第3話
――三年が経っていた。野上は編集長と喧嘩をして、すでにM出版社を辞めていた。他の出版社に面接に行く気にもなれず、取り敢えずフリーターまがいの生活をしていた。
そんな時、総会屋の
〈正妻の座を射止めたのは、元ホステスの矢口雅子さん、三十三歳。雅子さんが勤めいていた銀座のクラブで出会い、――〉
……やっぱりだ。
野上は、上品な笑みを湛えた雅子の顔を
……はて、どっちが雅子の本質なんだ?
間もなくして、野上の中に、雅子への疑惑が芽生えた。
もう三年前に解決した事件だ。だが、
野上は一人、
確かに、ミナちゃんを殺したのは岩水だ。だが、岩水を犯行に掻き立てたのは、目に見えない雅子の
野上はなぜかしら、そんな妄想を抱いた。――
久しぶりに伊東と呑むことにした。一杯目のチューハイを飲み干す最中に伊東の顔が見えた。氷の音と共に空にすると、軽く手を上げた。
野上がビールとチューハイを店員に注文すると、伊東がテーブルを挟んだ。
「よっ、久しぶりだな。元気だったか」
「いやぁ。Mを辞めてからはこの歳でフリーターですよ」
「ま、独身だから、よしとしよう」
置かれたビールを手にした伊東がチラッと見た。
「梶原氏の結婚のこと――」
野上がそこまで言うと、
「はい、お疲れ」
と、野上の手にしたグラスに当てた。ゴクゴクと
「雅子と結婚――」
「ああ。俺も驚いたよ。総会屋の大物の相手が、幼児虐待で取り調べた、あの雅子様だもの」
野上の食べかけのホッケに箸をつけながら、皮肉まじりに言った。
「梶原氏はそのことを知った上で結婚するんですかね?」
野上は、ゴシップ好きな野次馬になっていた。
「その辺は分からんが、たぶん、隠しているだろうな。俺の推測では」
「万が一バレたらどうなりますかね?」
「つまり、梶原の度量を知りたいのか?」
「ええ、ま」
「女遊びも卒業して、最後に選んだのが雅子だ。雅子の過去を知ったところで離婚はないだろな」
黄土色の門歯の隙間から小骨を抜いた伊東は、おしぼりで指を拭いながら野上を見た。
「……」
考えるように野上が
「なんだ、また雅子熱が発症したか」
伊東が嫌味を言った。
「そうじゃなくて。なんて言うか、……あの頃の雅子とは別人のようで」
「そりゃそうさ。梶原が
「それだけじゃなくて、なんて言うか、内面的にも、陰から陽に変わった感じだし」
上手に説明できない野上は
「人間なんて、そんなものだろ。状況や環境が変われば、そりゃ内面も変わるさ」
野上の食いかけの揚げ出し豆腐に箸をつけながら、
「そう言うことじゃなくて……」
雅子への疑惑の旨を露骨に伝えられない野上は、半分諦めた。
「……もしかして、ミナ殺害は雅子の意図だと考えてるか?」
伊東の目が光った。野上は、ゆっくりと
「うむ……」
伊東は腕組みをすると、考えるような顔で、空になったビール瓶に目を
二本目のビールと刺身の盛り合わせが到着すると、伊東は一流のカウンセラーにでもなったかのように
「……雅子は自分の手を汚さないで、岩水にミナちゃんを殺させた。そして、自分が殺したと虚偽の自白をした。だが、逮捕されたのは岩水。つまり、
だが、伊東は聞き役に徹しただけで、明確な回答はくれなかった。なんだか、イカサマ占い師みたいで腹が立った。
結局、当てが外れた格好で帰宅した。三十三になる野上は、独身の上に彼女らしきものいなかった。ワンルームマンションで自炊しながら、古本屋で
出版社を辞めたことを後悔していたが、今更、謝って復帰する気はなかった。他社に再就職するにしても、面接の場面を想像するだけでうんざりした。コネがないわけではないが、電話して頼むのも
フリーター癖がつくと、定職に就くのがめんどくさくなるものだ。だからと言って、生活に余裕があるわけではなかった。バイト料も、毎月の家賃と食費に消えてしまう。伊東と飲んだ居酒屋の払いも大きな出費だった。金が欲しいのは山々だ。
簡単に金儲けできないものか……。あっ! そうだ。
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