第2章『可愛い主』
一夜明けて
今朝は珍しく目覚ましが鳴るよりも先に目が覚めた。
「ぐ、ぐるじい……」
両サイドからのキツい抱擁が原因だ……。
「ううん……メア」
「もうらめぇ……」
魔界でも高位に当たるらしい
「た、助け、て……」
まだ見慣れることのない木目の天上へ手を伸ばす。と。
「朝からいい御身分ね」
頭上から
いや。どんな身分だよ……。
◆◇◆◇
離れの壁に空いた風穴を魔法で修繕している橘を横目に、俺は大きく伸びをする。
「自業自得ってやつでしょう?」
穴に被さるようにして展開される青白い魔法陣に向かって右手をかざす橘がふと漏らす。先刻の声色よりもさらに呆れの度合いが強く聞こえるのは気のせいだろうか。
「仕方ないだろ……あのままじゃ淫魔――リムルは確実に殺されてたんだし」
「魔族を相手に同情するなんて、お門違いもいいところなのよ? しかも、使い魔の契約を上書きまでして」
橘は盛大な吐息をついてから、まぶたを引き下げるじとっとした目を向けてきた。
そう。あの時の俺はどうかしていたのかもしれない。今にも泣き出しそうなリムルの潤んだ瞳を前に「俺の使い魔にする」なんて言い出してしまったのだ。
当然のごとく反対されると思っていたが、あの魔姫という魔族の女――マキナは意外にも了承した。「下僕の下僕ね」そう揶揄していたのだが、何故かその表情はどこか憂いを感じさせてきた。
その後。驚く程に大人しくなったリムルと契約者の変更手続きなる儀式めいた物を橘の手伝いで行ったのだ。
「それはそうと……少しだけ妙なことがあるんだけどね」
俺が昨晩のことを思い返していると、修繕を終えた橘が難しそうに眉間にシワを寄せながら近づいて来た。
「これはリムルに聞けばいいことなんだけど、彼女と契約した魔法使いが何ら抵抗してこなかったのが気になるのよ」
「それに関して俺は何も分からないけど、使い魔の契約ってのはそんなに簡単に変更できるのか?」
「普通はあり得ない……けど実際に変更できてる訳なのよ。だからこそ妙なのよね」
赤い髪の毛先をイジリながら口もとをすぼめている。
「それ、癖か?」
「へっ――?!」
長い髪がふわりと浮く。次いで見せてくるのは羞恥心による頬の紅潮。
昨日だけでずいぶんと距離が縮まってから気付いたのだが。それまではいつも澄ました感じに見えていた橘も、実はけっこう感情が表情に出易いタイプの人間のようだ。
「またやっちゃってた?」
「そんなに変な顔じゃなかったけどな」
「そんなって……少しは変だったってことでしょ?」
「まあ、普通ではないかと」
ガックリと双肩を落として見せる。やっぱり分かり易い人間だ。なんだかそれが嬉しくて、俺は思わず笑い声を上げてしまう。
「そんな笑うことないでしょうに……」
「いや。橘も普通に女の子なんだな、と思ってさ」
「あのさ。やっぱり君って私のこと化け物か何かだと思ってんの?」
「いやいや。花も恥じらう魔法少女だろ?」
さすがに怒った様子の橘が右手に拳を作って近付いてこようとした時、背後から小さな足音が近づいて来るのを感じた。
「おはよう下僕。朝から精が出てるではないか」
ドキリ、として振り返る。まあ身体の中に心臓はないのだけど。
「え?」
しかし。そこに居たのは眠た気に目をこする小さな女の子だった。
白銀の長い髪。紅い瞳。色白の肌。そして昨晩、橘が貸し与えた寝間着――は当初に比べたら大分ダボダボなのだが。
それらから判断してこの子は確かに――マキナだ。
「ん、どうかしたか下僕?」
「いや、どうしたんだよ。急に幼くなってないか?」
「ああ。戦時以外は魔力の消耗を抑える為にこの姿になるのじゃ。変かのぉ?」
不安そうに眉の端を引き下げて小首を傾げて見せてくるマキナ。
変。いや、むしろ――
「きゃーっ、可愛いーっ!」
音速すらも超えたんじゃないか。そんな錯覚を覚える程の速度で俺の傍を駆け抜けて行った橘がマキナに飛び付いて柔らかそうな頬に自分の頬を当てがって上下させる。
「うっ、止めぬかっ!」
「柔らかーい! ふふふふ……」
「ヒィッ……下僕、早くなんとか――」
酷く怯えた様相でこちらを見てくる。イイザマだ。
「さーってと、俺はリムルでも起こして来るかな」
「主の危機を見過ごすか、薄情者ー!」
主の断末魔を背に、自分でも醜悪な笑みを浮かべているのだろう、と分かる表情のままその場を退散した。
昨日の今日ではやはり変わることのない派手な和装を着込む橘のお祖母さんは、その見た目に違わない豪快な笑い声で言う。
「私は構わないわよ。ただし、できる限り食事は全員で食べること。それだけ守ってくれれば、離れで子作りだろうが何でもして構わないからね」
離れに住むことを快く了承してくれたのはいいが、どうしてこの人はそんなにまで“子作り”に関して積極的なのだろうか……。
「これで私も死ぬ前に曽孫の顔が拝めるってものよ」
はっはっは、と手を腰に据えて高笑いをする。そういうことなのか。
「あのさ、おばあちゃん? 朝から――しかも食事時にそういう話はしないでよ」
隣で正座を組む橘が茶碗を片手に憤る。が。
「孝行者のお孫さんで何よりですね、ご老体」
「あらあら。ずいぶんと難しい言葉を知ってるのね、マキナちゃん」
俺たちの向かい。お祖母さんの隣であぐらをかくマキナが、えっへん、とあの幼い見た目で偉そうに胸を張る。
こちらとしては構わないのだが、早くも主としての威厳が薄れている自覚はあるのだろうか……。
「まあでも、私の目が黒い内はそんなことはさせないけど、ねぇ?」
右隣りのリムルが俺の腕に自分の腕を絡ませ、次いで柔い感触が遅れてやってくる。
「あれ、二人はイトコじゃなかったのかい?」
「ご老体、イトコは結婚できるんですよ」
「ありゃりゃ、本当かい?」
ええ、と嫌に深刻そうな表情を作って向ける。マキナの奴、絶対に楽しんでいるな。
こんなことになるのであれば。この二人を「イトコの姉妹です」なんて紹介するんじゃなかったな。早くもお祖母さんと会わせたことを後悔し始めてきた……。
「ご馳走様」
やや不機嫌そうに箸を置くと、橘はカラになった食器をそのままにして立ち上がった。
歩き慣れない道を橘と肩を並らべて歩いているというのは、何とも新鮮でどこか気恥ずかしさを伴うのだが。朝食の際から漂う気まずい空気がそんな幸福感を薄れさせる。
「どうして――」
しかし。重苦しい沈黙は不意に破られる。
「どうして君はそんなに自然体で居られるの?」
怒り――とも少し違う。何とも表現のしにくい感情が向けられて来る。
「どうしてって……どうだろう、自然体に見えるか?」
「少なくとも、動揺してるようには到底見えないわよ」
戸惑いがない、と言えば嘘になる。でも。
「昔から俺ってさ。よく流され易い人間だ、って言われるんだよ……」
両親がいなくなった、あの頃からずっと。
「多分。俺って人間は、自分なんてモノがないんだと思う」
あの頃から常々そう思っている。
「……ごめん」
早朝以来の会話だったのに、抑揚の感じられないその一言を境に再び途切れてしまったのだった。
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