第33話 弁護士 その八
「百合さんはこれから行われる取り調べに対して、黙秘を貫いてもらいたいんだけど出来ますか?」
「私は自分の考えやしてきたことを正直に話した方がいいと思っていろいろ言ってきたんですけど、それってよくない事だったんですか?」
「自分の犯した過ちを認め、自らの罪を告白するのは人として当然だとは思うのですが、それを今の百合さんが包み隠さずに話してしまうと、間違いなく死刑になってしまうと思います。百合さんがそれでいいとおっしゃるなら問題は無いんですけど、生きて罪を償いたいという気持ちがあるのなら私の提案を受け入れて欲しいです。もちろん、私の提案を受け入れてもらえたからと言っても必ず死刑を回避することが出来るわけではないのですが、今のままでは死刑に必ずなると思ってくれて間違いないです」
「そうですか、私はあの日から生きている理由なんてないと思っていたけれど、生きて罪を償うという考え方もあるんですね。ちょっと興味がわいてきました。私はただ黙っていればいいんですか?」
「私と私の直接の依頼人である陽三さんが色々と動き回りますので、それを信じていてくれるだけで大丈夫だと思います。今日みたいに面会している時にこちらの状況も説明いたしますので、黙秘を続けるのはつらいと思いますが、お互いに頑張りましょう」
「会いに来てくれるのは今日だけじゃないってことなんですね」
百合さんは今までにないくらい嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
今日が初対面の私を気に入ってくれたという事なら、私もこれ以上に無いくらい嬉しい。
「雪さん。雪さんって呼んでもいいですか?」
「ええ、構いませんよ」
「ありがとうございます。私の事も百合って呼んでくださいね」
「はい、百合さんは連日の取り調べも大変だと思いますが、体調を崩しそうになった時はすぐにそれを訴えてくださいね」
「よかった。前の弁護士さんはおじさんだったんでちょっと嫌だったんですけど、雪さんは良い人そうなんで嬉しいです。それに、私達って名前が少し似てますよね」
「そうですね。花咲百合と花車雪ってイニシャルも一緒なんですね。気付かなかったな」
「雪さんは気付かなかったんですね。私は最初に名前を聞いた時に気付きましたよ。そうだ、釈放されたら一緒にご飯を食べに行きましょうね。菖蒲ちゃんの働いているお店が美味しいんでそこに行きましょうね」
「ぜひ、無事に出るためにもお互いに頑張りましょうね」
今回の計画は私達がいくら頑張ったとしても、私達と関係のないところで偶然が重ならないとどうしようもない事が多いのだ。
そんな状況でも最後まで希望を捨てなければうまく行くと信じて戦い抜くしかないのだ。
希望を捨てなければきっと光がさすこともあるだろう。
私が最初に行うべき仕事は無事に終えることが出来た。
次はこれまでの経過とこれからの展望を報告する意味合いも兼ねて、記者会見を開くことになっているのだが、特に進展も無い今の状況でどれくらいのマスコミが来てくれるのか不安になっていた。
会見場は私の事務所の応接室を用意してあるのだけれど、誰も来なかったときは個人でインターネットを使うことも考えなければいけないのか。
一応、マスコミ各社には会見を行う連絡をしてあるのだけれど、問い合わせがどれくらいあるのか現時点で不明なので、とりあえずは電話で確認してみることにした。
私は来ても数社で人数は十人を超えることも無いだろうと思っていたのだけれど、事務員さんが電話に出てくれない。仕方ないのでメールを入れておいたのだけれど、休憩にしては少し早いような時間なのに何があったのだろうと考えてみた。
考えたところで何もわかるはずがないのだけれど、いったん事務所に戻るために駅に向かって歩いていると、街頭にあるモニターで行っているニュースの中で私の写真が画面の中に映り込んでいた。
「一家惨殺事件の容疑者である女性の担当弁護士が花車雪弁護士に変更になりました。彼女は多くの冤罪事件を解決し、警察の違法な取り調べに関しても鋭いメスを入れてい増すので、今回の事件ももしかしたら何かそういった側面があるのかもしれませんね」
「ですが、犯人の女性が犯行を行ったのは紛れもない事実ですし、現場に第三者がいたという情報もありませんが、果たして本当にそのような事があるのでしょうか?」
「現場を目撃したのは容疑者である女性と現場に駆け付けた警察官だけですし、彼から意図的に何かを隠しているとするならば、その可能性はあるのかもしれませんが、今回の事件に関してはその可能性は限りなく低いでしょうね」
「数々の冤罪事件を扱ってきた花車弁護士が担当になったことでこの事件は今までにない角度で注目を浴びることになるでしょう。本日の18時から花車弁護士が会見を行う予定となっておりますので、番組ではその様子をお送りしたいと思っております」
確かに、私は今まで何度か冤罪事件を取り扱ったことはある。ただ、それは今まで担当してきた事案の1%にも満たないのだ。
きっと他人が受ける印象なんてそのような印象的な事だけが頭に残ってしまうのだろう。私はどちらかと言えば冤罪事件は得意ではないと思っているのだけれど、事実を見付けてそこから不正を暴くことは得意なのかもしれない。
今回の事件は冤罪でもなければ不正な取り調べなども行われていないようではあるのだし、その点で言えば私の得意とする形ではないのだ。
弁護士会に登録している写真は若いころのまだ自分がイケていると思っていたころの写真なので、私が隣にいたとしてもテレビに出ていた写真の人物と同一人物に見えることは無いだろう。
その時、私の携帯に事務員さんからの着信が入ってきた。
「先生、先ほどから会見に関する問い合わせが鳴りやみません。事務所で会見を開くなんて無理ですよ。どこか会見場を借りることが出来ないですか?」
「そんなに問い合わせがあるんですか。困ったな。ちょっとこっちでも探してみますので、何かあったらまた電話ください。とりあえず、面会は終わったのでいったん事務所に戻りますね」
私が想定していたよりもマスコミは今回の事件に熱心らしい。
この熱がいつまでも続いてくれれば百合さんが無罪を勝ち取る可能性も高くなるのではないかと思っていた。
それにしても、どこかに良い会見場がないかと探してみたのだけれど、今日の夕方から飛び込みで会見を開けるような場所は全く思いつかなかった。
それよりも、会見を開くと言っても私が担当になったという挨拶だけのつもりなのだが、それで終わらせることが出来ない予感がしていた。
電車を待っている間に見たネットニュースでも会見の事が取り上げられていたのだが、そこまで注目されてしまうとこちらも困ってしまうというものだ。
最寄駅から近い私の事務所ではあったけれど、事務所にたどり着くまでの間にもテレビ局の機材車らしきものが数台停まっているのが目に入った。
私の顔を知っている人がいないらしく話しかけてくる人はいなかったのだけれど、私が事務所に入ろうとすると何人かの人が私にマイクを向けてきていた。
質問の内容から察するに、私の事は事務所の関係者か誰かだとは感じているのだけれど、担当弁護士であるとは思っていないような感じだった。
私は質問に答えることなく事務所の中へと入っていったのだけれど、これではここから出るのも大変なことになりそうだ。
「先生、外にいる人たちだけだとしても応接室に入りきれないですよ。一体どうしたらいいんですかね?」
「思っているよりも人が集まっちゃったね。こんなことになるとは思っていなかったから会場は準備していないんだけど、今からは電話に出なくていいんで使えそうな場所を探してもらってもいいかな?」
「電話に出なくていいなら頑張って探しますよ。と言っても、この辺りにあるホテルに聞いてみるだけですけどね」
「防犯カメラの様子を見てたんですけど、先生もあの人たちにインタビューされてましたね。先生って気付いていない様子でしたけど、あの人たちって会見を見たら先生からコメント取れなかった事で怒られそうですよね」
「それは私に関係ないからいいんだけど、本当に会場はどうしたらいいんだろうね?」
「あ、花咲陽三さんから先生宛にメールが着てるみたいですよ」
「花咲陽三さんからのメールって何だろう。ちょっと見てみるね」
私は自分のパソコンの前に座ると、陽三さんからきているメールを開いてみた。
『会見場が見つからないようでしたら、此方で用意してあるホテルを使用していただいて構いませんよ』
渡りに船とはこのことだろうと私は感謝した。
「ねえ、花咲さんからのメールに会場を用意してあるって書いているのよ。ちょっと電話してみるからみんなは待っててもらっていいかな?」
今まで色々と調べてくれていた事務員さんたちの手が止まって全員が私に注目していた。
私自身も今回ばかりは自分に注目していたと思う。
電話の向こうにいる陽三さんはとても優しい口調で話しかけてくれていた。
「初日はそれほど会見に人が集まるとは思っていなかったので連絡していなかったのですが、実は初日から会見用に会場を押さえてあるのですよ。私もニュースを見ていてこれほどまで注目されていたのかと驚いたのですが、これもひとえに花車先生のお力の賜物ですな」
「いえいえ、それはたまたまだと思うのですが、私も事務所の応接室に外にいるだけの人数が入りきれないと思って困っていたんですよ。何から何まで準備していただいて本当に感謝いたします」
「そんな事をおっしゃらなくても結構ですよ。百合が無罪なり無罪にならなかったとしても精神に何か障害でも見つかってくれれば私共も助かりますからね」
陽三さんが用意してくれていた会場は有名なホテルの中にあるようだった。
そのホテルには何度か食事をしに行ったことはあったのだけれどそのような場所があるというのは聞いたことが無かった。
そもそも、そのホテルで記者会見を開いている人を見たことが無かったのだけれど、会場であるホテルに問い合わせてみたところ、今まで記者会見を行ったことがないので緊張しているとの答えが返ってきた。
ホテルにとって初めての経験になると思うのだが、一流ホテルなのでホテル側で何か失敗をすることは無いだろう。
後は私がちゃんと記者会見を行うことが出来るかどうかということだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます