第16話 不破と灰谷は隧道河川で合流する

「ガァァァッ!ギィィィッ!」


 知性を失ったかのように這いずり、両手を躰の前面で守りながら、自身の存在価値アイデンティティでもあった鉤爪と言う存在を、木っ端微塵に破壊した不破童士と名乗る危険因子から逃れようと、ハイドラは悲鳴とも付かない哭き声を上げながら雨水調整池から脱出しようとしている。

 背後から追撃し、ハイドラを完膚なきまでに叩き潰す絶好の機会を得ながらも……童士はその場を動かずじっと佇んで、足元の兜割であった金属塊の片割れに眼を落としている。

 童士にとって兜割と言う武器を失ったことが、ハイドラと同様に自己の同一性アイデンティティの揺らぎとなっていたのであろうか。


「………動け……ないぞ……………」


 ボソリと呟く童士、結局のところ最期の一撃を全身全力で放った揺り返しと、ハイドラから感染した毒素が体内に充満したことにより、単なる動作不能に陥ってしまっただけのようだ。

 ハイドラの逃走に引き摺られるように、深き物どもの生き残りも雨水調整池から退散してしまったので、敵の一味も不破童士を打ち倒すことが叶わなくなってしまったのだった。


「毒は……時間の経過でなんとかなるだろうが、堕天昇魔の超反動キックバックがキツいな…………」


 鬼由来の回復速度で童士の肉体からは毒素が抜けつつあり、既に中毒症状の頂点ピークは過ぎ去っている。

 現在の童士を襲う全身の痙攣めいた震えは、体幹から末端までの筋繊維があらゆる箇所で断裂してしまった故の症状であった。


「使い勝手の良いヤツだったんだがな…………」


 ここで初めて童士の口から、愛器である兜割を失った感想が漏れる。


「次を探すのが………面倒だ…………」


「いやいや童士君、大切な武器をうしのうたんやから……もうちょっと感傷的おセンチな気分になっても良いんやない?

 長い間お世話になっとった癖に、薄情にも程があるやん」


 突然、自身の声に被せるよう声を掛けて現れた彩藍に、童士は特に驚くでもなく普通のトーンで応える。


「武器なんてものは装飾品ブランドじゃねぇ、ただの道具にしか過ぎないんだ。

 俺にとっては、俺の力で『折れない・曲がらない・砕けない』の三拍子が揃ってりゃそれで良いんだよ」


 フンッと鼻息も荒く、下らないことを喋らせるなと言わんばかりの童士であった。


「ところで童士君?

 何やエラいボロボロな姿になっとるようやけど………ひょっとして負けたん?」


 グワッと眼を見開いた怒りの表情で童士は、自身の地雷を踏み抜いた彩藍へと怒鳴る。


「俺が負けてたら、生きてる訳ないだろうがっ!」


 鬼の拘りプライド、鬼の規範ルールなどと言う物に全く興味のない彩藍は、『さよか』の一言で童士に返す。


「俺よりも彩藍、お前の方が酷い姿だろう。

 右腕まで千切れてるじゃないか、お前こそ負けて逃げて来たのか?」


 そこで彩藍は隧道の下流域で遭遇した、黒い男の話を童士に告げる。


「泉美さん殺しの監視役のオッさんに遭遇してね、アレやコレやで結局………引き分けかな?

 ……お土産に右腕は持って行かれたけど…………」


「引き分けか……ところでその監視役とは何者だ?」


 童士の問いに彩藍は、黒い男の情報を伝える。


「あ〜、這い寄る混沌ナイアルラトホテップやってさ。

 旧き神々エルダーゴッズの使者やって、本人さんも認めとったから……多分ホンマやと思うわ」


 童士は難しい顔で、思案している風に彩藍へと返す。


「ふむ……俺が遭ったのは、ハイドラと名乗る女怪だ。

 結果は、俺の判定勝ちだった。

 と………なると、何故こんな土地にヤツ等の眷族が跋扈しているのかってことだな…………」


 さり気なくなのか無意識の為せることなのか、童士は自分が勝者であると喧伝アピールしながら、疑問を口にする。


「僕も聞いてはみたけど、教えては貰えんかったなぁ。

 あの……童士君?

 僕から見たら結果は、贔屓目に見ても引き分け以下にしか見えへんねんけど……………」


 童士の勝利宣言に、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、彩藍は童士を揶揄う。


「俺が動けないのは、堕天昇魔の自傷のせいだ。

 決してハイドラに遅れをとった訳じゃない!」


 強く言い切る童士に、彩藍は驚きを隠せない。


「うへぇ………あの、後先考えんと全力で力任せにぶん殴る、あの頭のわる………い、いや………恐ろしい必殺技を使つこたんかいなぁ。

 そらボロボロにもなるわなぁ」


 『頭のわる……』の部分で童士は、視線で人を殺せるならば殺してしまうような、殺気全開の視線で彩藍を睨み付けていた。


「ところで彩藍、ご覧の通り俺は自傷で動けん。

 治療を頼んでも良いか?」


 童士の頼みに彩藍は、ニヤリと悪魔的な笑みを更に深くして応える。


「いやぁ………僕は負けに等しい引き分けで、右腕も失うてしもたからなぁ。

 華麗な勝利を収めた童士君を治療するなんて、畏れ多くて出来ませんわ。

 しゃーないから、請負で治療は出来んでもないんやけどねぇ」


「彩藍……お前、相棒の危機ピンチで金を儲けるつもりなのか?

 人の弱みにつけ込みやがって、何を考えてやがるんだっ!」


 躰を動かすことが叶わぬ童士は、額に青筋を浮かべて彩藍を恫喝する。

 左脚一本でピョンと飛び上がった彩藍は、ニヤニヤ笑いを浮かべたまま続ける。


「おぉ怖っ。

 ただでさえ怖い鬼の童士君にそんな顔で凄まれたら、僕みたいな弱たんはビビって逃げ帰ってしまうやん」


 そう言うと出口に向かってスタスタと歩き出す彩藍、軽やかに去ろうとする彩藍の背に童士が叫ぶ。


「ちょっ……待てよっ!

 判った!判ったから!

 八栄亭の飲み食い放題でどうだっ!」


 慌てながらも行きつけの焼き鳥店での飲食で、手を打とうと提案する童士。


「え〜、またかいなぁ。

 僕はもうちょっと、色気とかのあるお店の方がよろしいんやけどぉ?」


 言質を取った上で、更なる上積みを狙いながら笑う彩藍。


「判った!

 綺麗な女給の居る社交喫茶カフェーを二軒目で付けようじゃないか!」


 恥も外聞もなく、追加の店を提示して取り成そうとする童士。


仕方しゃあないなぁ、店は僕に決めさせてよ」


 満面の笑みで彩藍は、今回の商談が成立したことを告げる。


「判ったよ!

 だから早く治療してくれよ!」


 焦りながらも突っ立ったままの童士に、彩藍は治癒の法術を施す。

 彩藍の左掌から柔らかい光が灯り、童士の背中に充てがわれると……瞬時の内に童士の躰から痙攣の症状は消え去り、童士は固まった躰をほぐすように全身の関節を動かした。


「お前……こんなことばかりしてると、友達が一人も居なくなるぞ」


 恨みがましい目付きで童士に睨まれるも、彩藍は堪えた風もなく笑顔を浮かべる。


「大丈夫!

 童士君が戦闘で無茶してる限りは、僕がいつでもお友達価格で治療してあげるから!」


 若干……足元をふらつかせながら歩き出す童士と、右脚を引き摺りながら楽しげに続く彩藍。

 二人の長い夜が終わりを迎える頃、夜明けの青灰色におぼめく光が、暗い隧道の出口に差し込んで来た。

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