第21話 不破と灰谷は説法を聴く①

 任部勘七との面談を終えた彩藍は、夕刻になるまで大輪田芸能興行社の執務室にてぼんやりと時を過ごしている。


「華乃ちゃんがそろそろ帰って来るけど……どない伝えたら良いモンかねぇ…………」


 口調はいつもの通り素軽いのだが、彩藍の表情には常態ではついぞ見られない真摯さが見て取れる。


「やっぱりなぁ……正直に言ってあげて、みんなでお墓参りでもせなアカンのやろな」


 彩藍の悩みは華乃の母親、泉美の遺骨をどう取り扱うかであった。


「そらお母ちゃんの遺骨やもんなぁ、遺体には会えんかったんやから………早く手許に戻して欲しいやろしな」


 珍しく懊悩する風情の彩藍が考え込んでいると、重い足音と軽い足音が大輪田芸能興行社の階段を昇る音が耳に届く。


「まぁ……晩飯を食べながら、サラッと話したるか」


 無計画ノープランで場当たり的に進めてしまおうと彩藍が決意を固めた瞬間、執務室の扉が開かれて童士と華乃が入室する。


「ただいま、遅くなってしもてゴメンやで。

 今から晩ご飯の支度するからね」


 朗らかに宣言すると、華乃は手を洗い割烹着を身に着けて、炊事場へと向かう。


 華乃の背中を見送った彩藍は、童士を呼び止め任部勘七から伝えられた泉美の件を持ち掛けた。


「………と云う訳で童士くん、泉美さんのご遺骨は任部の旦那ゆかりのお寺さんに預けられとるんや。

 華乃ちゃんに伝える役目は、やっぱり童士くんしからへんと思うけど?」


 何のことはない、結局の所………彩藍の懊悩なやみが行き着く先は『童士への丸投げ』と云う着地点を見出したようだ。

 童士も彩藍の言を受けると一瞬だけ考え込んだが、直後には決意を固めて彩藍へと告げる。


「うむ……華乃には辛いことかも知れんが、やはり知り得たその日に伝えてやるのが思い遣りだと思う。

 俺は華乃に、何かあれば隠し立てせずに伝えると約束しているからな」


 深く考えているように見せかけて、実は何も考えていないであろう童士に……彩藍はやれやれと首を振りながら告げる。


「まぁ……ものゴッツいテキトー感があるけど、愛しの童士くんからの言葉やったら冷静に聞けるかもやな。

 追加で『お義母さんを迎えに行って、二人の将来を墓前に誓おう!』とか云えたら完璧やない?」


 あまりにも巫山戯た彩藍の物言いに、通常であれば頭を張り飛ばしてもおかしくない童士であったが、先日の銀機ハルとの会見時に意識させられた華乃との関係性に思いが至り………むぅと唸って黙考するのみ。


 そうこうする内に華乃が夕餉の支度を整え、両手にお盆を抱えて入室する。


「ほらほら、童士さんも彩藍も!

 ご飯の用意が出来たから、はように手を洗っといでぇな。

 お味噌汁が冷めてしまうよ!」


 童士の懊悩おもいも彩藍の思惑ねらいもつゆ知らず、華乃の元気な声が執務室に響き渡る。

 童士と彩藍は顔を見合わせ、苦笑を滲ませながら華乃に従う。


「今日はな、炊き込みご飯を炊いてみたんよ、童士さんは炊き込みご飯って大丈夫?」


 いつものように満面の笑顔で、童士に料理の出来を問い掛ける華乃。

 童士はそんな華乃に、こちらも笑顔で感想を伝える。


「うむ……炊き込みご飯なんてあまり食べたことがなかったが、これは美味いな」


 安心したように微笑む華乃に、童士は重々しい態度で告げる。


「華乃……お母さんの泉美さんのことだが、遺体は三業組合に引き取られて荼毘に付されている。

 遺骨に関しては、幸泉寺に安置されているそうだ。

 もし華乃が望むのなら、遺骨はこちらで引き取ってあげようと思うんだが………どうする?」


 童士の言葉に、一瞬だけ大きく眼を見開いた華乃だが、大きく息を吐き出し真っ直ぐに童士を見詰める。


「童士さん……ありがとう。

 アタシはお母ちゃんを迎えに行きたい、アタシがお母ちゃんのお陰で無事やったんも知らせてあげたいし」


 話しながら眼に涙を溜める華乃を見て、童士は優しく微笑む。


「そうだな、それが良いだろう。

 そうなれば善は急げだ、明日の朝にでも泉美さんをみんなで迎えに行こう」


 童士の言葉に華乃は、コクリと頷きながらそっと涙の残滓を拭う。


「うん!明日はよろしくお願いします。

 そやそや、お味噌汁が冷めてまうわ。

 早いこと晩ご飯を食べてしまおう!」


 再び笑顔を取り戻した華乃は、童士と彩藍に夕食の続きを勧めるのだった。

 そんな華乃の姿を見つめながら、童士と彩藍は微笑んで夕食を口に運んだ。



_________________



 翌朝は雲一つない快晴で、夏の訪れを充分に感じさせる暑い朝だった。


 華乃は落ち着いた色合いの、綿麻の着物を身に着ける。

 童士は白い開襟シャツに、濃い灰色の洋袴ズボン姿。

 そして彩藍はいつものように、黒い三つ揃いの洋装であった。


「さて……それでは幸泉寺まで、泉美さんを迎えに行くか」


 童士の声に三人は、目的地までのそぞろ歩きを各々が楽しんでいる風情だ。

 平素と変わらぬムッツリと押し黙ったままの童士の左隣には、にこやかな微笑みを浮かべる華乃が並ぶ。

 彩藍はブラブラと、二人の後ろを三歩ほど遅れて続く。


 十数分も南西方向に歩いただろうか、三人の眼前に幸泉寺の佇まいが見えて来る。


 閑静とは言い難い街中の寺院ではあったが、境内に入ると流石に静謐な空気が漂っているようだ。


「ごめんください、おじゅっさんはご在宅ですか?

 任部さんに預けられた、遺骨を引き取りに来た者ですけど」


 華乃の声が、寺院入り口にある引き戸の外から掛けられる。


「おぅ、こんな朝からお客さんか………申し訳ないが朝のお勤め中なんや。

 本堂の方へ廻ってくれるか?」


 渋い初老の男の声に誘われるまま、三人は本堂の裏手へと廻り込んだ。

 本堂は外陣が十五畳で内陣が十畳ほどであろうか、そこまで広いとは言い難いが……街中に居を構える寺院としては充分な広さではあった。

 本尊は立像の弥勒菩薩であり、文化財としての価値は無さそうだが、手入れは行き届き見事に輝いている。

 そう幸泉寺の本堂は、内陣で勤行に励む住職の人柄を現すかのように……全体的にこざっぱりとした清潔感に満ちた空間であった。


「おぅ、こっちまでご足労頂いて申し訳ないな。

 拙僧が幸泉寺の住職、五島学仁ごしま がくじんや。

 三人とも本堂へお上がり」


 上がれと言われてはみたものの、童士と彩藍は互いの顔を見合わせたまま躊躇しているように見える。


「ええからお上がり、人間やろが妖人やろが、機人やろが……菩薩さんの前では等しく同じやからな。

 まぁ………ウチの寺が伝統と格式に縁遠いってことが、ホンマの理由ではあるんやがの」


 つるりと禿頭を撫でながら、住職は呵呵かかと笑う。

 三人共に住職の言葉に唖然としながらも、外陣の中まで歩を進めた。


「それではお三人さん、そのお座布ざぶに座ってか。

 おぅい!さいよぅ!お客さんやぁ!お茶を四つ淹れたってかぁ!」


 よく響く声で、五島学仁住職は奥に居る妻女に呼び掛ける。


「さて、お茶が入る前に……お嬢ちゃん、アンタには伝えとかなアカンな。

 このお骨の主は、アンタのお身内の方やろ?」


 住職の声に、華乃は頷く。


「はい、アタシのお母ちゃんの漆原泉美のお骨です」


 ふぅむと息を吐き、腕組みをしながら五島学仁住職はさらに続ける。


ぼんさんみたいな生業をしとったら、まれにこないなことに遭遇する場合があるんや。

 お嬢ちゃん、アンタのお袋さんは酷い亡くなり方をしたんやないか?」


「はい……新開地に出没しとる、切り裂き魔に殺されました…………」


「そうやったんか……恐らくやけど、アンタのお袋さんを殺したんは人間やないな。

 そこな二人には悪いが、人外の妖魅の手ぇでやられたんやろな」


 華乃は眼を見開き、童士と彩藍は互いの顔を見合わす。


「確かに、お母ちゃんを殺したんは……見たこともないような化け物バケモンでした…………」


「やっぱりなぁ、アンタのお袋さんの魂やけど……先だってからずぅっと、お骨の場所に留め置かれてしもとるんや。

 なんぼお経を上げたっても、成仏されるような気配が微塵もない。

 アンタが顔を出したから、何とはのぉ安心したような雰囲気にはなったけどな」


 五島学仁住職の言葉に、華乃は小さく息を吸い込み小さな肩を震わせる。

 そして華乃は涙を溢しながら、震える声で五島学仁住職に問い掛ける。


「お住さん………お母ちゃんは成仏が出来んと……迷ってるってことですか?」


 五島学仁住職も思案顔で自身の不明を恥じるかのように、華乃の声に応える。


「拙僧にも判じかねるんやが、人外の妖魅に突然の如く殺されたから……何らかの呪いが掛けられておるのやも知れん」


「そんな………お母ちゃん…………」


 母の遺骨を前に、嗚咽を漏らし続ける華乃へ…掛けられる言葉もある筈はなく、童士と彩藍は厳しい顔で前を見据え続ける。

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