第22話 憂鬱×出しもの

 あの怒涛のような休日から数日。季節は梅雨真っ盛りだ。週間の天気予報を見ても傘マークばかりで、何を見ても少し気分が憂鬱としてしまうこの時期。五月病を乗り切ったとしても、待ち受けるのがこれだから、やはり世知辛いものがある。


 生徒でさえちょっと気分が落ちるのだから、先生もその例には漏れず、

「上川先生、日誌出しに来ました」

 ある日の放課後、日直の仕事で僕は日誌を職員室の担任の先生に提出しに行っていた。閉め切った窓の外からザーと激しく降りしきる雨の音をBGMに、深いため息をついて頬杖をついている上川先生の表情は、全く冴えていない。


「ああ、八色君。お疲れ様……」

「……なんか、すっごい顔色が悪いですけど、どうかしたんですか?」

「……え? そんなに顔色ひどいかな?」

 ノートパソコンの画面とにらめっこしていた先生は、僕にそう言われて、職員室にある洗面所の鏡に顔を向けては、


「うっわ……。そりゃそう言われるね……ははは……」

 と、申し訳なさそうに軽く笑ってみせる。


「いや、個人的なことっていうか、仕事には関係ないことだから、大丈夫だよ」

 ……となると、家で何かあるのかな、とか邪推しそうになるけど、まあ高校生が踏み込むとことでもないので、僕はそこで踵を返して、


「では、僕はもう行きますね、失礼しま──」

 職員室を後にしようとしたのだけど、

「ああ、あとごめん。ひとつ頼まれてくれないかな」

 背中を向けた僕に、先生は再度呼び止めて、何やらデスクの上から一枚のプリントを取り出して、手渡した。


「……本当は先生から渡すべきなんだけど、この後ちょっと学年の国語の先生で会議があって、動けなくなっちゃうんだ。漫研の部室に、多分井野さんがいるだろうから、持って行ってあげてくれないかな。学校祭の出し物についてのプリントなんだ」


「い、いいですけど……」

「最近、井野さんと仲良くしてくれているんだよね? 彼女、僕以外に話す人ほとんどいないから、ほんと助かるんだ。……色々、なんかおかしなところもある子だけど、基本、いい子だから、良くしてあげてくれると、ありがたいです」


「は、はあ……わ、わかりました……では」

「うん、お疲れ様」

 ……その言葉を必要としているのは僕よりも先生なのでは、とか思ったりもしつつ、僕は職員室を出る。本当はこのまま真っすぐ帰る予定だったのだけど、まあ、プリントを井野さんに届けるだけだし、そんなに時間もかからないでしょう。


「……じゃ、部室に向かいますか……」

 雨の音とともに、吹奏楽部の練習の音だったり、遠くの体育館でバスケットボールが床に弾む音、廊下でどこかの運動部がフットワーク系のトレーニングをしているらしき笛と床と靴が激しく叩かれる音、そんな放課後のひとときの喧騒を耳に入れて、僕はひとり特別棟の一階へと向かう。


 一度昼休みに井野さんに連れ込まれた経験があるので、場所はもう覚えている。……あのときは、シャツのボタン外しかけるしで色々大変だった……。まさか、もう一度行くことになるとはな……。


「失礼しまーす」

 そう思いつつ、僕はスライド式のドアをノックしてから開けると、そこには、

「ひゃいうんっ!」

 ……今なんて言った? 「ひゃい」? 「ひゃうっ」? ……なんか、色々混ざってた気がするんだけど。


 部室にやって来た僕を見て、色々と慌ただしく何かを隠そうとしている井野さんがひとり。

「やっ、やっ、やや、やややや八色くん? ど、どどど、どうされたんですか?」

 ……や八回言ったね。どどどっ、どうしよう、みたいな語感を覚える。


「……やっ、やっぱり口止め料は身体で払わないと駄目でしたか……?」

「……なんでそうなるの。この間色々助けてくれたよね、それでチャラでいいよね?」

 なんだったら今後妹の下着選びに付き合わせることが確定しているので、むしろ借金は僕のほうにあるのでは……?


「で、でもっ、こんなところにわざわざ来るなんて……それくらいしか用事が思いつかないです……ひぅっ」

 ……そこで鼻血を出す理由イズ何? なんか口調おかしくなったよ、突っ込みすぎて。この短時間にどれだけ井野さんの言動に指摘を入れればいいの?


「……いや、ちゃんと真っ当な用事あるから。……はい、これ、上川先生に頼まれたプリント。学校祭の出し物についてだって言ってたけど……」

 そう言って、僕は井野さんに貰ったプリントを渡す。けど、あることに気がついた。


「あれ? 漫画研究会って、去年学祭で何かやってたっけ?」

「ひぃんっ!」

 ……あれ、なんか、僕踏んじゃいけないもの、踏みましたか……?

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