紅潮
縫山煙管
紅潮
デパートの中の化粧品売り場は、女性特有の麗しい香りがする。いつもは友達と行く事が多いが、今日は一人だから尚更顕に感じられた。
明日は彼女の柚芽の誕生日。とびきり可愛いあの子へのプレゼントはもう決まってある。私は目的の物が売られてある場所へ足を運んだ。
一見香水にも見えるこの瓶。実は中身はボディソープなのだ。香りはカシスとクランベリーがブレンドされてある、甘くて女性らしい香りらしい。ハート型で、あやめ色のその瓶は遠くから見ても映えていた。前に来た時からずっと気になっていて、柚芽への誕プレはこれにしようとずっと決めていたのだ。高校生にとってはかなり痛手となる値段だが、大好きな柚芽の為ならなんて事はない。絶対喜んでくれる。そう信じて買おう。ボディソープを使っている所を妄想しそうになったが、それを考えたらニヤケ顔になってしまうだろうから直ぐに脳内から幻影を追い出した。
翌日、包装が崩れないように丁寧にプレゼントを鞄に入れ、学校に向かった。
柚芽、喜んでくれるといいな。というか、どんな格好で来ているだろうか。ヘアアレンジが得意な柚芽の事だから、巻き髪で来たりして。お団子でも似合うしツインテールでも似合うだろうな。ふわふわした甘いあの雰囲気に早く触れたくて仕方がなかった。可愛い天使が生まれてきたこの日を我先に祝福したかった。
教室の扉を開け、直ぐに柚芽の席へ目をやる。
「・・・あれ?柚芽は?」
いつもこの時間にはとっくに登校している筈の柚芽が居なかった。
「おはよう美湖。柚芽ねー、今日休み。昨日陸上部の大会だったじゃん?そこで帰りに熱出したらしい」
私の声に反応したのは、いつも一緒に行動している友達の一人の文香だった。ポニーテールが爽やかな、サバサバした印象の子。目が切れ長で凛々しく、男女問わず人気がある。
「今日柚芽誕生日なのにねー。私も誕プレ持ってきたのに。残念だね」
まるで柚芽の誕生日を心待ちにしていた私の気持ちを察するかのように、肩に手を置いた。
「・・・マジか〜結構喜んでくれると思ったのに〜」
ショックを隠すようにわざとオーバーにリアクションしたが、きっと文香には私が相当落ち込んでいる事が伝わっているだろう。それでも、私はこのキャラを無理に作っている。
そして、柚芽と交際していることは誰にも言っていない。
彼女の居ない学校はつまらない。まるで、花が活けられていない花瓶のようだ。
授業中でも、ここから柚芽が見えたのに。いつも睡魔と戦ってウトウトしている柚芽が愛おしかったのに。今はいない。どこを見渡しても無機質だ。こんな事を口に出したら、いつも一緒に居てくれる文香と亜衣奈に失礼になるのだろうけど。
「・・・おーい、おーい美湖〜」
「─え、なに?」
「今日の放課後、駅前に出来たレモネード専門店行かないかって話してたんだけど─この調子じゃ無理か」
気づけば、文香が快活に笑っていた。とりあえず会話の内容は頭に入らなくても相槌だけは打っておこうとしたのだが(実はよくやる)、知らないうちに私は無反応になっていたらしい。
「うんうん。どうせならちゃんと四人全員いる時にしよ?」
バッチリメイクをした四六時中華やかオーラ満載の亜衣奈が言った。亜衣奈の顔を見る度に、よくメイク崩れしないよなと思う。うるうるのリップグロスも、どこのブランドの物を使っているのだろう。こういうさり気ない助け舟が出せたり、普段から気配りの出来る子はやっぱりモテるだろうな。
「─ごめんねぇ、みんな」
絶対上手く笑えてないだろうけど、精一杯の作り笑いをして謝った。柚芽の居ない日常ってこんな感じだったっけ。前はここまで空っぽになる事は無かったのに。柚芽の居ない今日に絶望すると同時に、柚芽が居ないとまるで何も出来ない自分にも絶望した。今頃何をしているのだろうか。面倒くさがって何も食べてないだろうな。このまま熱に魘されて悪化してしまったら。─熱に魘される柚芽を一瞬思い浮かべただけで心苦しく、吐き気まで催しそうになった。
その様子を、亜衣奈は黙って見ていた。
上の空で過ごした授業も終わり、放課後が訪れた。文香はどうせ暇なら勉強すると、そそくさと図書室へ向かってしまった。西日の差す廊下を、亜衣奈と二人で歩いている。紡ぐ言葉も無いまま、私は柚芽の事で頭を一杯にしていたが、思いもよらぬ言葉が亜衣奈の口から零れた。
「ねぇ、美湖と柚芽って付き合ってる?」
ほんの二秒くらい、背筋が強ばった。あぁ、ついに悟られてしまったか。
だがすぐに私はいつもの調子に戻り、何とか取り繕うとした。
「え?何でそう思うの?私と柚芽そんなにイチャイチャしてる?」
私の言葉に亜衣奈は優しく、けれど真剣な眼差しで答えた。
「イチャイチャもそうだけど、今日の美湖あまりにも悲しそうだったから。もしかしたら二人はそういう関係で、それを私たちに隠してるんじゃないかって。私たちっていうのは、私と文香の事だけど。」
思わず俯いた。完全に見抜かれていたのだ。こうなってしまった以上、嫌われるかもしれない。だって、女同士で付き合っているなんて─しかも、仲のいいグループの中にそういう関係の子たちが居るなんて、亜衣奈はきっと嫌がるだろう。高校でせっかく築けた友人関係を、またここで崩してしまう事になるのだろうか。そうなれば、私は中学の頃みたいに一人になってしまうだろう。指先が冷たくなり、全身から血の気が引いていくのを感じた。
「─ねぇ美湖、私美湖が柚芽と付き合ってたって、何とも思わないよ。今、私が美湖を仲間外れにするんじゃないかとか、そういう事考えてたでしょ。顔に出すぎ。─もっと私たちの事信頼してよね」
顔を上げると、いつも通り癒しに満ち溢れた亜衣奈が微笑んでいた。夕日が髪と頬に当たって、私を包んでいる手がより暖かく感じる。
「私は、そんな風にたった一人を愛せる美湖を尊敬してるんだよ。だから私にとっては自慢の友達。これからも傍に居て。ていうか、居させてね。─あ〜あ、私も彼氏の事美湖みたいにここまで愛せたらいいのに」
「─え?最後何て?」
「いや、何でもない。大半聞き取れたならいいよ。ほら、お見舞い行っといで!」
最後の方がよく聞き取れなかったが、亜衣奈が私を尊敬しているとは思ってもいなかった。むしろ私は普通に柚芽を愛しているだけで、出会った頃から柚芽を思い出さない日なんて無くて、付き合ってからはLINEも欠かさずして、沢山の「大好き」を伝えて─これのどこが尊敬出来るのだろう。特別な事をしている自覚は無い。ただ、嫌われなくて良かった。柚芽と同じくらい、文香や亜衣奈を信頼してもいいのかもしれない。過去の経験が盾になって必要以上に遠慮したりしていたが、オドオドするのはもう辞めよう。亜衣奈のお陰で、自分に自信がついた。
柚芽の住むマンションに着き、インターホンを鳴らす。ピンポーンと言う聞き覚えのある音が二回なった後、柚芽はすぐに玄関を開けてくれた。思ったよりも早く出てくれた。
「柚芽!大丈夫?誕生日なのに可哀想に・・・お見舞いに来たよぉ」
「うん。今はもう熱も下がった。てかそんな悲しい顔しないで。─その手に持ってるのは、もしや誕プレ?」
元気そうでホッとした。だがよく見ると髪はぐちゃぐちゃだし、部屋着のチュニックも肩から半分ずり落ちている。こんな格好、近所の人にも見せられないと思い、強引に部屋に入れてもらった。
「そう誕プレ!部屋で渡したいから入れて入れて!」
「これ、ボディソープ?」
「そう、香水のようなボディソープ。柚芽の好きな香りだと思うよ!でも運悪く風邪引いちゃったから、お風呂あまり入れないよね。何かごめん」
柚芽の部屋は相変わらず散らかっていた。風邪なんて引いたら尚更。共働きで忙しい両親の事だから何も言わないんだろうな。ついつい過保護になってしまう。
「いや、熱も下がったし入れる。昨日お風呂入ってないから、一緒に入ろ」
「っ、え?」
柚芽は華奢な手で、私を浴室の方へ歩かせた。
「え、いや、ちょっと待って!流石に病み上がりにしても早すぎるでしょ!せめてもう一日待ってからとか」
「何で?不潔なの嫌だし、ボディソープの香り嗅ぎたいし─それとも、美湖は私とお風呂に入るの、嫌?」
そう言った柚芽は、もうチュニックを脱いで下着姿になっていた。豊かな胸が顕になり、目のやり場に困った。実は柚芽の裸を私は見た事がない。俗に言う心の準備というものが出来ていないのだ。じゃあ何でボディソープなんか買った、という話になりそうだがそれとこれは別だ。成熟した身体とは裏腹なつぶらな瞳で問われ、ついつい妥協してしまった。これで入らないと言ったら、柚芽は泣き出すかもしれないから。自分の身体を気にしながらも、私もいそいそと服を脱いだ。
二人で浴槽に入っても、軽い隙間が出来るくらいには余裕があった。柚芽と向かい合わせで座る。煙が互いの輪郭をカモフラージュしてくれて助かった。生ぬるいお湯の温度で、今日一日の疲れが溶けてゆく。
「今日、どうだった?文香と亜衣奈、何か言ってた?」
「え?いや特には何も─」
何もない、と言いかけて思い出した。今日の亜衣奈の事。亜衣奈は私たちの関係に気づいていたこと。でも、柚芽の性格からすると周りにバレたくなかったのでは無いだろうか。静かにこの関係を培っていきたいと願っているような気がする。少なくともずっと傍にいる、私の目にはそう見える。だから言わない方が妥当だと考えた。でも─
「もっと私たちの事、信頼してね」
放課後の優しい亜衣奈の顔が浮かんだ。
「─亜衣奈が、私たちの事前から気づいてたっぽい。けど、何とも思ってないみたいだし、むしろ私たちの事尊敬してるとか言ってた。だから、亜衣奈には─亜衣奈と文香には私たちの事言っても、いいんじゃないかなって思った」
言い終えた後、思いっきり息を吸った。一息で伝えたから。柚芽、何て思うだろうか。
「ふむ。そうなのか」
静かに目を閉じている。
「私は、美湖が楽しそうにしていてくれればそれでいいんよ。こんな無愛想な私と付き合ってくれてるってだけで嬉しいし。だから、美湖の好きなようにすればいい」
「柚芽」
煙で視界が見えづらくても、柚芽が目の前で微笑んでいる事が分かった。声のトーンや滲み出てる想いから、私はこんなにも愛されているんだと感じ、今すぐ抱き締めたくなった。だが。
「あ、このボディソープ使うね〜」
まんまとかわされた。すぐに浴槽から飛び出し、洗い場でボディソープを泡立てていた。すばしっこさは小動物のよう。
「おお、とてもいい匂いがしますな」
私が買ったボディソープを、柚芽は手にとって身体に馴染ませてゆく。液体の時は淡いピンク色だったのに柚芽の身体で泡となって、光を纏って弾けて消えてゆく。思わず見とれていた。ずっと柚芽にしがみついていられる泡が羨ましくて、憎たらしかった。項も、柔らかな腕も、丸いシルエットも私より全然女らしかった。髪から滴る雫にでもなりたい。
「美湖もおいで、洗いっこしよ」
「へ」
「ほらおいで」
まんまと、私は女神によって浴槽の外へと連れ出されてしまった。いつもの柚芽の筈なのに、まるで柚芽じゃない。そこにいるのは、紛れもない大人の女性だ。
どういう訳か、私が柚芽に洗ってもらう立場になった。清らかな手が、私の耳裏に触れる。今までに味わったことのない感覚で、くすぐったさを覚えた。そのまま手は下の方へと降りて行く。首、デコルテ、胸の方へと。
「ーつっ」
思わず声を出してしまった。決して喘いだ訳では無い。と、思いたい。綺麗な柚芽の手が、私の乳房に触れたから。そんなにしっかり掴まれるとは思っていなかった。というより、油断していた。私の身体が、柚芽と同じ泡で染まっていく。
「ふふ。美湖の身体綺麗やねぇ」
耳元で乳房を掴まれたまま囁かれ、ゾクッとする感覚が身体に走った。顔と、触れられた部分が熱を帯びて紅潮してゆく。このままだと、一線を超えてしまうかもしれない。少しの恐怖と大胆な羞恥に身を委ね、柚芽の中で身体を震わせた。
「そんな怯えなくても、変なことしないから。洗い終わったらもっかいお風呂入って、早めに出よ。でももう少し」
と言った後、柚芽は私を優しく抱きしめた。
「もう少しだけ、このままで居させて。今日一日寂しかったから」
いつもの柔らかくて心地よい温もりが、私を包んだ。分かりにくい性格をしているけど、寂しかったのは私だけじゃ無かったのか。
ずっと柚芽と一緒にいたい。柚芽の居ない日々なんて嫌だ。この脆くて壊れそうな彼女を守れるくらい、強い人間になろう。柚芽をもっともっと、幸せにしてあげよう。この時間が、やがて日常となれるように。
「のぼせない程度にね」
紅潮 縫山煙管 @Kiseru_nuiyama
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