第10話 灰谷は暗闇で混沌と交戦する

 時は少し戻って、童士が上流から湊川隧道に潜入しようとしている頃……彩藍もまた下流側から湊川隧道に侵入しようとしていた。

 進入口に潜むであろう怪異を追って、闇夜に紛れるように彩藍は会下山公園に向かっている。

 童士とは違ってその装束は、平常時いつもの彩藍と違いは大きく見られない。

 黒系統の色で統一された三つ揃いの背広、しかしながら両の脚だけは編み上げの軍用長靴コンバットブーツに包まれている。

 凡そ今から戦闘に赴く兵士つわものには見えず、深夜の散歩を楽しむ紳士の佇まいであった。


「ちぇっ、やっぱり下流からの方が遠いなぁ。

 童士君に上流を譲るんやなかったわ」


 いつものように軽い口調で、ブツクサ不平を述べながらも、彩藍は会下山公園の南西端に開口部を開けている湊川隧道の吐出口へと到達した。


「いつ見ても立派な出口やねぇ、小曽根の旦那も豪気なモンを作りはったなぁ。

 こんな味気ないモンに、大枚叩くはた神経は僕には理解出来んけど」


 確かに……隧道とは言え、一河川の吐出口にしては立派過ぎる構えであった。

 川底までは十米突近くはあるだろうか、吐出口の門構アーチまで入れると全高十五米突はあるように見える。

 門構と吐出口の縁には御影石の飾り石が据え付けられ、その他の躯体部分には赤煉瓦が一面に張り巡らされている。

 川底にもまた御影石が床材として敷き詰められ、人工的な景観としては一流の工業的意匠インダストリアルデザインとなっていた。

 彩藍の言うように地元の実業家、小曽根喜一郎らの発起による事業として明治三十四年に竣工された、陽ノ本初の隧道化河川である。


 彩藍は徐に堤防の上部からフワリと飛び降り、未だ摩耗・損耗の見られない御影石の川床へ飛び降りる。

 小さな水音だけを発生させ、小さな段差を飛び降りたような所作で彩藍は川床へ到着した。


「やっぱり足元は軍靴で良かったかな?

 いつもの革靴やったらになる所やったわ」


 袴下ズボンの裾を濡らすこともなく、長靴に飛んだ水滴を振り払いながら彩藍は呟く。


「中はやっぱり暗いなぁ、僕みたいな一般人の半妖には手に負えんわ。

 狐火さん、ちゃんと仕事しといてな」


 指をパチリと鳴らす彩藍の前方に、青白い炎のように見える光源が揺めきながら現れる。


「それじゃあ隧道探検に出発しますか」


 あくまでも軽々しい口調と物腰で、彩藍は湊川隧道へと足を踏み入れる。


 鼻歌でも歌い出しそうな軽い足取りで、彩藍は隧道の奥へと進んで行く。

 軽い足取りとは裏腹に足音はほぼ聞こえず、腰に履いた黒烏丸に右手を添えて……辺りを確認しながら進む彩藍の両眼は、油断を微塵も感じさせない鋭い眼差しをしていた。


「ありゃ、こっちが当たりの目ぇやったんかな?」


 吐出口から遠く離れて、光源と言えばフワフワと前を飛ぶ狐火だけとなった状況下で、彩藍は前方に佇む人影を視認する。


「あちらさんも……もう気付いとるやろねぇ、ちょっと挨拶でもしときますか?」


 無造作に近付く彩藍と狐火、前方の人影は身じろぎ一つすることなく、悠然と待ち構えているようだ。


「貴方の方が此方へ来てくださいましたか、初めまして……でよろしいですかね?」


 穏やかな声で彩藍に声を掛ける人物だが、狐火に照らされた口元は薄く微笑しているようにも見える。

 喪服と見間違えるような黒く染まった洋装の裾が長い上衣を纏い、長髪を後ろで一つに括り垂らしている。

 顔立ちは細面で浅黒く、整っているようにも見受けられるが、かと言って特に印象的な要素も見出せない。

 全体的に作り物めいて、生気を感じさせない死相の複製デスマスクじみた嫌悪感を抱かせるような顔相であった。

 印象操作の結果ただ単に『黒い人』としか認識出来ないような、薄気味悪い存在感の人物であった。


其方そちらさんは僕等のことを知っとるみたいな口振りやけど、僕は生憎とアンタのことを存じ上げておりませんでねぇ。

 取り敢えず……僕は灰谷彩藍、事件屋と芸能の小商いを営んでる半妖ですわ」


 鼻息も荒く、不機嫌な様子で自己紹介をする彩藍に、黒い男はにこやかに微笑みながら自己紹介を返す。


「私は深淵の知識を持つ者からは、『這い寄る混沌』ナイアルラトホテップと呼ばれるです。

 別名としては『黒い男』とも呼ばれたりもしますが……私自身には名前の概念がございませんので、灰谷彩藍さんのお好きなように呼称していただいて宜しいかと」


「ふーん……アンタがあの使ってヤツかいな。

 確か、阿弗利加アフリカだの欧羅巴ヨーロッパだの新大陸が縄張りやなかったっけ。

 何でまた極東亜細亜アジアの陽ノ本なんかに出張って来たん?

 それも神戸みたいな田舎町に来て、酔狂にも程があるんと違います?」


 ぞんざいな彩藍の言葉にフッと嗤いながら、黒い男は穏やかな口調のまま応える。


「私自身に意思はないも同然ですので、神々の意思……いや神々でさえも宇宙の因果律に従っているだけに過ぎないので、私がこの地に顕現していることすら大いなる宇宙の意思………なのでしょうね。

 貴方の仰る縄張り意識も、私の行動を縛る物ではないですし。

 私がこの国に顕現したのであれば、宇宙規模で発生する混沌の中心に、この地が選ばれたと云う事実があるだけですから」


 黒い男の返答に、彩藍は床石に向かって唾を吐くと、眉間に皺を寄せて言葉も吐き捨てる。


「ケッ!しょーもない理屈をきやがってからに、アンタに縄張り意識がなくっても、コッチは縄張り意識だけで生きとるんじゃ!

 ご大層な戯言を言うて、他人ひと様の庭先に小便引っ掛けるような真似しくさるんやったら……痛い目見して尻尾巻いて逃げ帰るようにしたらなアカンなぁ……………」


 言い放つなり彩藍は、仕込み杖から黒烏丸の本身を抜き放ち…顔に笑顔を貼り付けたままの黒い男に向かって、一直線に詰め寄った。

 彩藍の裂帛の気合を込めた横薙ぎの一撃を、顔色一つ変える事なく紙一重で見切って躱すと、黒い男は楽しそうに話し掛ける。


「陽ノ本の妖人とは初対面ですが、直情的で面白い種族のようですね。

 私の知る異形の者共は……陰気で辛気臭い者ばかりなので、新鮮な感情が沸きますよ」


「さよか、感情だけやうて………新鮮な傷口も作ったるからねっと」


 返す言葉と刀で、黒烏丸の切先を素早く縦に横に繰り出すも、その全ての攻撃は黒い男に躱されるばかり。


「返す返すも……貴方は面白い方ですね。

 深淵の知識も持っておられる筈なのに、口調は品性下劣で暴力的で切れ味鋭い蛮勇さもお持ちだ。

 しかしながら……この場所に私だけが待ち構えている事に違和感は感じませんか?

 あの生臭い眷族共が、何処に向かって何をしているのか気になりませんか?」


 邪悪な微笑みを一層深めて、黒い男は彩藍を嘲笑う。


「あー、アンタの手下達は童士君の居る上流に行ってるんかぁ。

 マズいなぁ、後でメッチャ怒られるやん」


「フフッ、不破童士さんに怒られる心配はないと思われますよ。今頃は深き者どもディープワンズに、切り刻まれておられるでしょうから」


 超高速の剣戟を繰り広げながら、彩藍は黒い男の言葉に満面の笑みで反論する。


「ゴメンゴメン、勘違いさせてしもたみたいやね。

 僕が童士君に怒られる理由は………童士君に数だけの前菜ザコ処理を押し付けて、僕がアンタっていう本菜メインディッシュを頂戴してしまうって事やから。

 童士君は真性の戦闘狂ホンマにヤバい人なんやから……責任はそっちで取ってくれたら有難いんやけどなぁ」


 軽口を叩きながらも彩藍の振るう剣先は、更なる鋭さを増して黒い男に向い続ける。

 余裕の表情で躱し続ける黒い男だが、彩藍の動きが一瞬ブレて見えた。


「グゥッ…………!」


 呻いて瞬間的に動きを止める黒い男、その右脇腹には彩藍の左手に握られた、刃渡り八寸程の短剣の切先が切り裂いた傷痕が覗いていた。


「色々と知ったか振りしてくれてたみたいやけど、僕の遣う烏天舞剣術うてんまいつるぎじゅつは二刀一対の長短剣の技が奥義やねんで。

 陽ノ本土産に覚えて、とっとと逃げ帰ってな」


 彩藍の挑発めいた言葉に、黒い男は笑顔のまま傷口を眺めた。


「私の現身うつしみに傷が付けられたのは数百年振りですかね、貴方達を些か甘く見過ぎてしまったようです。

 さぁ……少しばかり本気を出して、灰谷彩藍さんのお相手をいたしますよ」


 そう言うと黒い男は、全身からドス黒い闘気オーラの渦を噴出させたように見えた。


「第二回戦ラウンドの開始って事やね」


 ジワリと冷汗を流しながら、彩藍は黒い男の攻勢に備えるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る