第15話 不破は女怪の猛攻に喪失する
圧縮されるように成長したハイドラは、今では童士よりも少し低い背丈の女、と言うような風体となっていた。
巨体を誇っていた時は全裸であったその姿は、現在では身体にピッタリと黒光りする微小な鱗が
切り裂き貫くための鉤爪の禍々しさはそのままに、妖艶で美しい女が憎々しげに童士を睨み付けながら、口唇から鋭い牙を覗かせ威嚇音を漏らしつつ攻撃の機会を窺っている。
「フン……デカい化け物が小さくなっただけかと思ったら、獰猛さも危険度も増しているように見えるじゃねぇか」
童士とハイドラ、二匹の猛獣が互いに牽制するかのように三米突ばかりの距離を保持したまま、ジリジリと円を描くように廻っている。
その膠着状態を嫌ってか、間合いを詰めたハイドラが上段から右手を童士に向かって振り下ろす。
童士の左肩から袈裟斬りに切って捨てる意思を込めた、居合の達人の斬撃にも喩えられそうな、素早く無駄な動作を排した一撃であった。
「鋭いなぁっ!」
常人ならば一撃の下に屍を晒しかねない攻撃に、童士は流石の反応速度で対応する。
左前に構えた兜割を軽く跳ね上げ、ハイドラの手首の内側を押すように打ち払うと、そのまま左脚を引いて躰を半回転させる。
童士の軽打と回避によって軌道を逸らされたハイドラの右手は、空振りの勢いのまま全身のバランスを少し右側へ崩されたように見える。
ハイドラの隙を突くように童士は、今度は右前に構えた兜割でハイドラの左頬を狙って必殺の突きを放つ。
「シィィッ!!」
バランスを崩した体勢のままハイドラは、右脚を軸に左脚を跳ね上げ、前方に宙返りを打って童士の突きを背中で躱す。
着地の直後に衝撃を吸収した膝を利用し、伸び上がりながら跳躍し童士の喉元を突き刺そうと狙う。
「良い動きだな……体勢の崩れすら攻撃の機会へ切り替えるか。
ハイドラよ、出自は知らんが素晴らしい闘士だ」
突きを正面から躱しハイドラの手首を剛力で掴み取ると、童士はニヤリと笑みを浮かべる。
ハイドラも自由な左手で横殴りに童士を打とうとしながら、面白そうに眼を煌めかせる。
「オ主モ、良イ戦士ダ。
強イ戦士ヲ殺シテ喰ラウ喜ビハ、何物ニモ替エ難イ」
「言うじゃねぇか、さっきも言ったろ?
殺せるものなら殺してみやがれってな!!」
兜割を足元に転がし両手でハイドラの両手首を掴んだ童士は、手四つの体勢から強引にハイドラの肉体を振り投げる。
投げられながらもハイドラは、空中で身を翻して華麗に足から着地し、次の攻撃の機会を付け狙う。
童士も足一本で蹴り上げた兜割を素軽く手中に収め、隙一つ見せることなくハイドラに正対する。
一連の攻防は優雅な演舞のように流れながらも、その一撃一撃は互いの生命を削り取る必殺の技巧に満ちたものであった。
周囲に散開している
高次元で戦闘が停滞している感覚は、童士にとって新鮮な驚きを与えていた。
「このままでは埒が開かないな。
では………これでどうだっ!?」
一瞬しゃがみ込むような姿勢から放たれる童士の下段回し蹴り、足払いの効果でハイドラは虚をつかれ思わず後方によろけた。
その隙を逃さず童士は、兜割をハイドラの肝臓に横振りで打ちつける。
返す刀で
「ギィヤァァァッ!」
大きく両眼を見開き、人体の急所に二連撃を受けたハイドラは苦悶の叫びを絞り出す。
口から吐き出すドス黒い体液が、兜割を引き抜く寸前の童士の顔に飛沫となって降りかかる。
「これはっ…………!」
飛沫を浴びた瞬間、童士の顔は突如として激痛に襲われた。
劇薬の化学薬品をその身で受け止めたかのように、飛沫が付着した箇所からシュウシュウと煙が上がる。
「コイツ……体液が毒物なのか…………?」
童士は顔面を片手で押さえ、ハイドラの体液が付着した部分を擦り取ろうとする。
運良く眼には届かなかったが、擦る手の甲もまた毒液に浸潤されたかのように激痛に見舞われる。
「我ガ血肉ハ、人間ニハ害悪トナル。
鬼ニモ効クトハ、想定外ダッタガナ」
口唇からドス黒い血を滴らせながら、ハイドラは妖艶とも云える微笑みで童士を見やる。
体術では遅れを取ったが、それ故に童士へと痛撃を与えられた悦びに、全身を打ち震わせているようであった。
「多少の傷で、鬼が止まると思っているのかっ!」
ハイドラの潜ませた暗器とも云うべき、猛毒によって与えられた痛みに、童士は怒り心頭で激しい乱撃を加え始める。
打ち合うこと何合目であろうか、童士が打ち、払い、突き、叩く……合わせてハイドラが止め、躱し、避け、受ける。
永劫にも続くかと思われた激しい攻防であったが、突如……童士の打ち込みに翳りが見られた。
当初はほんの少し攻撃にブレが見られたかのような、翳りとも捉えられない些細な違和感であった。
時間が過ぎるにつれそのブレは少しずつ拡大して行き、童士の
「この………毒は……外傷だけではなく………体内にも……作用するのか……………?」
童士はと云うと、肩で大きく息を吐きながら……全身から汗が吹き出している。
先刻までは紅潮し、活力に満ち溢れていた顔色を失い、今では青褪めて半病人のような表情となってしまっている。
攻撃の合間にはビシッと静止し、武術の達人の如き佇まいであった立ち姿も、足元が覚束ぬ程に泥酔した男のようである。
「ヨウヤク、効キ目ガ現レタカ。
人ノ子デアレバ、死ニ至ッテモ可笑シクナイ量ノ毒ヲ、与エラレテ居ルノニナ」
童士の猛攻に対し防戦一方であったハイドラの動きは、毒物の廻りを早くするための作戦であったと思われる。
ニタリと邪悪な微笑みをうかべたハイドラは、類稀なる強敵であった童士を仕留める手段と機会を窺い、ジリジリと間合いを詰め寄る。
「ハイドラよ………勝ち誇るのは……俺が死体に……なってからに………しろよ…………。
指先……一本だけでも………動く限りは………俺は俺の勝ちを……諦めん……………」
スウッと大きく息を吸い込んだ童士は、全身に力を溜め込み毒物の影響である震えを抑え込む。
吸い込んだまま呼吸を止めて、恐らくは最期の打撃になるであろう一撃に己の総てを託す。
「不破童士!死ヌガ良イッ!」
ハイドラの側でもこの一撃が勝敗を別つ最期の攻防になると判断し、自身の鉤爪を合掌で強化して間合いを詰めて突き上げる。
「鬼哭流杖術………堕天昇魔!」
引き絞られた筋力を一撃で解き放ち、最上段から兜割の全重量を、ハイドラの純白の頭髪に覆われた頭頂部へと叩き込む。
迎え撃つハイドラは、童士の裂帛の気合と共に放たれた重撃に、一瞬怯んだように合掌した両手を頭上へと持ち上げる。
奇しくも自身の頭部へ襲い来る兜割を、撚り合わせた鉤爪で貫くような体勢であった。
「キィッーーーーン!!」
甲高く澄んだ美しいとも言える音色が、殺伐とした戦闘区域である雨水調整池に響き渡る。
一瞬の静寂の後に『ゴトリ』と重量物が、雨水調整池の床石に落下する音が聴こえた。
「ギィィィィィィッ!!」
童士の眼前には両手の鉤爪を全て砕かれ、両手の指も骨ごと砕け散って激痛にのたうち回るハイドラの姿があった。
呆然としながら童士が自分の右手を見遣ると、長年連れ添った愛器である兜割が半ばから真っ二つとなり、二尺程の根元部分が握られ、片割れの先端から二尺超の部分は先刻の落下音の音源となっていた。
「そうか……折れたのか……………」
絶叫を上げながらのたうち逃げ惑うハイドラを、追うでもなく呆然と失われた愛器を眺める童士であった。
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