き込まれただけってこと、覚えておいてね」


 それは何気無く告げられた事実だった。

 でも。どうしてだか俺は言いようのない疎外感を覚えてしまう。そして、どこか除け者に遭っている気がした。


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