ガールズ・オブ・ザ・デッド Girls of the Dead

あやねあすか

二人だけの学校

 窓の外からセミの鳴き声が聞こえていた。

 カーテンの隙間から日差しが差し込んでくる。

 窓の外を見てもグランドには誰もいない。

 野球部だかサッカー部だかが忘れたラインカーが置いてある。

 私は隣を歩いている久代を横目で見た。

 久代は恥ずかしいのか私と目を合わせなかった。

 私は久代の手をそっと握った。

 久代の体がピクッと反応した。

 暑い。

 すぐに手汗をかいた。

 でも今手を離すと、手汗を意識したようで恥ずかしくて離せない。

 私は手汗をかいたまま久代と手を繋ぎ続けた。

 保健室のドアを開けた。

 白いカーテン越しに、太陽の光が部屋の中を照らしていた。

 真っ白な部屋はまるで天国のようだった。

 久代は遠慮がちにベッドに座った。

 私も久代の隣に座った。

 セミの鳴き声だけが聞こえていた。

 風が吹くと葉っぱの擦れる音も聞こえた。

 静かすぎて恥ずかしい。

 せめて外で誰かが部活をしてくれていると、適度に雑音があって逆に落ち着くのだけど。

 久代は上履きを脱いだ。

「暑いね」

「あ、うん」

「靴下も脱いじゃおうか」

 久代は両足の靴下を脱いで、上靴の中に入れた。

 ベッドに横になる久代。

 久代は両手をお腹の上で組むように置いた。

 スカートの中から伸びた脚。制服のシャツ越しに膨らんだ久代の胸。

 久代は私と目を合わせないよう目を閉じた。

 私も上靴と靴下を脱いだ。

 そして久代の隣に横になった。

 久代の匂いがする。

 久代の横顔を見た。

 何度も見た横顔だけど、今はなんだか特別で、額から鼻を通って顎のラインがいつもより綺麗に見えた。

 祈るように組んだ久代の手の上にそっと私の手を乗っけた。

 久代の体が少し緊張した。

 私は久代の上にまたがった。

 スカートの生地越しに久代の太ももの感触が伝わる。

 私の胸がなんだか熱くなった。

 熱い。

 体が熱くなって、ほんの少し鼻息も荒くなった。

 私はスカート越しに久代の脚を触った。

 柔らかい。すごく柔らかい。

 このまま脚をずっと触ってたい。

 あっ、でも私だけが満足してちゃダメだ。久代のことも気持ちよくしないと。

 私は久代に覆いかぶさって口付けをした。

 久代も唇をほのかに尖らせて私のキスを受け入れてくれた。

 唇と唇が触れ合う。柔らかい。久代は唇も柔らかい。

 久代に硬いところなんてないんじゃないだろうか。

 久代の太ももを触っていた手を徐々に腰に上げていった。

 久代が唇を離した。

「お腹はちょっと恥ずかしいかも」

 そんなことない。全然可愛い。

 私はもう一度キスをして、久代の胸に手を当てた。

 久代の肩がピクッと揺れた。

 嫌だったのかな。

 久代は私にキスしてきた。

 嫌じゃなかったのか? もう少し触ってもいいのかな。

 私は久代のスカートの中に手を入れた。

 パンツの上からそっと指で秘部に触れた。

 湿ってる。

 私はパンツを少しずらして、指先を久代の割れ目に当ててみた。

 陰毛の中を指でなぞった。

 蒸れてる。でも濡れてない。

 久代のアソコはまだ乾いていた。

 私は自分のスカートをめくり上げて、自分の股間を久代の股に擦り付けた。

 私のアソコはパンツ越しにもわかるくらい濡れていた。

 ベッドに両手をついて、自分の性器で久代の割れ目をなぞるように何度も何度も腰を動かした。

 気持ちいい。

 すごく気持ちいい。

 今、久代の触っちゃいけないところを、触らせてもらってる。

 股間が熱くなる。熱が全身に回って呼吸が荒くなる。

 保健室に私の息遣いが響いた。

 久代は恥ずかしくてずっと両手で顔を覆っていた。腕が久代の胸を真ん中に寄せて谷間ができている。それが憎らしいほどやらしい。

 すごい。

 私は腰を何度も動かした。

 …動かした。

 ……動かした。

 次第にどうしていいかわからなくなってきた。

 気持ちいい。間違いない。心だけじゃない、私の体だって反応してる。

 だけど、終わりがわからない。

 どうやったらこれは終わるんだろう。

 久代はずっと顔を隠してる。まだ久代の性器は濡れてない。

 私だけが気持ちいいんだろうか。

 したいって言ったのは私からだから、もしかしたら久代は乗り気じゃなかったのかも。

 余計なことを考え始めると濡れてた私のアソコもだんだん乾いてきた。

 次第に窓の外のセミの鳴き声が気になるようになり、腰の動きも鈍くなった。

 隠してた手の指の間から久代は覗いてきた。

「なにか、私いけなかった?」

 私はハッとして、「ううん。久代は悪くないよ」と答えた。

 セミの鳴き声がはっきり聞こえた。

 膝の裏にたまった汗が気になった。

 ようは、完全に気分が壊れた。

 私は久代の上から降りて、ベッドに座った。

 呼吸も落ち着いていた。「今何時だろう?」とかそんなことを考え始めた。

 久代は上半身を起こした。

「ごめん」

 久代が謝ってきた。

「久代は悪くないって。なんか、うまくできなかった」

「うん」

「難しいね。ほら、男の子だと、射精るからイクのがわかるんだろうけど」

 私はわざと下品なことを言ってみた。

 久代は苦笑いをした。

 下ネタを言ったことを後悔した。

「シャワー浴びる?」

「あ、うん」

「ついでに洗濯機回しちゃおうか」

「うん。そうだね」

 久代はスカートを穿いて、私もスカートを穿いた。

 いつもなら、どっちが先にシャワーを浴びるかジャンケンをするところだが、今はなんだか私から浴びたい気分だった。



 バスケ部のマネージャーが使う洗濯機に私たちは下着と制服を入れた。洗剤を入れてスタートボタンを押すと、グオングオングオンという音と共に洗濯槽が回転し始めた。

「あっついねー」

 久代が空を見上げた。

 私も見上げた。

 太陽が照りつけてくる。肌が焼けるチリチリという音が聞こえてきそうだ。

 風が吹くと校庭の砂が舞った。

 誰も整備しなくなってから、校庭には緑の雑草が生え始めた。

 校旗を掲げる背の高いポールには、カラスが巣を作っている。

「いかん。このままじゃ日焼けする」

 久代は体操服から伸びる自分の腕と足を見て言った。

「中、入ろっか」

「だね」

 私達は渡り廊下を歩いて、校舎に戻った。

 校舎の階段を上りながら、「お昼ご飯何しよっかー」と呟いた。

「なんでもいいよ」

「そういうのが一番困るんだよなー」

「だって久代が作るの全部美味しいもん」

「ありがと。でも、なんでもいいっていえるほど、もう材料もそんなにないよ」

「買い出し行かないといけないか」

「だね」

「野菜見ていく?」

「だね。そうしよ」

 私達は廊下で菜園をしている。ホームセンターで調達した野菜の種と園芸部のプランターを使ってだ。

 菜園は今の生活が始まってすぐに始めた。

 外の脅威に遭遇しないため、できるだけ学校内で生活を完結させようと思ったからだ。

 初めは土づくりが大変だった。

 なにせ私が最後に何かを育てたのは小学校の時のアサガオくらいだ。

 今ではミニトマトとナスとゴーヤとキュウリが実っている。

 ゴーヤはあまり好きではないけど、今の時代わがままは言ってられない。

 菜園は適度に日光が当たり、適度に日陰になる三階の廊下に作った。水はペットボトルで作ったジョウロであげている。

「ミニトマトできてるよ」

「すごい。昨日はまだ緑色っぽかったのに、もう真っ赤っか」

「やっぱ陽射しが強いんだろうね」

「すごい暑いもん。天気予報があったら気温何度って言ってるんだろ」

 ミニトマトの支柱を固定している紐が緩んでいたのが気になったので、私は電光ナイフを取り出して、紐を短く切って結び直した。

 電工ナイフの表面についた紐の糸屑みたいなゴミを指で払った。この前研ぎ石で手入れしたばっかりなのに、もう赤錆がつき始めてる。

 久代がキュウリを見せてきた。

「あんまり大きくならないね」

「ナスは?」

「ちょっと大きいのが一個」

「一個か」

「柑菜が好きなゴーヤは三つくらい実ってるよ」

「好きじゃないって」

「酢漬けにすると美味しいのに〜」

「おばあちゃんかよ」

「家庭的って言って欲しいな。どう? モテるかな?」

 久代は腰に手を当てていばるようなポーズをした。

「うん。嫁にしたい」

 野菜を収穫した後、私達は家庭科室でお昼ご飯を作り始めた。

 私達、と言ったが、作るのはいつも久代。

 久代はそうめんを作っていた。

「もうこれで、乾麺も最後だ」

「うん」

 食べ物がどんどんなくなる。

 私はテーブルの上を布巾できれいに拭いた。

 桶にそうめんとたっぷりの氷を乗せて、久代がやってきた。

「まさかこの学校は桶まであるとは」

「さっすが村上先生って感じだよね」

 テーブルの上にそうめんが置かれた。桶の中には、さっき収穫した野菜もきれいにカットされて盛り付けられていた。

「久代の女子力、ほんと高いよ」

 私達はお椀にそうめんつゆと氷を入れて、「手を合わせましょう」と掛け声をかけた。

 私と久代は両手を合わせた。

「いただきます」

「いただきます」

 幼稚園児のように号令をかけた後、私達はそうめんをつゆに突っ込み、そのまますすった。

「あー、うまい。夏の味がする」

「おっさんかって」

「だってさ、ほんとうまいよ。私がそうめん茹でたら団子みたいになるもん」

「お鍋の中で混ぜずに茹でてるんじゃない」

「喉越しも絶妙だもん。しめかたもうまい」

 久代は母子家庭で、母親も夜遅くまで働いていたから久代がいつも料理を作っていた。場ご飯や朝ごはんだけでなくお母さんの分のお弁当まで作っていたのだ。

 風が吹くと、カーテンが舟の帆のように膨らんだ。

 ミーンミンミンというセミの鳴き声が聞こえる。

 そういえば、福岡から引っ越してきた亜希が昔、ミンミンゼミの鳴き声が珍しいと言っていたのを思い出した。福岡ではジーワジーワジーワと鳴くクマゼミが一般的なようだ。

 久代はミニトマトを食べた。

「うーん、やっぱり青臭い」

 私もミニトマトを食べた。

「うん。なんか青っぽいね」

「おかしいなー。色は赤なのに」

「難しいね」

「フルーツトマトみたいにできないかな」

「懐かしい。あれ、美味しいよね」

「うん。どこかのスーパーに残ってないかな」

「残っててももう傷んでるでしょ」

「傷んだトマトから種とか取り出せないかな」

 昼食を終えると、私達は洗濯物を干した。

 校舎の三階に家庭科室から持ってきた物干し竿や洗濯ばさみを使って制服や下着を干す。

 今日は天気が良いのでついでに布団も廊下の手すりにかけて干した。

「やばっ。もう汗かいた」

「ちょっと運動でもする?」

「お、なにやるー?」

「うーんとね」

 私達は体育館に行って倉庫から卓球台を出した。

 ラケットと卓球の玉も用意した。

「ラケットってどうやって持つんだっけ?」

「適当でいいよ」

 私はラケットで玉を打った。

 コーンという小気味良い音が響いた。

 久代がそれを不器用に打ち返した。

 私は返ってきた玉を打ち返した。

 久代は空振りをして玉が地面を転がった。

「久しぶりすぎて難しい」

「別のにする?」

「いや、柑菜に勝つまでやる」

 それからしばらく試合が続いた。

 カツンコツンカツンコツンカツンコツンというリズミカルな音が体育館に響き渡った。

 久代は体幹が硬いのか、終始ぎこちない動きだった。

「やばい。暑い」

 久代は額から滝のように汗を流していた。

 私のまつげの上にも汗が流れてきたので、袖で拭った。

「柑菜運動神経エグいんだもん」

「そう?」

 運動部に所属したこともないので、自分の運動神経についてはよくわからない。

「なんか、こう、ラケットで打ち返す時の体のくねり具合とかプロっぽいよね」

「それは、言い過ぎ」

 久代ははにかんだ。

 結局久代は卓球で私に勝てなかった。

 久代が座り込んでからしばらくは二人で話し込んだ。

「うちのクラスで卓球部っていたっけ?」

「瀬戸君が卓球部だったでしょ?」

「ほんとだったら来月は体育祭だっけ?」

「うちら三年はフォークダンスとかあったんだよね」

「体育の授業っていえばさ、井浦先生っていたよね」

「いたいた」

「めっちゃ怖くなかった」

「でも陸上部の生徒以外には無関心だったよ」

「そうか。柑菜は一年生の時担任だったのか」

 おしゃべりをしている間に、汗がだんだん引いてきた。

「あ、やばい。買い出し行かなきゃ」

 体育館の時計を見ると、もう十六時を回っていた。

 私達は校舎の窓や扉を全部施錠した後、自転車にまたがった。

 正門を出る前、外に”やつら”がいないか目視で確認した。

 誰もいないことを確認した後、正門を少しだけ開けて、自転車を運び出し、再び正門を閉じた。

 ペダルを漕いで無人の道路の真ん中を颯爽と進んだ。

「風が気持ちいいね」

「うん」

 信号機は律儀に赤いランプを点灯させている。

 私達は信号を無視して進んだ。

 道路には乗用車が何台も乗り捨てられている。車は所々錆び始めていた。塗装が剥げたからだろうか。人が使わなくなった道具は、朽ちるのが早い。

 コンビニの前に自転車を停めて、中に入った。

 ここのコンビニには初めて入る。

 お客さんも店員もいない。

 商品が床に散らばっている。

「気をつけてよ」

 私の忠告を無視して、久代は中に入る。

「誰もいないよ」

 久代は振り向いて手を広げた。

 私はポケットの中の電工ナイフを握ったまま店内に入った。

 ドリンクコーナーの冷蔵庫がまだ動いている。店員は襲われたか、あるいは逃げ出したか。

 割れた窓から入り込んだ雨や砂埃のせいで、雑誌や本や漫画が汚れていた。ファッション誌は今年の春物特集で止まっていた。

 今年の夏はどんな服が流行る予定だったんだだろう。雑誌の付録はどんなのがあったんだろう。

 私は冷蔵庫の中に残っている缶コーヒーに手を伸ばした。

「柑菜は苦いの嫌いじゃないっけ?」

 背後から久代が声をかけてきた。

「うん? 飲むわけじゃないから」

「ふーん」

 久代は唇を尖らせた。

 レジの横にある唐揚げが腐ってドロドロに溶けていた。

 電子レンジの扉は開けっ放しになっている。

 レジの中を開けると、お金があった。

 お札と小銭。

 私は小銭を少しだけもらって、スカートのポケットに入れた。こんな世界になってしまったが、小銭は役に立つ時がある。

 久代は食べ物の棚を見回したあと、首を横に振った。まともな食べ物が残っていないのだろう。

 日用品の棚も見回したが、シャンプーも生理用品も残っていなかった。わずかに髪留めの輪ゴムと軍手とコンドームが残っていたのでそれをくすねた。

「やばいな〜。下着の在庫もない」

「上も下も?」

「うん。ストッキングくらいかな」

「...暑いよね」

「暑いよ」

「一応持って帰ろう。寒くなったらどうせいるし」

 久代は窓から空を見上げた。

「ほんとに涼しくなるのかな。一生夏が続きそう」

 私達は自転車のカゴに品物を投げ入れた。

「ちょっとちょっと」

 久代が困惑したような恥ずかしがるような笑みを浮かべた。

「これ、どうするのよ。いらないでしょ」

 久代は私がくすねたコンドームを手に取って笑っていた。

「何勘違いしてるのよ。ゴムは結構役に立つのよ」

 私の真面目な回答に、久代は苦笑いしてコンドームを自転車のカゴに戻した。

「黒い袋に入れないと」

「誰が見るのよっ!」

 私達はゲハハっと大声で笑った。

 見上げると、真っ青な空の中を小型の飛行機が一直線に飛んでいくのが見えた。

 自衛隊の統合部隊ZRAT(ズィーラット)が運営している監視ドローンだ。

 世界がこんなになった今、あの監視ドローンを管理している人はいるんだろうか。

 久代はドローンなんかには目もくれず、地図を広げて名前ペンの蓋を取った。

「これで学校の周りのコンビニは全部回ったね」

 久代が地図にバツ印を書き込んだ。

「バツだらけ」

「バツイチどころじゃないね」

 ピュインピュインピュインピュインピュインピュインピュイン。

 近くに停めてあった車の警報機が作動した。

 私と久代は音のした方を見た。

 誰かいる? 人間? それともやつら? この辺りには私達しかいないと思ってたから完全に油断していた。

 車の影から現れたのは男の姿をしたゾンビだった。

 ゾンビは私達に近づいて来ようとしてきた。でも、足の付根が変な風に折れ曲がったゾンビは、初心者が操縦するカヌーのように同じところをぐるぐる回っていた。ゾンビが車のサイドミラーにぶつかると、サイドミラーは地面に落下し鏡の破片をアスファルトの上に勢い良く飛び散らせた。

 ゾンビは円を描くコンパスのようにずりずりと回転したあと、歩道と車道の段差で足を滑らせて地面に転げた。

「ねえ、あれ、高島君じゃない?」

「え?」

 ゾンビは全身が複雑骨折をしていて、顔も潰れていて衣服も血で黒く染まっているので気づかなかったが、久代の言う通りあれは同じクラスの高島君だった。


 高島君は世界がこんなになった後、しばらく私達と一緒に学校で暮らしていた。

 私と久代は一緒の教室で、高島君は離れた教室で一人で暮らしていた。

 高島君は女にガツガツするタイプではなかったので、私達にちょっかいを出してくることはなかった。

 食事の時もタイミングが合えば一緒に食べるという感じだった。お互い生き残るための知恵は共有し合った。学校をバリケードで囲ったのも高島君だ。

 まだ学校での生活が始まったばかりの頃は、ゾンビが学校を襲撃してくることがしょっちゅうあった。だから、高島君は学校にあるもので武器を作ったりしていた。弓道部の弓矢を拝借したこともあったが、結局役に立ったのは陸上部が使う砲丸だった。

 ほどなくしてゾンビの襲撃も止み、私達に平凡な生活が訪れたが、ある日高島君は飛び降り自殺をした。

 校舎の屋上から飛び降りたのだ。

 飛び降りた後の亡骸はゾンビとして蘇り、どこかへ消えた。

 生前そうだったように、死後の高島君も私達に危害を加えることはなかった。


 目の前のゾンビは、車に捕まりながら起き上がった。右目が瞼からこぼれて、視神経とつながっている眼球が振り子のように揺れていた。

「高島君…っ?」

 私はゾンビに歩み寄ろうとした久代の袖を掴んで止めた。

 車の警報音に誘われて、道路の向こうからゾンビが集まってきていた。

 私達は自転車にまたがり、ペダルを漕いだ。

 立ち去る最中、私は一度だけ振り返った。

 高島君のゾンビは、状況を飲み込めていない子どものようなたたずまいで、私達を見つめていた。



 学校に戻ると、私達は洗濯物を取り込んだ。猛暑だから、洗濯物は一瞬で乾いていた。

 グラウンドを一周して、フェンスやバリケードが壊れていないか見回った。

 教室に戻って、私達は机に突っ伏して窓の外を眺めていた。

 瀬戸内海の向こうにそびえ立つ積乱雲が夕焼けで少しずつ紅色に染まっていった。

「お腹空いたね」

 私がぼやくと、久代は立ち上がって、「野菜見てこようか」と言った。

 二人で廊下を歩きながら、ふと、向かいに見える校舎の屋上を見た。

 あそこから、高島君が飛び降りた。

 地面についていた血の跡も雨ですっかり流されて、高島君が死んだことを忘れていた。そもそもこの世界では人が死んでいるのは当たり前。高島君のことだけを特別に覚えておいてあげる意味はないのだが、少しだけ心にしこりがあった。

 葉っぱを手で退けながら野菜を探したが、昼間あれだけ収穫したので実っている野菜はなかった。

「やばいな。晩ご飯抜きかも」

「家庭科室に何か残ってなかったっけ?」

「お米が少しだけ。でも一号もあったかな?」

 私は腰に手を当てて考えた。

 一号では全然足りない。

 今からどこか食べ物がありそうなところへ行くか? いや、夜は危険だ。夜はゾンビが昼間より少しだけ活発に動く。

 この野菜の葉っぱを調理できないのか。炒めるとか。いや、それでもたいして腹の足しにならない。

 あー、肉や魚を食べたい。

 私は昔家族で行ったホテルのバイキングのことを思い出していた。あの時お腹いっぱいだから食べるのを諦めた牛肉のカレー。無理してでも食べておけばよかった。

「残ってるお米。おかゆにして、ふやかそうか」

 久代は私の顔色をうかがいながら言った。

 きっと私の空腹具合が顔に出てたんだろう。私は申し訳ない気持ちになった。

 家庭科室のキッチンで、久代はおかゆを作っていた。

 私は使わないコップに缶コーヒーを注いで、その中に電工ナイフの刃を浸けた。

「できたよ」

 久代がお鍋を持ってきた。

 私は鍋敷きを敷いて、お椀とお箸を用意した。

 久代がおたまで鍋の中をかき回した。白湯の中でわずかなご飯粒が舞った。久代はおたまで掬ったご飯粒を私のお椀に注いでくれた。

「いいよ。私のだけ多いじゃない。久代も食べて」

「だってお腹空いてるんでしょ?」

「ううん。待ってたらそうでもなくなってきた」

 私はお腹が鳴るのを我慢するため、腹筋に力を入れた。

「嘘が下手だね。遠慮せず食べればいいじゃない」

 久代は私の目の前にお椀を置いた。

「さ、食べよ」

 私が喋りだす前に、久代が「いただきます」をして自分のお椀に口をつけた。

 久代の一連の動作を見守った後、私も自分のお椀に口をつけた。白湯が口の中に流れてくる。ほんのわずかな、だけど久代のお椀より多めに入ったご飯粒を咀嚼した。

「そういえば、あれ何?」

 久代はコーヒーに浸けたナイフを指さした。

「ああ、あれは黒サビ加工してるのよ」

「黒サビ加工って何?」

「電工ナイフの刃の表面を黒くサビさせるの」

「刃がボロボロになったりしないの?」

「ボロボロになるのは赤サビ。赤サビが付かないように、黒サビにしてるのよ」

「ふーん。てっきり飲むのかと思った」

「コーヒーは苦いから嫌いだもん」

 久代がおたまを回すと、おたまが鍋の底を擦る音が聞こえた。もうお鍋の中は空だった。久代は残り少ないおかゆを私と自分のお椀に注いだ。

 私はなるべくゆっくりと、噛みしめるようにおかゆを食べた。

 お椀についた白湯まで箸で掬って平らげた後、二人で食器を洗った。

 あー、お腹空いた。

 お腹いっぱい食べたい。ドーナツ食べたり、タピオカ飲んだりしたい。ハンバーグもいい。パスタとかグラタン、ピザ。

「こんなもの拾ったよ」

 久代がスティックのカフェラテを見せてきた。

「どしたのそれ?」

「職員室に残ってた」

 カップに半分ずつカフェラテの粉を入れた後、沸かしたお湯を注いだ。

 久代の沸かしたお湯は、ほどよくぬるい。

 ティースプーンでかき混ぜた後、私達は教室に戻って、窓側の席に座ってカフェラテを飲んだ。

 町の明かりがついていないから、夜空の星がはっきり見える。

 町のどこかで人の叫び声が聞こえた。

 ゾンビの叫び声だ。

 やつらは暗闇だと動きが活発になり、獣のような叫び声を上げる時がある。やつらなりのコミュニケーションをとっているのか。それとも顔が腐敗して顎の筋肉が変な風に動いてあんな声が出るのか。

 久代はスマホを見てクスクス笑っていた。

「なーに、どうしたの?」

 久代はスマホの画面を見せてきた。

 そこには同級生が音楽に合わせて踊っている動画が映っていた。踊っている場所はこの教室。昔掃除時間中に撮ってネットに上げたやつだ。

「このときさ、琴音がNG出してるんだよね。ほんとはNGの方が面白いんだけど」

「NGの方の動画ってネットに上げてないの?」

「上げてない。たぶん、あみぽんのスマホの中にあるよ」

「こちらは、政府広報です。本日の総理からのお知らせです」

 突然、割り込む形で動画が流れ始めた。

「パンデミックで亡くなられた方、お一人お一人のご冥福をお祈りします」

 毎日、朝と夜にネットで配信されている政府からのお知らせ。

「世界的に見れば国家が崩壊した国も数多くある中、我が国では国家の存続と国民の生存という厳しい基準を見事クリアしております。本日、我が国のZRATによるゾンビの撃退数は12体です。この国は日々ゾンビの撃退に向け精進している。そう感じております。ゾンビによる経済的影響は計り知れません。この国をもう一度取り返すため、国民の皆様には再度以下の2点を守ることをお願いしております。不用意にゾンビに近づかない。次世代の創造と育成です。人間社会の再生のため、今一度お願い…」

 久代がアプリを閉じた。

 私も久代も黙ってカフェラテを飲んだ。

「ねぇ、高島君ってさ」

 久代が話題を変えた。

「学校嫌いだったよね」

「うん。だったね」

「でもさ、世界がこんなになった後、ずっと学校にいたよね。バリケードまで作ってくれたし。なんで学校嫌いなのにそこまでしたんだろう」

「さぁ」

 私は空になったカップを置いて、机の上にうつ伏せになった。

 久代もカップを空にして、うつ伏せになった。私とは反対の方向に顔を向けていた。

「家にいてもどうしようもなかったんじゃない? どうせ親や家族はやつらになってるんだし」

「うーん。でも、今ならどこにだっていけるわけじゃん? 海外…は無理でも、ほら、修学旅行で行く予定だった京都とか」

「いや、一人で行ってもつまんないじゃん」

「でも、自殺するくらいなら、行ってみたいとこ行った方が良くない?」

「うーん。でも、そんなこと言ったら、私達だってこうやって学校いるわけだし。服は制服か体操服なわけだから」

「それもそうか」

「たまには制服以外の服を着たいよね」

「ね、逃げるとき服持ってこなかったもんな」

「だけど、家に帰るのは嫌じゃん」

「嫌だよ。家がめちゃくちゃなの見たら、ショック受けると思う」

 私は顔を上げて時計を見た。

 夜の一〇時を過ぎていた。

「シャワー浴びようか」

「汗くさいしね」

 私達は着替えとタオルを持って職員室に向かった

「ね、さっきの話」

「うん?」

「高島君の話だけどさ」

「あぁ、うん」

「やっぱり家と学校以外の場所って思いつかないよ。結局、この学校ってさ、私達にとって全てじゃん」

「ちっぽけな全てだなー。我ながら情けない」

 久代が羽のように両腕を左右に伸ばした。

 保健室に着くと、私はベッドに座ってシャワーの順番を待った。

「私からでいいの?」

 シャワーカーテンの向こうから、久代が訊いてきた。

「いいよ」

 私はベッドの布団を整えた。

「やばい。シャンプーがない」

「そっか。今日コンビニになかったもんね」

「やっぱり明日買いに行こうか」

「うん。買いに行こうか」

 私は久代のベッドのシーツのシワを整えながら、答えた。



 久代は朝日を遮るように、スマホ画面の上に手をかざした。

 まだ早朝なのに、気温は高く、セミが鳴いている。

「やっぱりパルコの方はやばいかな」

「市街はゾンビが多いって聞いたよ」

 久代は地図アプリの画面をスクロールした。

「廿日市の方行ってみようか? 西日本最大のショッピングモールがあるし」

「ゆめタのこと?」

「行ったことある?」

「うちの近くだからね」

「行くのやめる?」

「ううん。いいよ。行こ」

 久代はスマホとモバイルバッテリーを自転車のカゴに入れた。

「行こっか」

 私達は自転車にまたがってペダルを漕いだ。

「とりあえず広電の線路沿いに宮島方面に進んだら着くっぽいよ」

 久代は胸を反って空を仰ぎながら走った。久しぶりの遠出にテンションが上がっていた。

 私は右手に見える広電の線路を眺めた。

 世界がこうなる前、私が普通に学校に通っていたときは、広電の電車に乗って通学していた。

 信号機は当たり前のように黄色に変わり、赤色に変わった。

 電気、ガス、水道などのライフラインは全て人工知能で管理している。そのため、世界がこんなになった後もライフラインが止まって困ったことはない。

 誰もいない道路の信号機を作動させていることに人工知能は疑問を抱かないのか不思議だが、きっと人工知能自体が今の状況を理解できていないのか、わずかな生存者のために作動させているのか、死ぬまで働くようプログラムされているのかどれかだろう。

 車道の真ん中に大きなのぼりが落ちていた。のぼりには「緊急支援拠点」と書かれていた。のぼりの端を目で追うと、私達の高校とは別の、工業高校のフェンスに皮一枚の状態で繋がっていた。

 フェンスの向こう-工業高校の校庭-には自衛隊の装甲車が放置されていた。

 ここには、ZRATが設置した支援拠点があった。私も家族がゾンビ化した後ここにいたことがある。私が去った後も支援拠点は継続されていたが、ゾンビに襲撃され全滅した。

 雨風に晒され、装甲車は汚れていた。

 私に付き添ってくれていた施設科のお姉さんも、もういないだろう。

「もう行く?」

「うん」

 私達はのぼりを避けて、進んだ。



 広電の線路沿いにずっと進むと、五日市駅にやってきた。

 五日市駅のゲームセンターでは、よく友達と遊んだもんだ。

 久代は急ブレーキをかけた。私も慌てて急ブレーキをかけた。

「ちょっと、急に止まるとびっくりするよ」

 久代は黙って前方を指差した。私は久代の指の先に視線を移した。

 久代が指差した先には普通、道路が続いている。なんの変哲もない、日本人なら誰もが連想するアスファルトの道路だ。車が走るあの道路である。(ちなみに私達がいるこの道路は宮島街道と呼ぶ)

 ところが、今久代の指の先には道路がなかった。

 道路だけではない。信号機もファミレスも建物も無くなっていた。代わりに真っ黒に焼け焦げた信号機や建物の残骸が、燃え尽きた蝋燭のようにドロドロに溶けてそのまま固まっていた。道路のアスファルトも熱で溶けてクレーターのように陥没していた。

 まるでそこだけ別の次元のようだった。真っ黒なエリアに足を踏み入れると自分の体の組成が変わってしまいそうだった。

 真っ黒エリアは私達の目の前の道路だけでなく、町を分断するように海まで続いていた。上空から見ると、巨大な筆で墨を引いたように伸びているはずだ。

「なんか気持ち悪い」

「うん。なんかゾワゾワする」

 この感覚は、うん、あれだ。トライポフォビアに似ている。熱で溶けた建築物の残骸が、本能的に気持ち悪いのだ。

「前、こんなのあったっけ?」

「ううん。なかったと思う」

 最後にここを通ったのは、世界がこんなになってすぐだ。もう二度と見れないかもしれないという理由で厳島神社の鳥居が見たくなり、久代と二人でフェリー乗り場まで行ったときだ。

 あの時は、こんな真っ黒いエリアなんてなかった。

 私達が知らない内に世界はどんどんおかしくなってるんだろうか。死人が蘇って歩き回ってるんだ。町の一部が黒く変色したって不思議じゃない。

「あれ」

 久代が海の方を指差した。

 一直線に伸びる黒いエリアの先、水鳥公園の先の海の中に軍用の輸送機の残骸が見えた。おそらく空自のC-2輸送機だ。輸送機の尾翼が十字架のように海面から突き出ていた。

 ある夜、巨大な何かが落ちる音がしたことがあった。私も久代も怖くて外を見たりしなかったが、町から黒い煙が上がっている日が何週間も続いた。

 あの輸送機が墜落する時、機体から燃料が溢れて地面に落下したのだろう。何かのはずみで燃料に引火して、業火が町を焼き払ったのだ。

「どこか、通り抜けられるところないかな」

 私と久代は黒いエリア沿いに海に向かって自転車を押した。自転車のチェーンのカラカラカラという音が聞こえた。

 カラスが黒い残骸の上に止まっていた。まるで残骸がそのままカラスに化けたようだった。

 防潮堤の手前にある家の塀と塀の間は焼け焦げていなかった。

 私と久代は塀の隙間を自転車を押して進んだ。まるで狭いところを通り抜ける猫になった気分だ。

 塀の隙間から抜け出ると、目の前の空を海鳥が飛んで行った。

 呑気なものだ。海鳥は世界がこうなったことなんて気づいてもないだろう。むしろ、人間が減った分、気ままに暮らしてるのかもしれない。

「ふぉーーーすごいーーーー」

 久代が自転車をほっぽり出して、防潮堤の上に登っていた。防潮堤の上で、久代は両手を広げて叫んだ。

「こら、やつらに見つかるよ」

「そんなことより、すごいよ」

 私も防潮堤の階段を駆け上がった。

 顔に潮風が思い切り当たった。制服が空港のウィンドソックスのように膨らんだ。

「きれい。久しぶりに海を間近で見た」

 久代は深呼吸をして潮の香りを嗅いでいた。

 波打つ海面は、割れた鏡のように不規則に日差しを跳ね返していた。

 もう誰にも触られない牡蠣筏が、海の真ん中で浮いている。

 島の向こうでは白い雲がギリシャの建造物のようにそそり立っていた。

「暑いから泳ぎたいな」

 久代が呑気なことを呟いた。

「泳いでる最中に、やつらに襲われるかもしれないよ」

 私の嫌味に、久代は唇を尖らせた。


 ガタン。


 背後から音がした。

 振り返ると、工事現場の仮設ハウスからゾンビが一体出て来るのが見えた。

 私と久代は急いで階段を駆け下りた。久代は自転車に跨ったが、私はポケットの中から電工ナイフを取り出した。折り畳んでいた刃を伸ばし、柄をしっかり握って構えた。

 ゾンビは体を捻りながら反動をつけて近づいてくる。

「柑菜!」

 久代が私の腕を掴んだ。

「行こ」

 久代に促され、私は渋々ナイフを戻して自転車に乗った。

 近づいてくるゾンビを放置して、私達は自転車で走り去った。

「殺せたかもしれないのに」

 私が怒りを吐き出すように言うと、久代は「柑菜が死んだら困るもの」と答えた。

 私は口元を隠すように、自転車のハンドルに顔を沈めた。

(...続く)

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