第26話 魔法使い目前の先生×思春期の衝動
死んだ顔の先生と一緒に、僕らは高円寺駅で下車。改札を出ると、
「あっ、お兄ちゃん、と……井野さん」
表情を星みたいにきらめかせたのも束の間、一瞬でむすっとした顔色に変えた妹の美穂が待っていた。
……そ、そこまで機嫌悪そうにしなくても。
「……やっぱり、またこの人と一緒なんだね」
「ひっ、ひぅっ。い、一緒にいてす、すみません……うう……」
なんで井野さんが謝っているの? 小学四年生にペコペコする高校二年生って。もうちょっと自分を強く持とうよ……。
「妹さんと合流できた?」
などと、最初から棘のある会話のキャッチボールをしていると、先生が僕らの様子を窺ってくる。
「はっ、はい。大丈夫です、ありがとうございます」
「じゃ、じゃあ……、なんか妻がお店押さえたみたいだから、そこで、いいかな?」
やや不安げな様子で、先生は奥さんの自信たっぷりに鼻を膨らませている表情を見る。
「……普段こういうの僕に任せるのに、なんか怪しいんだよなあ……」
先生、本音、本音が漏れてますよっ。奥さんがそれを聞きつけて鼻をしぼませてまあほっぺたを膨らませている。
「むうう、それ、どういう意味かなあ。わたしがお店のこと調べたら、駄目なの?」
「いやっ、そっ、そういう意味じゃなくてっ。うん、あ、ありがとう、ありがとうございます」
一時間くらいしかおふたりの様子を見ていないけど、多分、会話の主導権は基本的に奥さんのほうが握っているんだろうなあ、って。
ダジダジになっている先生を横目に、反対側にはしっかり腕にひっついている美穂と、おどおどとしたままの井野さんが。
……冷静になっても、この状況ってすっごくカオスなのでは。ただの教師と生徒、ってだけでもなかなかのレアケースなのに、そこに先生の奥さんと生徒の妹までついてくるっていう。
ただ、カオスにはカオスが重なるもので、僕らが目的のお店に到着して、いざ、店内に入ると、
「あっ、魔法使いになるまであと三年のよっくんじゃないですか。お久しぶりですー」
連れて行ってもらったのは、駅から少し歩いたところにある雰囲気よさげなカレー屋さん。小学生がついてくる、ということで、このチョイスにしたのだろうけど……、
「……なんでここにいるんだよ」
お店の六人掛けのテーブル席には、既に先客がいらっしゃっているみたいで。ちょっとサブカルっぽい格好をしたこれまた若い女性が座っていた。
「いやー、よっくん先生が教え子に美味しいご飯をご馳走すると由芽ちゃんから聞きましてー。家の近所だったので来ちゃいましたー」
ふ、増えた。……僕らの知らない人がまたひとり、増えた。
あれ? しかも今なんて言った? 魔法使いになるまであと三年のよっくん? え?
「……それに、余計なこと言わないでよ……ったく……」
「いやー、よっくんの両親からも早く孫の顔が見たいから、綾ちゃん発破かけといてって頼まれていてー。由芽ちゃんから報告あるまで毎回会うたびに言わせていただきます、魔法使い目前のよっくん」
「まっ、魔法使いっ……ひっ、ひぅん……」
ですよねー、うん、なんとなく想像はついてたよー。でもここ飲食店だから鼻血は控えめにしようねー井野さん。ほら美穂、ドン引きしない。
先生の惚気だけでなく、魔法使い事情まで知ってしまうことになるとは……。もう踏んだり蹴ったりだろうな、先生にとっては。
「……はぁ、なんか色々とごめんね。彼女は、僕の昔からの知り合いで──」
「一度この先生に振られたことのある池田綾、大学四年生です。よろしくねー」
しかもなんか複雑な設定が飛んできたし……。情報が錯綜としてなんか頭がこんがらがってきた。
「……ねえお兄ちゃん、魔法使いって、魔法を使う人? お兄ちゃんの先生、魔法使えるの?」
ひょこりと壁際のすみっこの席に座った美穂は、隣についた僕のシャツの袖をくいくいと引っ張って、純粋に疑問をぶつける。
「でも、井野さんが鼻血出しているってことは、えっちな意味なんだよね? ねえ、どういう意味なの?」
……ああ、これが思春期特有の性知識への探求心ってやつなのか。それを兄の担任を材料にするなんて、一体誰が予想したか。……不憫だ、不憫にもほどがある。あと、井野さんが鼻血出すイコールえっちなこと、ではないからね。八割方はそうなんだけどさ。
「……もう、もう煮るなり焼くなり好きにしてください……。その代わり、学校では話さないで……八色君に井野さん……」
泣きそうというかもはや泣いている先生の顔を見て、とてもじゃないけど「いいえ」なんて言えるはずがなかった。
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