第30話 弁護士 その五
昼食はとても豪華なもので、今までこれほど美味しい海鮮は食べたことがないと思うほどだった。
私はもともと食が細い方だと思うのだが、それでもいつも以上に食べてしまったのは美味しかったからに違いない。
東京で食べるお寿司も美味しいのだが、北海道で食べるお寿司は東京では食べられないようなものもあってどれも新鮮だった。
「先生は見た目と違って意外と召し上がるのですね。それだけ食べていただけるのでしたら私も連れてきた甲斐があるというものです」
「私はいつもだったら一人前で十分だと感じてしまうのですが、北海道のお寿司は東京では見たことも無いようなネタもあって、思わず食べ過ぎてしまいました。それにしても、北海道のお寿司はいつ食べても美味しいですね」
「ここの寿司は大将の目利きが抜群ですからね。東京へ行っても通用するとは思うんですが、大将は北海道の魚に惚れ込んでいるらしいので東京にはいかないみたいですよ」
「東京に大将のお店があるなら常連になっちゃうと思うんですけど、北海道に来るたびに寄りたくなっちゃう味ですよね」
「先生にそう言ってもらえると大将も嬉しいと思うんですけど、この店は完全予約制になってるんですよ。顧客の好みに合わせた魚を仕入れてくれるんですけど、市場に上がった魚次第では当日キャンセルになることもあるみたいなんですよ。私はそのキャンセルにあたったことは無いんですが、運の悪い知り合いがそうなったみたいなんです。もっとも、そいつは普段の行いが良くない奴だったんで仕方ないと言えば仕方ないんですがね」
北海道に来て最初の食事がこのレベルだと次からの食事に満足できるのか心配になってしまっていた。と言っても、私はそこまで繊細な舌を持っているわけでもないので普通に満足できる食事なら美味しいと思えるのだ。
そんな私が本当に美味しいと感じたのだから、ここのお寿司がとんでもなく美味しいお寿司だということは紛れもない事実だということだ。
「そこでですね。先生は百合の弁護の件は引き受けていただけるでしょうか?」
「今は国選の方がついているんですよね?」
「そうですね。私が百合にどうこうするという話は無いのですが、百合とは割と近い関係の親戚がいまして、その方を通して百合の弁護士を先生に変更してもらえればと思っているんですが、先生がその気になってくれさえすれば今からでもその手筈を整える予定であります」
「先ほど拝見させていただいた資料を見ても思いますし、提示されている報酬額も魅力的だと思うのですが、本当にそんなにうまく行くと思っているのでしょうか?」
「正直に申し上げますと、今のままでは百合が死刑になるのはまず間違いない事だと思います。先生がもし引き受けてくださったとして、我々だけで動いた場合もそれは変わらないと思うのです」
「我々だけが動くいた場合と言うことは、私が何か行動すれば変わるということでしょうか?」
「そこなんです。我々の計画だけでは世間の声を同情に向けることは出来ないと思うのです。そのために必要なことは、説得力のある者の説明と第三者の調べた情報だと思うのです。先生の説明がいかに素晴らしいものだったとしても、それを証明するような情報が無ければただの言い訳に聞こえてしまうと思いますし、第三者の情報だけがあったとしてもそれをそのまま信じる人なんてほとんどいないと思います。仮に、数人熱狂的な声が上がったとしてもそれはそれでうるさい声だとかき消されてしまうと思うのです。その情報に今まで数々の事件を真実へと導いてきた先生のお力が加われば、その情報も真に正しいものとして認識されると思うのです。それは私達がいくら声を荒げて説明したとしても民衆の心には響くことは無いでしょう。先生のような立派な方が言うことによってより強い言葉として民衆の心に響くと思うのです。それは嫌だとおっしゃるのでしたら断っていただいて結構ですし、依頼を受けるだけ受けていただいて何もせずに報酬だけ受け取っていただく事もこちらとしては問題ありません。それは決して私がお金を無駄に使いたいということではなく、先生のお名前と威光をお借りする手間賃として受け取っていただけるだけでこちらは満足なのです」
「今の気持ちを率直に申し上げますと、依頼を受けるかどうかは本当に迷っています。花咲さんがおっしゃる通りただ名前を貸すだけのお飾りでも報酬を頂けるのでしたら、それでもいいのではないかと思ってしまう私もおります。ですが、担当弁護士として依頼を受けるからには最善を尽くさないと今まで受けてきた依頼者の方への冒涜にもなるのではないかと感じているのです。依頼を受けるからには無罪判決を勝ち取らなければならないと私の中で決めているのです。最初から負けるつもりで戦いに挑むということは、これから先においても私に負けてもいいのだという気持ちが付きそうで嫌なのです。どうしても負けてしまう場合はあると思うのですが、そんな時でも最後まで勝てる希望を捨てないで挑みたいと思っています。その気持ちがあるからこそ、本当にこの依頼を受けていいのか悩んでしまっているのです」
正直に言ってしまえば、私は今回北海道まで来たのは依頼を断るためだったのだ。
断るだけなら電話でも済むだろうし、最悪メールで済ませてもこちらは忙しかったので仕方ないという言い訳もできただろう。
だが、車の中で拝見した資料とこの場で語る陽三さんの熱意におされて私の心は揺らいでいた。
今断ってこのまま北海道観光を続けるのもいいだろう。
依頼を受けてこのまま陽三さんの計画の詳細を伺うのもいいだろう。
どちらをとっても私にデメリットは少ないと思う。しいて言えば、依頼を受けてこちらの言い分がすべて却下されて死刑判決を受けてしまうことが一番のデメリットになるかもしれないが、今時点で死刑を回避することはほぼ無いと言い切れるのだから大してデメリットでもないのかもしれない。
こうして考えている間も陽三さんは熱心に私を説得してくるのかと思っていたのだが、私が考えている間はじっと真っすぐに見つめてくるだけだった。
情熱に溢れている方が私が出す答えをただ黙って待ってくれているということが、私が出すどんな答えでも受け止めるというような姿勢に見えて仕方がなかった。
よし、この依頼を受けて百合さんが死刑を回避出来るように全力で立ち向かうことにしよう。
「私の中で答えが出ました。今回のご依頼を受けさせていただきたいと思います」
「そうですか。これで私も安心して話を進めることが出来ます」
空港で会ってから数時間しかたっていないのだが、今までで見た陽三さんの表情の中で一番自然な笑顔が見れたような気がしていた。
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