第12話 ためになる恋愛講座×おやすみなさいです

 何やら深刻そうな様子で話している上川先生と井野さん。その様子を、僕は司書室から遠巻きにするように眺める。松浦先生も一緒。しばらくすると、お話が終わったようで、上川先生がスタスタと図書室を後にしていく。


「ごめんね、お邪魔しました」

「いっ、いえ……」

 ザ・爽やかというような雰囲気で図書室を後にしていった上川先生。きちっとした後ろ姿を見送った僕らは、また新刊本のラミネート加工の仕事に戻ろうとしたのだけど。


「はぁ……既婚なんだもんなあ……」

 真新しい単行本を手にしたまま、松浦先生は大きくため息をつく。


「……知ってる? 上川先生、大学生のときから付き合っている彼女さんと結婚したんだって。しかも一個年上」

「……いえ、初耳ですけど」


 っていうか、先生の個人的なお話を僕にしちゃっていいんですか。上川先生泣いちゃいますよ。


「いいなぁ……私、大学では勉強ばっかりしてたから、全然そういう経験してこなかったから、上川先生が羨ましいなあって」

「……知らないですけど、大学って本来そういう場所なんじゃないですか?」

「理想と現実はときに激しい乖離を引き起こすものなんだよ八色君」

 だから僕らは司書室で何を話しているんですか……?


「若いからって安心していると、私みたいに行き遅れるから、気をつけないと駄目よ、八色君」

「……高校生にする話ですか?」

「大丈夫、図書局員のみんなにはお話している内容だから」

 なんか嫌だなあ、高校生のうちから行き遅れについて意識させられる部活って……。


 僕は松浦先生から逃げるように視線を閲覧席のほうに飛ばしたけど、そこはそこで、

「……井野さんがなんか、魂抜けたみたいに天井見上げているし……」

 いいのか? 図書室って本来静かに過ごす場所だよね? こんなのでいいのか? 大丈夫なの?


 松浦先生によるためになる(?)恋愛講座から数日後の金曜日。家に帰って晩ご飯とお風呂を済ませた僕は、自室のベッドでこれから眠るところだった。ただし。胸元には、とても幸せそうに表情を綻ばせている妹がひとり。


「くふふ……お兄ちゃんの匂い……くふふ……」

 まあ、お風呂も一緒に入るくらいのブラコンっぷりだから、同じベッドで寝るのも想像に難くはないと思う。美穂と同じベッドで寝なかった日は、僕が修学旅行などで家を離れた日以外、存在しない。


 胸に頬をすりすりしている妹に、僕は明日の予定についてお話をしておく。

「……み、美穂。明日、僕バイトに行く日だから、家で留守番お願いね?」

「うん。わかったっ」

「夜までには帰るから、晩ご飯は帰ってから作るね」

「はーい」

「それじゃ……もう遅いし、おやすみ、美穂」


 時刻は夜の十時。高校生が寝るには少々早いけど、小学生からすればもう寝るべき時間だろう。いつもこの時間になると、美穂は寝息を小さく立て始める。


 本当は美穂が寝てから僕は起き上がって、二時間くらい勉強とか色々したいことはあるんだけど、前に一度それをやったとき、美穂がこの世の終わりみたいな泣き声をあげたので、諦めて僕も寝ることにしている。


 その分、朝早く起きているんだけどね。

 豆球だけ残した部屋の暗闇に、ふとスマホの光が灯った。何かの通知でも届いたのだろうか。

 枕元に置いていたスマホを僕は手に取って、確認をすると、


いの まどか:あ、明日はよろしくお願いします


 一緒にバイトに参加する予定の井野さんからのラインだった。


八色 太地:そんなに緊張しなくても(笑)


 文面から、ガチガチに固まって、噛み噛みになっている井野さんの姿を想像することができたので、そんな緊張をほぐす言葉をかけておく。


いの まどか:ば、バイト代入ったら、約束のポテトとジュース、ちゃんと奢るのでっ

いの まどか:そ、それまで待ってくださいっ(>_<)


「……ははは、ほんと、律儀な子というか……」

 別に、そこまで奢って欲しいわけじゃないんだけど……。


八色 太地:う、うん。楽しみにしてます


 それを固辞しちゃうと、また彼女は秘密をばらされるんじゃないかって不安になってしまうだろうから、そう返しておく。


いの まどか:で、では おやすみなさいです


「……ふっ。おやすみなさいですって……」


八色 太地:うん、おやすみ

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