日常を侵食してくるもの

 去年の夏

 外からはセミの鳴き声が聞こえていた。男子達はグラウンドでクラスマッチの練習をしていた。

「平和だねー」

 美香が呟いた。

「来年は受験だよ。こうやってのんびりできるのも今のうち」

「美香ならスポーツ推薦で行けるでしょ」

「無理無理。私よりバド上手い人たくさんいるもん」

「ねぇ、今日放課後ゲーセン寄ってかない?」

 床であぐらをかいて座っている花音が言った。

「どこの?」

「五日市駅の」

「またかー」

「行かないの?」

「うーん、どうしょっかなー」

「瑠璃は行くかな?」

「行くかも」

「あんじーは?」

「行く」

「久代は行くかな?」

 美香から久代の名前が出た瞬間、少し胸がドキッとした。

「どうすんだろうね」

「行かないでしょ。あの子、バイトあるし」

「なんのバイトだっけ?」

 美香とあんじーが私を見てきた。

「お弁当の配達、だったかな」

「ウーバーってやつ?」

「いや、なんか原付でおじいちゃんおばあちゃんにお弁当届けるらしいよ」

「いいなー。免許取れる人は」

 あんじーの一言が、少しムッときた。別に久代は遊びで免許を取ってるわけじゃない。家計が苦しいから働かないといけないのだ。

「ねぇ、これヤバくない?」

 花音が慌てた顔してスマホの画面を見せてきた。画面にはtiktokのおすすめに上がっている動画が映っていた。

 映っている場所は、どこかの国の墓地だった。墓の雰囲気から察するにアメリカかどこかだろう。再生されてすぐ、地面の底から人型の物がもぞもぞと這い出てきた。撮影者がそれらをズームした。人型のものは皮膚が青白く、体の肉が崩れていた。

 まるで映画に出てくるゾンビだった。

 人型のものは撮影者に向かって駆け足で近づいてきた。噛みつくような音がした後動画は終わった。

 スクロールすると、どこかの女子二人が校舎で踊っている動画に切り替わった。ハッシュタグには「一生パリピ」と書かれていた。

「何今の?」

 皆顔をしかめて花音を見た。

「いや、わかんない。でもヤバくない? あの肉が崩れた感じとか」

「ハロウィンとか?」

「新しいエフェクトとか?」

「てか、飯食ってる時に変な動画見せんなって」

 皆で戯れあって笑った。



【ニュース】

「現在、ネットで話題の謎の現象に関して、米国では未知の伝染病が原因ではないかと噂が広まっており」

「WHOはこの噂を否定」



 黒板にチョークで文字を書く音が響いていた。

 私はぼーっとそれを眺めていた。

「勉強する意味あるのかな」

「来年どうなってるのかわかんないのにね」

 あんじーと美香がこそこそ話していた。

 ゾンビによる被害は日に日に激化していた。最初は土葬文化のある地域だけで確認されていたが、ゾンビに噛まれた者もゾンビ化することから、今や文化の違いを超えて世界中で被害が確認されている。

 授業が終わって放課後、私は自販機で買ったヨーグルッペを飲みながら教室で一人物思いにふけっていた。

 青い空の中を小鳥が飛んでいった。

 平穏だ。

 ほんとに世界は大変なことになっているんだろうか。

 ネットやテレビで騒がれていることは、ホントはフェイクなのではないか。そう思ってしまうくらい、のどかだった。

「柑菜」

 振り向くと、久代がいた。

「あ、珍しいね。今日バイトないの?」

「今日は休み」

 久代が隣に座った。久代はヨーグルッペのモモ味を持っていた。

「モモ味って美味しい?」

「私は好きだけど」

「この前は日向夏味飲んでみた」

「美味しかった?」

「うん」

 二人でストローを咥えて、空を見た。

「二人でこうやって落ち着いて話すのいつぶりだろ」

「かなり久しぶりだよね」

「ずっとバイトだったからね」

「バイトって大変?」

「大変。六時までには配り終わらないといけないから」

「六時か。結構はやいね」

「お年寄りって晩ご飯食べるのはやいじゃん?」

「それでか」

 私も久代も笑った。

「修学旅行なくなっちゃったね」

「うん。感染予防における積極的自粛だっけ?」

「日本ではゾンビ出てないのに」

「ね」

 久代は辺りを見回して、顔を近づけてきた。

「ねぇ、修学旅行でアレしよって言ってたの本気?」

 私はヨーグルッペを吹き出しそうになった。

「今、言う!?」

「だって今しかないじゃん」

 私も周りを見回した。

「本気だよ」

「そっか」

「嫌だ!?」

「ううん。女同士ってどうやってするのかなーって思って」

「女と男だったらやり方知ってるみたいな口ぶり」

「なんとなくわかるじゃん」

「そう?」

「いや、だってさ。あそこにあれを」

「いやいや、この話掘り下げるのやめよう」

 私達は空になったヨーグルッペのパックを膨らませたり、凹ませたりして時間を潰した。

 チャイムが鳴った。

 グラウンドで部活をしていた生徒も帰宅の準備を始めていた。

「帰ろっか」

「うん」

「久しぶり、一緒に帰るの」

 私は久代と手を繋ぎたくて久代の手に少し自分の手を近づけた。けど繋ぐのはやめた。


 

【情報番組】

「本日は感染症の専門家で厚生労働省健康局にて感染症に対する地域医療体制の構築にも取り組まれている高田さんにお越しいただいてます。今、世界中で起きている死体が蘇ってゾンビ化する現象ですが、日本への影響はどうなんでしょうか?」

「日本への影響はないと思われます」

「それはなぜでしょう?」

「日本は土葬文化ではないからですね。ゾンビが発生しているのはいずれも土葬の地域。日本はかつて土葬を行っていましたが、ご存知の通り今は火葬が一般的です」

「ゾンビに噛まれたらゾンビ化するという話も聞きますが」

「国内でゾンビが現れない限り噛まれることはありません。問題は外部からやってくることです。オランダでは国境を超えて侵入してきたゾンビによって被害が出ました」

「日本でも海外からの旅行者や留学生が多数いますが」

「こういう世の中ですから、ある程度の制限が必要だと思います。留学生の受け入れを一時停止し、旅行者を制限するガイドラインの作成など対応が必要でしょう」

「そうなると経済への影響が懸念されますよね?」

「そうですね。しかし感染を拡大させることは避けたい。今世界中でゾンビが発生していないのは日本だけなんです。それは日本が他国と陸続きでないことが幸いしています」

「国内では不安が少しずつ高まっている気もします」

「この感染症はゾンビになるという衝撃はありますが、非常に防ぎやすい病気でもあります。なにせ噛まれない限りは感染しない。感染者に近づかない。感染者を近寄らせないなど一人一人が気を付ければ感染予防できる、世界で最も対策がしやすい感染症です」



【ニュース】

「本日の新規感染者数は56人。これで日本国内の感染者数は200万人に達しました」

「フランスのGIGNの報告によるとゾンビは小脳を破壊すると活動を停止することがわかり、日本の警察や自衛隊も銃火器によるゾンビ撃退を視野に入れ」

「水陸機動団による博多奪還作戦は失敗に終わりました」

「政府は本日、九州を完全隔離することを決定し、近く」

「国内での相次ぐゾンビ被害に対応するため、交戦規定を採用した陸海空による統合自衛隊ZRAT(対ゾンビ強襲部隊)が設立されました」

「あ!! 今関門橋が、ZRATにより爆破されました!!! 橋が! 橋が! 崩れていきます!!!! 海の底に橋が沈んでいきます!!!!」

「政府は感染拡大を防ぐため全世帯にマスクとコルセットを配布することを決定し、来月にも」



 電車の窓の外をずっと眺めていた。景色が紙芝居のように流れていく。

 電車の揺れに合わせて吊革が揺れ、車両と車両を繋いでいるホロが軋んだ。

「恥を知れこのバカ者!!!!!」

 突然車両内に怒声が響いた。

 私を含めて皆声のした方を見た。

「お前みたいなバカがな、いるせいでな、ふつーに生きてる俺らが危険な目に遭わなきゃならないんだ!!!」

 おじいさんが高校生の女の子を怒鳴っていた。制服が私と違うから、他校の生徒だ。

 女の子はマスクをしてなかったから、それで怒鳴られたのだろう。

 いつの間にかこの国ではマスクをするのが常識になっていた。ゾンビになっても他人に噛みつけないようにするためだ。

 おじいさんの隣にいたおばあさん(たぶん奥さん)は女の子に「うちの人がすいませんねー」という軽い感じで謝っていた。おじいさんもおばあさんも首にコルセットをしていた。

 コルセットはゾンビに首筋を噛まれないようにするために有効だそうだ。とはいえ、あんなダサいものを身につけている人はそうそういない。

 あの老夫婦はよほど生きたいのだ。

 火葬文化で島国だから絶対にゾンビが発生しないと言われていたこの国も、些細なことがきっかけであっという間に感染が広がった。

 最初の国内感染者は墓地から蘇った者でも外国人でもなく九州の団地に住む子どもだった。

 親から虐待を受け、殺された子どもの遺体がゾンビとして蘇った。誰も気にも留めてなかった団地だったため、感染が密かに拡大。気づいた時には警察では対応できない事態になっていた。

 おじいさんは椅子に座ってもまだぶつぶつ文句を言っていた。それを頷きながらなだめるおばあさん。

 電車内の空気は最悪だ。なんで朝からこんな不快な気分にならないといけないんだろう。

 学校の下駄箱に着くと、ほとんどが上履きだった。

 もうまともに学校に通う生徒なんていやしない。

 校舎内には「頑張ろう自分達」とか「また笑顔で会える日まで」と書かれた紙が貼られていた。その張り紙の上から「世界滅亡まで楽しもう」、「好きなことして生きていこう」という新しい張り紙が貼られていた。

 始業のチャイムが鳴っても先生すら来なかった。

 授業時間中にも関わらず歩き回る生徒。

「ねぇねぇ、柑菜はこれ行く?」

 あんじーがチラシを見せてきた。

「それなに?」

「ラインで届いてない?」

 届いてたかもしれない。スルーしたと思うが。

「横山と長谷川が修学旅行企画したんだって」

「修学旅行は中止になったでしょ?」

「学校のはね。横山達が車を手に入れたんだって。で、皆で修学旅行行こうって」

 要は自主修学旅行か。

「ふーん」

「行かない?」

 行く気なんてない。男子が企画した修学旅行なんて、どうせ下心があるに決まってる。

「誰が行くの?」

「うちらと、久代達にも声をかけたよ」

 え? 久代達ということは、琴音やあみぽんもか。

 でも久代が来るなんて思えない。そもそも久代は最近学校にも来てないし。

「ま、行きたくなったら、連絡ちょうだい」

 あんじーはチラシを私の机の上に置いていった。

「おはようー」

「え、ちょっと美香のそれなに!!?」

「めっちゃ私服じゃん」

「大人っぽくなった?」

 美香は薄手のニットにジャケットを着て、耳にピアスをしていた。

「先生に怒られなかった?」

「足立先生が見てたけど、なんもなかったよ」

「まぁ、こんな世の中じゃね」

「どこでこのバッグ買ったん?」

「え、それはね……」

「あ、美香盗んだでしょ」

「だってさ。市街地の方なんてもう人いないし」

「やばっ!」

「他にもやってる人いるよ」

「いいな。うちも欲しいのあるし」

「今から行く?」

「やばくなーい?」

「だって、もう先生もいないじゃん」

「それな。学校にいる意味ないもんね」

 授業中にも関わらず皆教室の外に出ていった。美香は一瞬私を見た後、そっと近づいてきた。

「柑菜も行く?」

「私は残るよ」

「一緒に行こうよ。学校なんかにいてどうするの?」

「ねぇ、美香は、もう部活は出ないの?」

 美香は吹き出した。

「部活なんてやってるところないって。もう試合もないんだから、一生懸命練習してもしょうがないでしょ?」

 自分のことでもないのに「しょうがないでしょ」という一言に私は傷ついた。

「美香、スポーツ推薦で行くのが夢だったじゃん」

 美香は不愉快そうな顔をした。

「どうせ、私は推薦受けられなかったから」

「そう? 私はそう思ってなかったよ」

 美香は鼻でため息をついた。

「ね、皆で楽しもうよ。意味もないのにただ学校に来て。それこそゾンビみたいじゃん」

「うん。まぁ、でも、ほら、私ゲーセンとかあんまり興味ないし」

 美香は瞼を半分落として、見下すように私を見た。

「もし独りが嫌になったら、早めに私に連絡して。じゃないと仲間外れになるかも」

 美香は教室の端の高島君をチラ見した。

 美香は踵を返して教室を出て行った。

 私はあんじー達のノリは苦手だったが、美香のことはずっと好きだった。好きと言っても恋愛感情ではない。部活に一生懸命な姿が尊敬できた。

 体育館でバドミントンの練習をする彼女の姿を見たら、人として惚れてしまった。バドミントン部のエースだったが、決して嫌味なところはなかった。後輩指導にも熱心だったし、体育の時間だって運動音痴の子が仲間外れにされないようにリーダーシップを発揮した。スポーツバカじゃなくて勉強もできた。でも真面目一辺倒なわけじゃなく、授業中おしゃべりして先生に怒られたりすることもあった。それが逆に接しやすかった。

 世界がこんなになってから、美香は自暴自棄になった。

 広島ではまだほとんどゾンビは現れていないが、美香のあの様変わり具合を見ると、この世は確実に滅びに向かっているんだと思った。

 グラウンドからあんじー達の笑う声が聞こえた。男子の喋る声も混ざっていた。

 皆、この世の終わりをそれなりに楽しんでいる。

 こんな時なのに、とりあえず学校に来て学生をしている私はおかしいんだろうか。

 だけど、「世界は滅びるから好きにしていいよ」と言われても特にやりたいことがない。

 教室の隅に高島君が座っていた。元々は不登校だったのに、両親がゾンビ化して独りになってから、高島君は学校に来るようになった。

 高島君はASUSのノートパソコンを広げてキーボードをカタカタやっていた。

「何やってるの?」

 私が声をかけると高島君は顔を上げて見つめてきた。しばしの間。

「あ、えっと、私の名前は…」

「柑菜さんでしょ?」

 てっきり不登校だったから私の名前を忘れてるのかと思った。

「ブログを書いてるんだよ。家族がゾンビになった時の気持ちとか。ゾンビ化した父さんと母さんを殺した時の方法とか」

 高島君はキーボードを叩いた。

 私は板書されてない黒板を見た。

 この世が終わるまで、後どれくらいだろう。



【ニュース】

「北海道警は道知事の要請により本日より村田装備開発株式会社より技術提供を受け、近く武力によるゾンビ対策の専門家チームを設立予定です。なお、総理は北海道のこれらの動きがクーデターに繋がると批判し…」

「インドにある日本大使館からの連絡が途絶え…」

「日本国内の感染者数は…」



 現代。

 久代が自転車を止めて、前方を指差した。

「あれ、なに?」

 久代が指さしたのは、山の上にある廿日市天満宮だった。廿日市天満宮は町の中にそびえ立つ城跡の頂上にある学問の神様を祀っている神社だ。

「長い階段を登るとね、神社があるんだよ。小さい頃はお母さんと良く散歩に行ってたの。あとは、年始は初詣とか」

「へー。なんか幻想的。外国の風景みたい」

「いや、それは言い過ぎだって」

「でも町中に山がそびえ立ってて、その上に神社があるって最高じゃない?」

 久代の目がキラキラしていた。

「行ってみる?」

「いいの?」

 私はうなずいて、自転車で先導した。

 商店街の間を抜けた。商店は全てシャッターが閉まっていた。お惣菜屋さんやお父さんが良く行っていた焼酎の専門店も閉店していた。

 久代は物珍しそうに辺りをキョロキョロしていた。

「そんなに珍しい?」

「だって、私の住んでた所は公営住宅だったから、商店街なんてなかったもん」

「そっか」

 私はペダルを漕いだ。

 広島もゾンビによってほぼ壊滅した後、私は工業大学の支援拠点を離れてから、久代の家に向かった。

 久代は鈴が台にある公営住宅に住んでいた。

 私が久代の家に行った時、久代は衰弱していた。衰弱した久代の側では、ゾンビが部屋に閉じ込められていた。

 久代はゾンビ化した母親を部屋に押し込めた後、自分の体でドアを押さえつけて飲まず食わずで過ごしてきたのだ。久代を抱えた時、久代からは排泄物の臭いまでした。

 久代にとって唯一の家族だった母がゾンビ化したのだ。久代はゾンビ化した母を殺すことも置き去りにすることもできず、ずっと閉じ込めていた。

 今、廿日市天満宮に続く階段を登る久代は健康的な体になり、笑顔も増えた。久代の元気な姿を見ていると、私は心が安らぐ。生きていて、良かったと思う。

「頂上からの眺め良さそう!」

「眺めいいよ。海の向こうまで見える。双眼鏡もあるよ」

「そうなの!!??」

「小銭がいるけどね」

「小銭、あったよね?」

「うん。持ってる」

「柑菜も双眼鏡覗く?」

「私は小さい頃お父さんと一緒にやったから」

「私とはしないんだ〜」

 久代は階段の真ん中で、腰に手を当てて意地悪な笑みを浮かべた。

「じゃあ、一緒に覗く」

 久代ははにかんで、回れ右をして階段を駆け上がった。

 久代のスニーカーの足音が響いた。久代のスニーカーは、使い古されて形が崩れ始めていた。

 私も走って久代を追いかけた。

 懐かしい。私がまだ子どもの時もこうやってここを駆け上ったことを思い出した。あの時はお父さんを追いかけていた。私が走るのを後ろからお母さんが微笑んで眺めていた。

 久代は階段の真ん中で立ち止まっていた。

 私も立ち止まって、久代の視線の先を見た。

 階段の途中にZRATのバリケードが設置されていた。バリケードは外圧で折れ曲がっていて、血で汚れていた。

 私は久代を追い抜いて、バリケードの向こう側を見た。

 階段にべっとりついた血の跡。血の色は変色しているから、随分前のものだとわかる。

 私はバリケードの隙間を通って階段を登った。頂上の神社の境内に着くと、そこには人が生活していた、だけど人が何かに襲われた跡があった。地面に飛び散った血痕。誰かが押し倒されてもがいた跡。大量の薬莢と開け放たれたガンケース。

 境内に一歩足を踏み入れると薬莢を踏んだ音が響いた。

「ここも支援拠点だったのかな」

 久代が呟いた。

 たぶんそうだ。この位置ならゾンビが攻めてくる様子が一望できるので防衛するのに得策だと考えたんだろう。

 私は地面に落ちている20式小銃を拾った。セレクターは「ア、タ、レ」にちゃんと回ったが、コッキングハンドルは固くて動かなかった。地面の上に放置されていたから部品が劣化したみたいだ。

「ねえ、これ見て」

 久代がガンケースの陰に隠れている遺体を指差した。

 遺体は自衛隊員のものだった。頭部に銃創があるから、自殺したんだろう。服装から察するに海上自衛隊の特別警備隊の隊員だ。

 ZRATは陸、海、空の統合部隊なので陸自の隊員以外も混ざっている。

 私は隊員の装備品を漁った。

「なにやってるの?」

「使えるものがないかと思って。あ、あった」

 私はサバイバルナイフを手に入れた。ナイフの柄の先端を回すと、中に釣り糸が入っていた。自衛隊の装備品には遭難に備えて、こういうギミックが施されている時がある。

 隊員の側には雨風で汚れた書類が落ちていた。書類には『指示書』と書かれていた。


 ー指示書 日付3月1日

 明日3月2日に回収用の回転翼機がそちらに向かう。拠点の隊員は生存者を連れて撤収すること。なお、当初は神社近くで着陸する予定であったが、適当な場所が見つからないため木材港近くのショッピングモールの駐車場を着陸場所とする。着陸場所周辺は概ね安全と思われるが、空からドローンによる援護射撃も行う。着陸予定時刻は11:00。


 私は地面に転がっている遺体を眺めた。ここにいる隊員は生き残れる予定だったのか。それが何かの手違いで皆死んでしまった。

 私は書類を地面に置いて、未開封のガンケースを開けた。ガンケースの中には89式小銃が入っていた。海自には陸自と違ってまだ新式の小銃は配備されていないようだ。それでも雨風に晒されてない未使用品だし、バイポットがなく銃床を折りたたんでコンパクトにできる特別警備隊用の配慮が行き届いた小銃だ。

 加えて。

 私はガンケース内にあるタクティカルライトを取り出した。

 村田装備開発が作った自動小銃用のLASだ。マジックテープでピカティニーレールのない89式にも装着できる。ライトの中央が銃口の直線状に来るので照準が合わせやすく、近距離で指向するときに便利だと聞いた。

 施設科のお姉さんに教わったことがこんなところで活かせるとは思わなかった。

 私はマガジンを装填した後、小銃を背中に背負った。ガンケースから取り出した予備のマガジン一本をリュックのサイドポケットに入れた。

 私と久代は隊員の死体に手を合わせて、階段を降りた。

 もう双眼鏡を眺める気にはならなかった。

 階段下に留めてあった自転車に跨り、ペダルを漕いだ。

 目の前にショッピングモールが見えてきた。

 あの中は、いったいどうなってるんだろうか。

 遠くの空の入道雲に、頭巾雲がかかっていた。

(...続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る