第9話 不破は隧道河川にて怪異と遭遇する

 湊川の上流から湊川隧道に進入するには、東の天王谷川と西の石井川が合流する場所を経て川底へ下らなければならない。

 旧都の福原京においては『雪見の御所』と呼ばれた、雪御所ゆきのごしょ町から童士は湊川の本流へと立ち入った。


 童士の出立ちと言えば蝦茶えびちゃ色した上衣の筒袖を同色の手甲で押さえ、さらに同色の袴に膝下丈の足袋を履いている。

 古式ゆかしい忍の衣装にも似た、簡素な装束にその巨体を包む。

 頭巾だけは被らず肌の露出した相貌を目立たなくするよう、炭由来の顔料を斑らに塗り込んでいた。

 

「晴れた日は大人しい川なんだがな。

 暴れ川だからと言って自然の流れを捻じ曲げるとは、人間の横暴も此処に極まれりってことか…………」


 苦々しい思いで独りごちた童士であったが、自分の発した言葉にハッと気付く。


「そうか……陽ノ本の水妖であれば、自然を尊びあるがままの川の流れを好む。

 となれば……今回の怪物が湊川隧道に潜み棲んで居るのならば、陽ノ本の水妖である確率は下がるってことにはなるな」

 

 成る程と呟き、右の腕に抱えた兜割を軽く振ると、ビシュウッと空気を叩き割る様な音が響く。


およ身内妖怪の犯行でないなら、遠慮容赦無くちのめすのに呵責の意はない。

 捜索前に気付けて良かったぜ……なぁ相棒?」


 漆黒の焼成色を纏った八角形の重金属合金である兜割の姿を認め、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた童士は、闘争の人生で苦楽を共にした愛器に声を掛ける。


「彩藍の奴もその辺に気付いてるだろうとは思うが……まぁヤツの性根じゃ手心なんて加える気は毛頭ないだろうしな」


 相方の心配などする風情も見せず、童士は深夜の闇よりも深く暗い隧道に足を踏み入れる。


「しかし暗いあなぐらだ、鬼の眼でも薄暗く感じるのか」


 総煉瓦造の隧道、その底を流れる僅かな水流を踏みしだきながら、童士は下流である西へと向かって歩を進める。

 進入口から百米突は歩いたであろうか、北側に雨水幹線の巨大な流入口を発見した辺りで童士は歩みを止めた。


大当たりビンゴか、この奥から妙な物音が聴こえて来る。

 此処からは隠密行動になるか………面倒だが仕方ないな」


 北側へ向かう雨水幹線を上流に向かって逆走する童士は、猫科の肉食獣の如きしなやかな動作で、物音一つ立てることなく滑るように進んで行く。

 異音の源に近付く童士の耳には、低音の呪詛の如き魔道の詠唱にも似た音声が聴こえて来る。


「スン ウォジジュパ!プゥス! アサウグドゥグ? ルルグゥ」


 不気味な音声が複数重なり、赤茶けた煉瓦の壁に反響する。

 雨水を一時的に貯留する調整池、その巨大な半球形の空間の最上流に祭壇が設けられている。

 祭壇の両脇には人の背丈程の高さの篝火かがりびが焚かれ、中央には禍々しい触手を持つ生物の彫刻が全面に施され、磨き抜かれた黒檀のように底光りする巨大な櫃が安置されていた。

 そのおぞましき櫃に向かって、十名を超える異形の存在が拝礼しながら繰り返し同じ文言を復唱している。


「な………何者なんだ?

 あの化け物共は………………」


 呟く童士の眼前に存在する人影は、まさしく化け物と形容するに相応しい存在であった。

 篝火に照らされた肉体は、ギラギラとげん色に光る鱗に覆われている。

 身長は個体によりまちまちだが、凡そは小柄な人間程度の高さに見える。

 ガニ股の脚は膝を曲げたまま固定されて居るかのようで、腕は全身の配分から鑑みるに長く伸びている。

 そして首のあるべき場所は太く直線的で、肩から直接に流線型じみた頭が生えているようだ。

 頭の両脇には鰓状の切れ込みが入り、空気を求めて喘ぐように規則正しく開閉を繰り返す。

 最後尾の一体が童士の気配に感づいたように、身体ごとゆっくり振り返る。


 身体的特徴は魚類の近縁を指し示していたが、その顔相もまた魚類じみた雰囲気に満ちていた。

 流線型の頂点に近い頭頂部の少し下に、左右に広がった無表情な眼球は丸く大きく飛び出している。

 鼻は低く潰れたかのような形状で、鼻の孔は上向きに大きく開放されている。

 こちらも横に大きく拡がった口角はへの字型で、半開きの口元からは牙のような乱杭歯らんぐいばが覗く。


「チィッ、見つかったか。

 もう少し確かめたかったんだがな……仕方ないるか」


「ノォリュ パルルゥ!クゥ!」


 童士が兜割を構えると同刻、謎の魚怪も両手の爪を前面に構えて戦闘態勢を整えた。


ィッ」


 ゆらりと巨大な体躯を地面と平行に倒すかのような脱力感に満ちた姿勢から一転、全身にギュウッと力を凝縮させて漲らせると……童士は気合一閃し魚怪の許へとその身を撃ち出した。

 弾丸の如き初速で跳躍する躰は、凝縮された力に比例し小さく縮んだかのように錯覚させられる。


「ノォリュ デルトゥ!フフゥンクゥ ワァ!」


 童士の振り下ろす超速の打撃を、無造作に突き出した左手で掴み取った魚怪は、無表情な丸い眼をギョロリと蠢かした。

 今度は自分の順番ターンだとばかりに魚怪は、左手で兜割を握りしめたまま、右手を貫手の形に揃えて童士の左胸に向けて予備動作無しノーモーションで素早く突き出す。


「うぉっ!ノソノソ歩く割に突き手は速いなっ!」


 兜割から左手を離し、左脚を半歩引きながら半身の姿勢に回転した童士は、その回転の勢いのまま右手一本で魚怪を背負うように地面へと振り投げる。

 地面へと叩きつけられる直前、兜割を握った左手を開いた魚怪は、空中で半回転しフワリと足から着地する。


「初手の攻防は互角……愚鈍そうに見えて敏捷で賢明か、単純に何者かに操られているだけの無能って訳でもなさそうだな」


 対峙する魚怪から眼を離すことなく、童士は敵の素性について考察する。


「イン オリュ ルルゥ! ク」


 今度は魚怪が上方に向かって跳躍し、今度は頭部が下向きになるように半回転する。

 そのまま隧道の天井に両脚を接地させると、膝の屈伸で勢いを増して童士の頭へと両手の爪を伸ばす。


「頭の上から仕掛けると、兜割の振り下ろしを無効化できると考えたか?

 学習能力も高いのか……けどなっ!」


 上から突き刺しに掛かる魚怪の爪、その攻撃の軌道を見切った童士は一歩分だけ後退する。

 兜割を地面にトンッと突き立てると、魚介の進入角度と同一になるように調整する。

 魚怪の頭頂部に鉄兜の石突が突き当たった瞬間、童士は両腕の膂力を最大限に発揮し、天井へ向けて兜割を押し上げる。


「グ!ョ?…………!!!」


 グシャリと魚怪の頭頂部に突き刺さった兜割は、落下速度に魚怪自身の自重を加算され……更には兜割の石突の先端部の面積に童士の押し上げる筋力を乗じて、湿った音を立てながらジュブジュブと魚怪の中に差し込まれて行く。

 絶命し筋肉の反射でビクビクと痙攣する魚怪から、ズルリと兜割を引き抜くと、童士は死骸に向かって吐き捨てる。


「兜割は打撃武器じゃねぇんだ、打突武器なんだよ。

 鬼哭流杖術きこくりゅうじょうじゅつの深奥は、鬼の膂力を利した『突き』にこそあるんだ……覚えとけっ!」


 懐中から取り出した手拭いで、兜割に付着した魚怪の生臭い体液を拭き取り、童士は祭壇の方向に視線を送る。


「流石に……これだけ騒げば気付かれるよな」


 前方からは同胞の死に何の感情も引き起こされない様子の、無感情で無表情な魚怪の一群が不恰好な歩みで近付いて来るのが見える。


「どの化け物が華乃の母親の仇かは知らんが、取り敢えず此奴等を殲滅すれば……当たりの可能性はあるってことだよな」


 兜割を軽く振るうと、童士は殺気立つ魚怪の群れへと突撃を開始した。

 その顔に浮かぶのは、これから始まる殺戮の宴を愉しむことしか考えていない、本能に目覚めた鬼の凄惨な笑顔であった。

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