第36話 長湯×モノローグ

 〇


「ぶくぶくぶく……ひぅっ!」

 湯船に泡が立ったかと思うと、すぐに息が苦しくなって、私は慌てて鼻の高さまでお湯に沈みかけていた顔を引き上げます。


 ……前髪を切って髪型を変えてから迎えた初めての平日。池田さんや八色くんは似合っているよとか、可愛いとか言ってくれましたけど、自信はないまま学校に行きました。いつもと同じように、影薄く一日を過ごすつもりでいたけど、そうはいきませんでした。


 ……五人くらいでしょうか、廊下から男の子たちに見られている感覚がしました。

 見られることになんて慣れていないですし、もともとが人見知りだからすぐに恥ずかしくなって、私は教室から逃げだしました。


「……うう、今思い出しても恥ずかしいよ……ぶくぶく……」

 頭が真っ白になって、漫研の部室に体育座りをしていると、なぜかすぐに八色くんが私のところにやって来ました。


 ……八色くんの顔を見たとき、一瞬だけ、ホッとしたような気持ちになって。そして、八色くんに「可愛い」って言われるたびに、顔が熱くなるのを自覚して。

「ぶくぶくぶく……ひゃぅ……」


 今も、家のお風呂に入っているというのに、なんだか気持ちがボーっとしてしまっています。……それに、学校にいる間は顔だけが熱かったのに、今はお腹の下の部分まで火照っている気がします。


「こ、これって……もしかして……でもでも……ぶくぶく……」

 そもそも、私なんかに好かれても八色くんの迷惑になるだけだし、それに、八色くんには私の駄目なところたくさん知られているし……。


 BL漫画読むことも、描くことも知られているし、その上に自分で描いたえっちなシーンの絵まで見られちゃっているし……。普通だったら、もうドン引きされていてもおかしくないです。


 鼻血だって頻繁に目の前で出しているし、あろうことかご飯を一緒に食べているときまで出しちゃったし……。ドン引きとかそういうのを通り越して、幻滅されているかもしれない。


 ぼっちだし、根暗オタクだし、地味だし、いいところなんてどこにもないのに、それなのに……。

「ぶくぶくぶくぶくぶく──けほっ! ごほっ! ……は、鼻に水が……うう、痛い……」

 ……それなのに、こんな私を、「可愛い」って八色くんは言ってくれた。


 単純にもほどがあるかもしれません。よくある、幸せの平均値が低いから、ちょっとしたことですぐ嬉しくなって、すぐ好きになっちゃうちょろい現象が起きているのかもしれません。八色くんには、そんなつもりなんて全然なくて、ただ私を励ますためのリップサービスだったのかもしれません。


「……けど」

 こんなに胸のあたりがキュウと音を鳴らして、身体のあちこちが熱くなって、疼いてしまうことなんて今までなかった。

 ……やっぱり、池田さんの言う通り、これって……、


「わ、私……八色くんのこと……好きに、なっちゃったのかな……」

 ひりひりと痛む鼻を右手で押さえながら、私はふとそう呟きます。それからほどなくして、ツーと鼻から温かい何かが落ちてくるのを手で感じ取りました。


「ひっ、ひぅっ! ちっ、違うんですっ、そそ、そんな、八色くんでえっちな妄想とかしたわけじゃ、ひゃぅ! ぶくぶくぶくぶくぶくぶく──」

 誰にも見られてないのに、言い訳を浴室に響かせて私はお湯のなかに体ごと全部沈めます。けど、


「はぁっ! はぁ……はぁ……あっ」

 鼻血を垂らしたまま湯船に潜っちゃったから、ちょっとだけ血が混ざってしまいました。


「……ど、どうしよう、まだお父さんもお母さんもこれからお風呂入るのに……」

 お風呂で鼻血を出したことを知られたら、またからかわれちゃうよ……うう……。

「とっ、とにかく、お湯を足して誤魔化さないと……」


 それから、なんとか赤色の入浴剤を使いましたって誤魔化せるくらいにまではして、私はお風呂から上がりました。長湯だったね、とお母さんに言われたときには、身体がビクッと跳ねちゃいましたけど……た、多分、気づかれないはず……。


 部屋に戻ると、スマホのロック画面に不在着信の通知がされていた。

「……だ、誰だろう……」

 長湯でちょっとふらつくなか、ベッドに腰を下ろして、私は電話を掛けてきた人に折り返しをします。


「も、もしもし、いっ、井野です」

「あっ、井野さん? わざわざ折り返してくれたんだね、ありがとー。いや、大した用事じゃなかったんだけど、その後、八色くんとはどうなったのかなーって気になっちゃって」

 電話口からは、いわば、私にちょっぴりだけ魔法をかけた池田さんの弾んだ声が、聞こえてきました。

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