第18話 思春期×頼れる人
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井野さんとのバイトもひとまず終わり、季節は移ろい梅雨を迎えた。井野さんが僕のことを監視(?)する日々はまだ続いていて、放課後の図書当番に当たっている日は必ず閲覧室に座ってうたた寝をしていたり恐らく漫画を描いていたりと、変わり映えのしない時間を過ごしていた。
美穂にも井野さんのことを怪しまれることはそれ以降なく、基本的に問題なく日々を送っている、はずだった。
ただ、人間誰にしろどうしようもないことのひとつやふたつはあるもので、それをきっかけに、安定しかけていた日常にまた一匙のスパイスが混ざってしまうことだって、よくあることだ。
つまり、何が言いたいかというと。
それが起きたのは、六月に入ったある休みの日のことだった。
僕は部屋で図書室から借りている単行本を読んで、雨がシトシトと降りしきる梅雨どきの休日を謳歌していた。美穂は、さっきから何かトイレに籠っているようで、珍しくひとりの時間が長いなあ、なんて悠長に思っていたのだけど。
「……お、お兄ちゃーん」
トイレのほうから、美穂が僕を呼ぶ声がしたのは午後二時頃。
「うーん? どうかした?」
ちょっと深刻そうな声音だったので、僕はベッドの上に読みかけの本を置いて、声がしたトイレに向かう。
「何かあった? ……もしかしてGが出た?」
黒光りするあいつは僕も苦手だから、できれば出てきて欲しくないんだけどなあ……。とか口にしかけたけど、そんなアホみたいな言葉はすっかり引っ込んでしまった。
「……そ、その……血が……」
閉められたドア越しにそれを聞いた瞬間、美穂が言いたいことをようやく理解した。
「……オッケー、ちょっと待とうか。うん。ちょっと待とうか……」
そういえばそうだったね。僕の妹ももうそんな時期に入ってもおかしくはなかったよねそうだよね。もろ第二次性徴期だもんね。
悲しいかな、日本の性教育において男子はそういう女性の生理について知る機会はほとんどないと言っていい(と思う)。少なからず僕は知らない。
しかし、このときほどそういう教育を受けなかったことを後悔したことはない。
「電話出ないし、お母さん……」
慌てて部屋に戻って、実家の母親に連絡を試みるも、電話は繋がらないしラインに既読もつかない。
「……さては、どこか出かけているな」
どうしたものか。身近に頼れる女性と言えば母親くらいしか思いつかない。ただ、事は急ぎなので、返事を待つわけにもいかない。
「うーん、うーん……」
……ラインの友だちリストをスクロールしていると、僕はひとりの名前を見つけてしまう。……いや、ほんと見つけてしまったよ。
「……あ、井野さん……」
いました。母親以外に頼れそうな人。高校生なら多分もう大丈夫、だよね?
妹のこととか実家を離れていることとか、その他諸々色々話すことになるだろうけど、背に腹は代えられない。美穂をあのまま放置するのは真面目にネグレクトに近いものがあるし。
僕は井野さんのトーク画面から電話を掛け、彼女が出るのを待つ。数コールほどして、
「ひゃっ、ひゃい井野ですっ、ど、どうかしましたか八色くん」
噛み噛みボイスの井野さんが電話に出てくれた。……やっぱり大丈夫かな、とか一瞬思ったけどもう彼女しかいない。
「……そ、その……。い、妹が」
「へ? 八色くん、妹さんがいたんですか? 初耳です」
……まずひとつバレました。まあここは予定の範囲内。
「……現在進行形で、初潮を迎えておりまして……どうすればいいか全くわからない有り様で……よければ、助けていただけないでしょうか?」
「しょっ……あ、あれ……? お、お母さんとか、いないんですか?」
まあ、当然の疑問ですよね。
「……話すと長くなるので、とりあえず家にはいない、という認識で大丈夫です」
「わっ、わかりましたっ、け、けど、八色くんの家がどこにあるか私……」
「それはこれからラインで住所まるまる送っちゃうので、それを参考にしてもらえると……はい」
「で、でしたらすぐに向かいますっ。ではっ、あああっ、ひぅっ──」
最後はそんな悲鳴とともに電話が切れた。……大丈夫かなあ。まあ、それはさて置き。
……やっぱり年頃の女の子には母親が必要だよ。
なんて高校生男子が抱くにはいささか年を取り過ぎているようなことを考えていた。
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