第7話

「おはよ、トウタ」


いつの間にか自室のベッドの横にいたアオイが、自分の顔を覗き込んでいた。

寝ぼけたまま、腕を伸ばす。頭を侵すほどの甘い香りが部屋に充満している。


なんだ。いつも見ている夢か。

ふわふわした頭で彼女の腕を引っ張った。


「きゃあ!」


温かなぬくもりと柔らかな胸に顔を埋める。制服のシャツの上からでも分かる弾力のある胸にすりすりと顔を押し付ける。


あれ、柔らかい。

夢は所詮夢だ。胸の柔らかさの想像ができなくて、いつもなんだか物足りないのだ。ああ夢なんだなと気づく程には。

だが今は温かく柔らかいしっかりとした弾力を感じる。例えるならマシュマロみたいだ。いや、つきたての餅でもいい。

しっかりと例えられる現実に我に返る。


「え、あれ、アオイ……?」

「う、うん」


目線だけ上に向けると真っ赤な顔をしたアオイがいた。もう本当に耳まで赤い。


「うわ、ご、ごめん!」


慌てて体を放すと、トウタはベッドから転げ落ちた。視界に天井とアオイの顔が見える。


「大丈夫っ?」

「いってぇ…あ、ああ。こんな早くにどうしたんだ?」


セットした目覚ましは鳴っていないはずだ。昨日は全く寝付けなかったので、気づかずに寝こけていた線も捨てきれないが。


「トウタが今日は寝坊するんだろうなと思って早めに起こしにきたの」

「なっ、寝坊するのはお前のせいだろうが! お前が昨日……っ」


アオイは意味深な台詞を告げるだけ告げて家へと帰ってしまった。取り残されたのは、呆然とした自分だけ。

家に帰ってきてもどういう意味かさっぱりわからなかった。


「お前、男に何されてもいいとか言うなよっ」

「でも、トウタだから」

「俺でも、だ!」


特に自分は何をするかわからない。今だってずっと理性と戦っている。いや間違えた、戦う相手は煩悩だ。理性を応援しなくちゃいけないのに危うく倒す敵に認定するところだった。

ほら、みろ。すっかり混乱しているではないか。


「お前、俺とそういうことするのムリなんだろ?」

「え?」

「中学の時に、俺の部屋でエロ本見つけて言ってたじゃないか。ムリだって」

「え? あ、ああ、え、ええっ?」

「だから、ムリすることないって。俺もわかってるから」


分かってるから、ずっと我慢してた。

こんなおかしな体質になって、アオイを襲いたくなっても必死で、彼女に嫌われないように、泣かせないように頑張ってきたのに。


ヤバイ、泣きそうなのは自分の方だ。

こんな変な体質で失恋決定とか。報われなさすぎて泣きたい。

いや、初恋の幼馴染みと初キスだけでもできたのだから、まだましか。というか、体の関係はムリでもキスなら大丈夫とか、清純派アイドルか。いや、違うか。ビッチの反対語ってなんだろう?


「トウタ、違うの! ムリって言ったのはあの特集ページのことで、だって男の子なら好きだって、当然だって言ったでしょ?」

「へ、特集?」


あのエロ本の特集なんて覚えていない。そもそもあの頃はアオイの香りに慣れていなくて振り回されてばかりで、少しでも耐性をつけたくてアオイに似た女の子が載っている雑誌を買い漁っていた。特集よりも顔重視だ。それでエロいことばかり妄想して忍耐を養っていた時期だ。


「Hカップ以上の胸の大きい子特集だよ!」

「え、そうだったか?」

「トウタは、だから胸の大きい子が好きかと思って…私その時まだBカップくらいしかなかったから、全然足りなくてムリだってショックだったの」

「いや、俺はアオイだったら何でもいいんだけど」


小さくても大きくても関係ない。

アオイが好きなだけだから。


「え、そうなの? でも、頑張ってDカップまできたの。もうすぐEカップになるから、あの、だから…後はトウタが大きくしてくれる?」


恥ずかしそうにはにかみながらアオイは一生懸命に告げた。

制服姿で。


「今って朝だよな。そんで今日は学校行く日だよな」

「え、うん。だから、起こしに来たって言わなかった?」

「俺、お前が近くにくると甘い匂いがするんだよ。で、それを嗅ぐとエッチなことやりたくなるんだけど」

「だから近づくなって言ったの? 私、トウタのこと好きだから、もちろんオッケーだよ」


顔を両手で覆って、トウタは心の底から息を吐き出した。それはもう、魂が抜け出るほど深く深く。


今こそ長年の忍耐力を発揮するときだ。理性を総動員させて、般若心経でも円周率でもなんでも唱えてやろう。

香りなんて吹っ飛ぶくらい、可愛くてエッチなおねだりに耐えてみせる。


犯罪者にはならないけれど、高校生の常識的に平日の朝から学校サボっていたすのがアウトだとキチンと分かっているから。

分かっているから、少しだけ落ち着く時間をください!

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