第29話 弁護士 その四
「先生はその資料を見てどう思いました?」
「そうですね。率直に言うと、これで無罪を勝ち取ろうと思ってるなんて馬鹿げた話だと思います」
「そうですよね。私もその通りだと思うのですよ。でもね、その資料をうまく使えば百合は死刑を免れるんじゃないかと思うのですよ。そのために私は一肌脱ごうと思いましてね」
「そうなんですか。陽三さんはそれほど花咲百合さんに思いがあるのですか?」
「いいえ、正直に申し上げますと、私は百合とほとんど面識がないのですよ。会ったことも数度だけだと思いますし、会話を交わしたことも無いと思います。ただね、そんな私でも彼女を助けないといけない理由があるのですよ」
「殺人犯とはいえ身内ですものね。出来ることなら身内が死刑になるのを避けたいって思いますよね」
「そうなんですよ。殺人事件を起こすのも問題ですが、それが本人の意思で行った事と言うのは大問題なんです。遠い親戚で付き合いもほとんどないというのは事実なのですが、それほど多くない珍しい苗字のおかげか私も取引先や付き合いのある会社さんから色々と聞かれましてね、仕事に少なからず影響が出ているんです。直接私が何かしたわけでもないですし、私と深い関りのある方でしたら話すことによって百合との関係性を理解していただけると思うんですが、大多数の方はそうではないと思うんですよね。いちいちそれを説明するのも大変ですし、説明したところでちゃんと理解してもらえるとは限りませんしね。それだったら、彼女が無罪にでもなればいいなと思っているんです。無罪にならなくても精神疾患なり精神異常が認めてもらえさえすれば説明も簡単になりますからね。身内から殺人犯を出したことは恥ずべきことだと思いますが、それの原因が病気だとすれば多少は誤魔化せると思うんですよ。先生はそれについてどう思いますか?」
「私も身内から殺人犯が出てしまったら似たようなことを考えてしまうかもしれませんが、それって考えるだけで実行するのは無理だと思うんですよ。百合さんが精神科に通院歴があったとしても、それは責任を取らなくてもいいレベルではなく罪を軽くすることすらできない程度のものだと書いてあったと思います。それで無罪になるのだとしたら、裁判官なんて必要なくなってしまうんじゃないですかね」
「そうなんですよ。私どもも精神鑑定の結果は多少期待していたことは事実ですが、あれほど否定されてしまうとは思いませんでした。きっと、何か見えない力でも働いているのではないかと考えまして、向こうが見えない力を使うのなら、我々もそのような力を使ってみようかと思ったんです」
「それが、過去にあった凄惨な事件ってやつですか?」
「そうなんですよ。あの土地で過去に凄惨な事件があったということなんです。本当にそんな事件があったのかはわかりませんが、あの辺の一部がある時期だけ地図から消されていたというのは紛れもない事実なのです。その事実をうまい事活用できないかと考えたのが、あの土地で凄惨な事件があったというものでした」
「実際にその事件があったかどうかは記されていないんですか?」
「昔の事ですからね。いちいち資料なども無いでしょうし、伝説としてそれっぽいものが残っていれば何とかなると思いますよ」
「陽三さんのおっしゃるような事件が過去にあったかはわかりませんが、それを世間に知らせるのは無理じゃないですかね。資料にもないような事件を調べるもの好きなんていないと思いますけどね」
「その点は大丈夫です。あれくらいの大事件になればマスコミも殺到すると思いますし、取材する人が増えれば増えるほど過去の事件に触れる人も増えてくると思うんですよ。その中の誰でもいいので自分の意思でその事を記事にしてくれればこちらはそれを膨らませるだけでいいのです」
「膨らませるだけで良いって簡単におっしゃいますけど、そんなにうまく行くんですかね」
「我が社は多数の広告を出していますからそれなりに影響力はありますし、私と同じ苗字の者が起こした事件と言うことで多少は忖度していただいているみたいですよ。報道でも最近は花咲容疑者ではなく女性容疑者と報道されているみたいですからね。これは私が何か頼んだわけではないので誤解なさらないでくださいね」
「報道関係で話題を膨らませることが出来るとしても、過去の事件を知らせる媒体がない事には意味がないと思うのですが、それはどうするつもりですか?」
「その点も問題ありませんね。百合が勤めていた会社は私どもの関連子会社でして、役員の中には何人か話の通じるものもおりますので。彼らを使って百合と親交のあった数名にマスコミ関係者に接触するように指示を出しております。もちろん、その者たちは事件の詳細も原因も知らせてはいないのですが、過去にあの土地で何か忌々しい事件が起こったということは伝えるように言ってあるのです。あとは、接触してきたマスコミ関係者の誰か一人でもいいのでその事について反応してくれれば、こちらとしては願ったりかなったりです」
「その計画がうまく行くとは思えないのですが、本当にそれで無罪を勝ち取れると思うのですか?」
「無罪になるかはわかりません。あくまでも、こちらとしては精神に異常があるものがたまたま事件を起こした。という結果が手に入ればそれでいいのです。凄惨な事件が起きてしまったという過去は変えられませんが、その加害者が精神疾患を持っている障碍者だということが分かってもらえればその後の事件の扱いも変わると思いますからね。今はそういった人権問題も厳しいみたいですからね」
私は陽三さんがどこまで本気なのかはわからないけれど、それだけの熱意があるのだったらもしかしたらという感情が生まれていた。
しかし、マスコミ関係にそれほど影響を与えられる人物なのに私は今までその存在を知らなかったことが少し恥ずかしく思えていた。
「陽三さんの話を聞いているとその熱意は伝わってくるのですが、マスコミ関係が忖度するほどの方だと存じ上げなかった自分は世間知らずだと気付きましたよ」
「熱意は人の感情を動かしますからね。それに、私は人前に出ることはほとんどないですからね。会社の登記簿をご覧になっていただいても私の名前はどこにも出ていませんので」
「それって、弁護士である私に話しても問題ない事なんですか?」
「はい、私はすでに隠居している身ですからね。ただ、色々なところに口を出したくなる性格なだけなんですよ」
私は依頼人の名前をインターネットで検索することが依頼を受ける前に行う一つの行為になっている。
花咲百合の名前で検索すると事件の事が出てきたのだが、花咲陽三の名前で検索しても出てくる情報は何もなかったのだ。
あれほど高額な報酬金を出せるような人の名前がどこにもないのは不自然であったし、仮名なのではないかと疑っていたことも事実ではあるが、花咲陽三という人物が本当に実在しマスコミにも強い影響を与えるのかは疑問であるが、彼の情熱は紛れもない本物だと私は実感してしまっていた。
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