第20話 灰谷は七ツ眼の悪魔に報告し情報を仕入れる

 川佐機造船所で新しい機甲の試運転と調整完了から数日後、ほうほうの体で一連の試行テストを終えた彩藍は、任部勘七へと報告を行うため小夜曲セレナーデのある柳筋の北端に立っていた。


「ハルさんへの報告よりもかなり遅れてしもたからなぁ、任部の旦那に怒られてしまうやろか?」


 言葉とは裏腹に心配や悩みとは無縁の風情で、彩藍は今日も妓楼みせ前で勤勉に働く音羽多吉に声を掛ける。


「多吉さん、毎度〜。

 任部社長は|居(お》ってですかいな?

 面会予約アポイントメントは取れとらへんのやけど……急ぎの報告がございまして……………」


 にこやかな笑顔でお伺いを立てる彩藍、しかし音羽多吉は心ここに在らずの態で生返事を返す。


「あぁ……社長やったら部屋におるやろ……………。

 上がって声を掛けたらどないや………………」


 平素の音羽多吉とはかけ離れた、薄ぼんやりとした態度に違和感を感じた彩藍は、そのまま階上には進まず音羽多吉に声を掛ける。


「多吉さん、どないかしたんです?

 今日は何や、疲れてはるみたいやけど…………。

 判った!!

 紅緒奥様に、不貞でもバレてしもたんちゃいますのん?」


 界隈でも有名な愛妻家である音羽多吉に、全く無縁であろう予想を軽口混じりに仕向けてみる彩藍。


「アホ言いな!

 お前やないねん、ワシがそんな真似する訳ないやないか!

 まぁ……紅緒の話っちゃあ話やねんけどな……………」


 彩藍の予測通り、音羽多吉の懊悩なやみの理由と言えば恋女房の紅緒のことだ。


「紅緒奥様……どないかされたんです?」


 珍しく笑顔を引っ込めた彩藍は、声音も改め真摯に音羽多吉へ問い掛けてみる。


「実はな……紅緒が五日ほど前から伏せってしもとるんや。

 医者に診せても理由が判らん、ただ深く眠ってるらしくて………意識だけが戻らん状況なんや…………」


 溜息と共に魂まで抜け出してしまいそうな弱々しい声で、音羽多吉は自身の家族に起こっている事情を彩藍に告げた。


「それは……お困りでしょうなぁ。

 紅緒奥様が倒れはる前に、何ぞ兆候しるしみたいなモンは無かったんです?」


 水を向ける彩藍に、音羽多吉は記憶を呼び起こしながらポツポツと答える。


「それがなぁ……ここん所は風邪ひとつ引かんような塩梅で、普通に何の問題もなく暮らしとったんや。

 ホンマこの五日ほど前の夜に、夢見が悪かったんか………うなされとると思ったら、そのまま目ぇが覚めへんままなんや……………」


 やはり誰かに聞いて貰いたいと言う欲求はあったのであろう、彩藍の尋ねるままに、音羽多吉は自身の一家に起こった異変を彩藍へ話して聞かせる。


「紅緒奥様の容体は、今のところ安定しとるんでしょ?

 多吉さんも初穂お嬢さんも、心配で仕方しゃあないでしょうねぇ。

 僕の方でも眠り続ける病気について、調べてみますんで………何か役に立つような話があったら多吉さんを訪ねて来ますよって」


 彩藍は更に親身な風を装い、音羽多吉への思い遣りを誇示アピールしながら店内へと入って行く。


「彩藍……心配を掛けてしもてスマンなぁ。

 頼りにしとるから、何か判ったらホンマに頼むわ…………」


 任しといて下さいと言いつつ、彩藍は音羽多吉へ手を振って、小夜曲の妓楼内へと入って行った。


「ふむ……紅緒さんがねぇ。

 任部の旦那にも聞こえとるやろけど、ここは多吉さんに恩を売っとくのも手やね。

 夢見からの眠り病………妖術の関わりがあんのかないんか?

 ちょっと本腰入れてみることにしましょうかね、もしかしたら任部の旦那からもお褒めの言葉を頂戴できるかもやしね」


 社長室への階段を昇りながら、彩藍は考え込む様子でブツブツ小声で呟いている。

 半分は任部勘七が聞いているだろうとの、前提条件から成り立っているだけの示威行為アピールプレイに過ぎなかったのだが。

 そんなこんなで彩藍が任部勘七の座す、社長室の前に立って扉を叩こうノックしようとしたその時。


「いいですよ、灰谷君。

 入り給え」


 やはり道中に呟いた彩藍の声を聞いていたのであろう、任部勘七が入室を促す声が扉の内側から聞こえてきた。

 彩藍の耳に届くその声はいつもの冷徹な声音ではあったのだが、些かの疲れと憔悴を感じさせるものであるように感じられた。


「任部の旦那……お邪魔しますよ…………」


 任部勘七の声につられるように、彩藍もまたいつもの不遜な態度を潜めさせて神妙な顔で入室する。


「灰谷君……取り敢えずは、君と不破君の調査結果についての報告を聞きましょうか?

 後で私の方からも、貴方達への別件依頼がありますので…………」


 彩藍と対峙し、自身の椅子に深く腰掛ける任部勘七は……平素と変わりない風情であるように見えた。

 しかしその顔にはやはり憔悴の痕跡が見受けられ、いつもの一部の隙もないように整えられた短総髪からも一筋の乱れ髪が額へとこぼれ落ちている。


「てな訳で、僕が相対した『這い寄る混沌』ナイアルラトホテップと名乗る怪物には、僕の右腕の機甲を自爆させて………一応の撃退は果たせたんですけどもね……………」


 彩藍の報告を眼を瞑ったまま聞き取っていた任部勘七だが、その両眼を開くと彩藍に追加で質問を入れる。


「それでは不破君の対応については、どのような決着が?」


 彩藍は童士との会話から読み取った伝聞情報として、任部勘七にありのままを告げる。


「童士君の方でも、魚頭の『深き者ども』って怪物と……『ハイドラ』云う名前のエラい別嬪さんの女怪とやりうたらしいですわ。

 童士君曰く判定勝ちらしいけど、僕の見た目では…引き分け以下ですかね?

 まぁ………童士君は毒を喰らって動けず、南洋美人さんは童士君に両掌を砕かれて逃げ去ったような結果らしいですわ」


 再び瞑目しながら彩藍の報告に耳を傾けていた任部勘七は、更なる質問を彩藍へとぶつける。


「居留地辺りで欧米人から噂程度に聞いていた『旧き神々』エルダーゴッズとその眷族の動向は、引き続き私からの正規の依頼としてお二方に探って頂きたいのですが……お二方が彼等と接近遭遇したのは、確かに五日前の深夜だったのですね?」


 任部勘七ならこの質問は繰り出してくるだろうと想定していた彩藍は、確信を以って深く頷いた。


「はい………間違いありませんね。

 僕と童士君が湊川隧道に潜ったのは、大正十七年五月二十二日の深夜ですわ。

 音羽多吉さんの奥様であり任部の旦那の妹でもある、音羽紅緒さんが日と同日の出来事ですよねぇ」


 額に掛かる乱れ髪を掻き上げながら、任部勘七は彩藍へと告げる。


「紅緒は……私とは母親が違う妾腹の妹ですが、私にとっては数少ない血縁者としてそれなりに大切に思っているのですよ。

 巷で噂されているような、音羽多吉を取り込むための美人局の道具等ということもなく………多吉と紅緒夫婦、それに初穂の家族については私の家族として扱っているんです。

 まぁ、番頭の音羽多吉が腑抜けた状態であれば、我が社への損失が余りある状況になってしまうことが、看過できないことも事実なんですがね……………」


 自嘲気味にフッと笑う任部勘七の顔は、彩藍がこれまでに見たことのない寂しげな微笑を浮かべていた。


「そうですねぇ、さっき階下したで見た多吉さんの姿やったら……おたなの活気に悪影響は出そうですもんねぇ。

 判りました、今回の事案ヤマと紅緒さんの件に直接の関わりがあるかどうかは不明ですけど………取り敢えず同時進行で調査はさせて貰いますよってに。

 調査についてのお代は、おまけサービスしときますけど…解決金は別途で頂戴する方向で宜しいです?」


 彩藍の提案にホッとしたような笑顔を浮かべた任部勘七は、契約の成立を彩藍へと告げる。


「それで構いませんよ、それに先日の湊川隧道の調査に係る費用についても………別途こちらへ請求して頂いて構いません。

 後付けにはなりますが、宜しくお願いします。

 新開地商工会議所との二重請求となっても、当社としては苦情の申し立てはいたしませんので」


 彩藍もニッコリと笑顔を浮かべて、任部勘七へ応える。


「毎度おおきに、僕等も空気は読む方なんでね。

 仕事については、適正価格で対応させて頂きますよ」


 用件の終わった彩藍が、任部勘七の執務室から退出しようとすると………その背に向かって任部勘七が告げる。


「そうそう、漆原泉美さんのご遺体ですが……福原三業組合にて引き取りさせて戴きましたよ。

 行方不明のお嬢さんには申し訳ない話なのですが、既に荼毘に付されて………ご遺骨については私の菩提寺である幸泉寺にてお預かりしていますので。

 漆原泉美さんのお嬢さん……華乃さんに出会うことがあれば、宜しくご伝言ください」


 足を止めた彩藍は、振り返りまではしなかったものの……一つ頷き任部勘七へ言葉を返す。


「ありがとうございます、行方不明の華乃ちゃんも………それを聞いたら喜ぶと思いますわ。

 ほな、また進展があったら寄らしてもらいますよってに」


 後ろ手に社長室の扉を閉めながら、彩藍の顔には薄く笑顔が浮かんでいたのであった。

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