第25話 惚気×忘れたほうがいいこと
「お、お待たせ……」
それから先生が息を切らせて戻ってきたのはそれから十分後。
「あ、おかえりー」
先生がいない間、またさっきの野良猫とにらめっこを再開していた先生の奥さんは、のほほんとした調子でそう出迎える。
「……あ、あれ以上、僕のこと何も聞いてないよね……?」
「えっ、あ、は、はい……」「ひゃっ、ひゃい……」
急遽帰り支度を整えたのは井野さんも同じで、部室の後片付けを済ませてきていた。
……もしかして、先生の顔色が悪かったのって、これ……?
「……好きなご飯食べさせてあげるから、それで手を打ってくれない? お願いっ」
あれ……? この展開、ちょっと前に似たようなのを経験した気が……。
「ええー、そんなあ。わたしには全然ご飯連れて行ってくれないのにー。むうー」
「……休みの日合わないから……ああ、って言い訳すると怒られますね、はい、ごめんなさい、わかったから、由芽さんの分も僕が出すから」
「わあい、上川先生の奢りだってー。美味しいもの食べに行こ―?」
……っていうか、年上の人と結婚したって松浦先生情報で知っていたけど、年上、なんだよね……? 普通に十代ですって言っても通用しそうなテンションというか……。
それになんだろう、この惚気を生で見せられる気恥ずかしさ。それも友達とかではなく自分の担任という。……僕、これから先生のことを見る目が百八十度変わりそう。
「ひうっ、な、名前呼びする先生っ……」
そしてあなたの鼻はいともたやすく血を噴射しますね。井野さん。確かに先生のこういう姿は新鮮だけども。
「一応八色君は一般人だから、少しは擬態してあげたほうがいいと思うよ……井野さん」
先生、擬態って何ですか。真面目にわからないです。
「どこで食べようか……。学校近くはさすがに誰かに見られるとまずいし……。ふたりってどこに住んでいるんだっけ?」
「僕は武蔵境です……あ、っていうか美穂どうしよう……」
さすがに晩ご飯を食べるとなると、完全に美穂を家に放置することになる。先生は僕が実家を出ていることも把握しているので、すぐに「しまった」という表情になる。
「……じゃあ、八色君の妹さんも一緒にでいいよ」
「えっ、でっ、でもそれはさすがに悪いというか」
「まだ小学生だったよね、なら家にひとりでいさせるのも気が引けるし……もうこうなったら三人も四人も変わらないし……」
「はっ、はぁ……」
もはや財布と一緒に魂が飛んでいる先生が不憫で仕方ない。別にご飯なんか奢られなくても先生がエロ漫画持っていることなんて誰にも話さないんだけど……完全にそういう流れになってしまったし……。
「じゃ、じゃあ、妹に連絡しておきますね」
ということで、僕は美穂にラインを送ると、秒で「すぐ行くっ」とだけ返事が来た。……さすがマイシスター。待ってたかのような即レス、レベルが違うね。
「で、井野さんは……?」
「わっ、私は高円寺で……」「げっ」
井野さんが高円寺、と言うと何故か先生は険しい顔つきになった。
「はれ、高円寺なの? ってことは──」
「それ以上僕に関することを生徒の前で言わないでもらっていいですか。しばらくアイス抜きにしますよ」
「ええ、そんなあ」
……マジで年上なんだよね……? そんな感じが全然しないんですけど……。っていうか、まだ秘密があるんですね、先生……。
「と、とりあえず、駅行こうか。……話はそれからにしよう」
完璧に疲れ切った顔をしている先生はそう言って、校門を出ようとする。その間際、ほんの小さな声で、
「……また、明日になったら他の先生からいじられるんだろうな……はぁ……」
と、悲しそうに呟いていたのを僕は聞いてしまった。
色々悩みもとい、気苦労が絶えないのは上川先生も同じみたいだ。
「むう、いいもんっ。わたしが勝手に誘っちゃうもん」
……そして、現在進行形で悩みがまた増えようとしている現場も、僕は目撃してしまった。先生の奥さんが、ぷくーと子供っぽく頬を膨らませながらスマホを取り出しては何やら連絡を取り合っている。
僕はどうすることもできないまま、ただただ井野さんと一緒に先生夫婦の後を追いかけるように歩いていた。
「……そういえば、井野さん、大丈夫?」
「へ? な、何がですか?」
「……いや、だって……ううん、やっぱり何でもない」
自作の濃ゆいシーンを他人に見られたわけだけど、忘れているならそのほうがいい。うん、そのほうが、井野さんにとって幸せなはずだ。そういうことにしておこう。
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