第20話 男女のゆーじょー×鼻血

「……え、えっと……今、何が起きている……んでしょうか?」

 美穂に唸られ睨まれている井野さんは、困惑しきった表情で僕に助けを求める。


 僕は、深いため息とともに、

「……つまるところ、これを説明すると、どうしてこの家に母親はおろか、父親もいないか、ということを話すことになりまして……」

 ポリポリと首筋を掻きながら井野さんにそう話す。


「あっ、そういえば……」

「……まあ、ぶっちゃけた話、僕の実家、山梨にあって。妹と僕とで東京に住んでいるって感じなんだよね」

「へ? や、やまなし、ですか?」

 いきなり出てきた、遠い遠い場所の名前を挙げられ、井野さんはさらに頭上にはてなマークを浮かばせる。


 ……そりゃそうですよね。別にスポーツ推薦とかで来たわけじゃないのに、どうして山梨から東京の高校に、美穂に関しては小学校に……って思うだろう。僕も美穂も普通に公立の学校に通っているし。


「そう。それでまあ……かくかくしかじかございまして……」

 それから、僕は井野さんにどうして東京に住んでいるのか、ということを説明するために、父親のドタコン、美穂のブラコンについてしっかりと話させていただいた。その間、美穂は番犬をするのに飽きたのか、厳戒警備の必要を感じなくなったのかはわからないけど、すぐに僕のもとにすり寄っては、当たり前のように僕の膝の上にちょこんと座った。日常茶飯事なので、僕はそれほど慌てないけど、井野さんは「はわわわ、はぅ……」と、なぜか微量ながら鼻血を出す始末に。


「……それで、その、僕の帰りが遅くなることが多くなって、美穂のなかで要注意人物にリストアップされてしまった、というか……」

「な、なるほど……そ、そうなんれすね」

 垂れてしまった鼻血をポケットティッシュで押さえながら、井野さんは納得の様子を示す。


「お兄ちゃん、この人、お兄ちゃんの彼女とかじゃないよね?」

 一応、僕らの話が終わるのを待つ良識はあったのか、美穂は部屋に沈黙が訪れたタイミングで、そう切り出した。


「かっ、かかかかかか、か、彼女なんてそ、そんな」

 ……目の前で、押さえているポケットティッシュを突き破って鼻血が出る瞬間を視界に捉えた。……血圧、でいいのか? めちゃくちゃ強いな……。


「ひぃん! す、すみません、テーブル汚しちゃって……うう……」

 右手で鼻を、左手でテーブルをそれぞれティッシュで押さえたり拭いたりと忙しい井野さん。


「……お兄ちゃん、なんでこの人、さっきから鼻血出しているの? えっちなこと考えているの?」

 子供の純粋な疑問に、井野さんはさらにダメージを受ける。……まずい、このままだと井野さんが美穂にオーバーキルされてしまう。あと、鼻血イコールえっちなこと、っていう知識は持ち合わせているんだね。えっちなことを考えたり見たりすると鼻血が出るらしいっていう考えの、科学的な根拠はないみたいだけど。


「……美穂、それ以上はやめるんだ。井野さんのメンタルが、逝ってしまう。あと、彼女とかじゃないから。同じ学校の友達だから」

 僕がそう言うと、目の前に座っている鼻血少女は「とっ、友達」と再度繰り返して、どこか嬉しそうに頬を緩ませている。……鼻血を垂らしながら。


「……あと、この人じゃないでしょ? っていうか、名前聞いてないの?」

 さっきから美穂の井野さんに対する二人称が気になってはいた。いつまでもこの人だとそれはそれでかなり失礼なので、それも注意しようと思ったのだけど、


「うん」

 美穂の迷いない一言で、毒気を抜かれてしまった。


 ……まじですか。え? 僕の妹、名前も知らない女の人に、衛生用品の使いかた教わったの? それは、なんか、ごめん。……あと井野さん。いくらなんでも、名前くらいは言ってから使いかた教えてよ……。人見知りなのはわかっているけど。


「……え、えっと、井野円さんです。僕と同じ高校の二年生」

「八色美穂です、四年生です」

「…………」


 よかった。お互い名前も知らないまま、帰宅するって展開にならなくて。本当によかった。ギャグ? これなんてギャグ? なんでどっちも自己紹介していないの?


「それじゃ、お兄ちゃんか井野さん、どっちかが片想いしているの?」

「ぶっ!」「ひぅっ!」

「だって、男女のゆーじょーは成り立たないって、漫画にかいてあったよ?」


 ……おい誰だ、僕の妹にそんなませたこと言っている漫画を読ませたのは。それとも最近の小学生は進んでいるのか?

「お兄ちゃんは違うよね? お兄ちゃんには私がいるもんね?」

 ……ああ、わかっちゃいるけど胃が痛い。

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