第67話 ハードル×緊急事態

 〇


 池田さんになされるまま、とりあえず私は漫画の道具を取り出し、ひたすら無心に原稿を進めます。が、机の上に置いているスマホからは、


「お膳立てはしたからねー。あとはきっちり決めるんだよー」「ああそうそう、十時になったら開けるって言ったけど。あれは嘘だ」「告白するまで出られない部屋と化しているのでそこらへんよろしくー」


 といった、私からすればスカイツリーくらいの高さがあるハードルを課してきています。もはやくぐるといった概念すら考えられないほどです。

 八色くんは八色くんでどこか釈然としないというような面持ちで首を捻りながらも、文句は言わずに私の向かいの机について夏休みの課題を進めています。


 う、うう……そんなこと言われたって、そんなこと言われたって……い、いきなり言えって言われても無理だよ……。

 それに、ついさっき車のなかでげーげー吐いていた女子に告白されて嬉しい人いる? いるのかなあ……。別についさっきでなくても嬉しくないと思うんだけど……。


「ちなみに、よっくん先生はふたりで旅行に行ったときになんか流れで告白したみたいなんで」「大丈夫大丈夫―、脈が完全になかったらそもそも一緒にここになんて来ないから」「付き合いならまだしも、嫌いな人と好き好んで泊まりの旅行はしないしない、これは間違いないね」「だから安心していいよー」


 私がうじうじしているうちに、池田さんからの追撃がどんどんやって来ます。

「そ、そうは言ったって……」

「ん? 何か言った?」

「んひゃぅぃぃぃっ!」

「……す、すごい悲鳴だね」

「あ、あはは……な、なんでもない、なんでもないよ、へへへ……」


 ううううう……自分でもよくわからない声出しちゃったよおお……! これじゃますます変な女扱いされちゃう……。いや、もしかしたらそもそも女って思ってもらえてないまであるかもしれないし……。

 クーラーが効いている屋内のはずなのに、ダラダラと汗が流れるのを自覚します。喉も乾いて、さっきからペットボトルのお茶をゴクゴク飲んじゃっているし……。


「まあ、井野さんの性格的に、これくらいしないと絶対何もしないだろーなーとは思ってたし」「じゃあ、私からは以上―。終わったら連絡してねー。あ、嘘ついたってわかったら八色君に井野さんのあることないこと吹聴するつもりだからそのつもりでー」


 も、もうこれ議論の余地がない展開、なのかなあ……。どどどどうしよう……。

 そ、それに言うって言ったって、どうやって言えばいいかなんてわからないよ……。


「井野さん? 手止まってるけど、大丈夫?」

「ひっ、ひゃい、だ、大丈夫だよ、うん、大丈夫っ」

「そ、そう? ならいいんだけど」

 同時に部誌の原稿も進めないといけないから尚更大変だよおお……。


 そうして、何時間が経過したでしょうか。八色くんは一度本を読み始めると集中して時間を忘れてしまうタイプの人みたいで、私が話しかけたりしない限り、八色くんのほうから何かを言ってくる、ということはありませんでした。


 いっぽう私と言えば。

「……ぷしゅう……」

 原稿はちょびっとずつ進んであと一割二割くらいのところまで来てはいますが、告白しないといけないプレッシャーで完全に押し潰されていました。神経もペットボトルのお茶の中身もすり減ってばかりです。


 ふと、スマホで時間を確認すると、夜の十時を回った頃。

 ほ、本当に開けてくれないんだ……池田さん……。


 改めて突きつけられる現状を理解して、私はある事実を思い出してしまいました。

 あ、あれ……? そういえば、私、最後にお手洗い行ったの、朝出かける前……だったよね……?

 ……それから半日以上経っていて、しかもお茶を結構な量飲んじゃってで……そろそろ行きたい、のだけど……。


 こ、これってもしかして……緊急事態、だったりする……?

 ……で、でもっ、さすがに池田さんもお手洗いに行きたいって言えば、開けてくれるはす、そ、そうだよね? そのはずだよね?

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