五十嵐黒乃の場合
翌日の放課後、僕は彼女に電話をかけた。昨晩の、寝る前に浮かべた彼女の顔が忘れられなかった。授業中にずっとソワソワしながらも、決意を固めた。
「もしもし?」
「黒乃……。僕だけど……」
「はい。分かっていますよ? それで、何か?」
「今からさ、河川敷に来れる?」
「河川敷ですか?」
「うん。あの夕日が綺麗なところ……。黒乃に来て欲しいんだ」
「分かりました。すぐに行きます」
「ありがとう」
声を聞いただけで顔が熱くなった。それくらいの想いが、僕の中にあるのだ。
本来なら幼なじみという関係ではあるが、彼女の身体的な面で顔を合わせることなどなく、小学校で出会い、中学校で先輩と後輩という上下の関係に発展した。幼なじみなのに、なぜか年功序列が形に出ているという、かなり特殊なものだった。
いつも家で体に負担がかからないように生活してきた彼女にとって、姉の存在は一番身近な遊び相手だったのだろう。大好きなお姉ちゃんを奪う存在として認知されてしまい、以前まで僕のことを嫌っていた彼女。当たりが弱まってきたのは、確か河川敷のキスからだったような……。
ぶわぁ、と熱が顔中に広がった。
もっと緊張してきた。マズいな。僕は彼女に告白できるのだろうか。
****
風に吹かれて揺れ動く芝。夕日に照らされて、オレンジ色が河川にキラキラと輝いて写っている。僕は地面が斜めになっているところに、ずっと体育座りで待っていた。ぼーっと遠くを眺めている。
この時、僕は彼女のことばかりを考えていた。特に一番頭に浮かんでいたのは笑顔である。彼女自身があまり笑顔を見せない子であるが、とてもレアな瞬間を何度も僕は目にしてきた。
やっぱり僕は、彼女が好きなんだ。
そんなふうに考えていると、後ろの方から声をかけられた。
「せーんぱい! お待たせしました! あなたの黒乃ですよー!」
東条学園の制服姿の彼女は、夕日の明るさによって、その微笑みが強調される。
「ここへ来るのは久しぶりです。先輩とキスをしてから、あんまり行かなくなっちゃって……」
「そ、そう……」
「それにしても、ここの夕日はいつ見ても綺麗ですね」
自然に僕の隣に腰をかける彼女。体を寄せて、顔がとても近くに来る。僕は反射的にドキッとした。
「たしかに綺麗だね。でも、黒乃の方が綺麗だよ……」
なんてキザなセリフなのだろう。
「え……!? あ、ありがとうございます……」
「……」
「……」
無言で僕たちは見つめ合う。なんだろうこのロマンチックな感じは。
「あ、あの……。またここで、キス……したいですか……?」
「いや、ごめん! そ、そういうのはちゃんと僕が伝えてからじゃないといけないと思うんだ!」
「伝える? ここに呼び出したのは、何か伝えるためなんですか?」
まずい。彼女が察してしまう前に、僕は伝えなければならないと思った。
「黒乃……好きだよ……」
****
「おいこら宵坂ぁぁぁぁあ!!! ちゃんとパスしろぉぉぉぉお!!!」
「サ、サーセンッ!」
また今日もキャプテンの怒号が鳴っている。そして、またもや宵坂に怒号が鳴らされている。昨日も同じミスで怒られてるのに、それを改善できていない、あるいは改善しないアイツがいけないんだけど。
「トホホ……。俺だけなんであんなに怒るんだよぉ……」
「大丈夫だって、みんなあんな感じに怒られてっから」
「拓はちげぇだろ! 逆にキャプテンを叱る側だろうが!」
「なんで僕が怒るんだよ! 歳の差があるだろ!」
「でも拓が全国の大学生の中で一番サッカー上手いって言われてんだぞ? チームメイトみんなが、お前には勝てないって思ってるくらいだぞ? キャプテンにも面と向かってアドバイスできてすごいと思うなぁ! 本当に!」
「褒めてんのか八つ当たりしてんのかどっちなんだよ!」
「どっちもだよ!」
意味不明な言い合いを繰り広げた後にその日の練習は終わった。
高校二年生の秋頃から、また僕はサッカーを始めた。体力もテクニックもあまり落ちてはいなかったため、すぐにレギュラーに選ばれた。
西条学園のサッカー部は、正直なところ以前まで弱小だったけど、練習方法を僕が改善したところ、チームメイトはメキメキと上達した。大会でも勝ち上がることができ、地区大会の決勝で、宵坂や黒乃がいる東条学園と当たった時は興奮した。
チーム全員の強さが宵坂レベルで、僕以外では到底太刀打ちできなかった。負けた時の悔しさは忘れない。そして何より、勝った直後に西条学園側のベンチにニヤニヤしながらアイツが歩いてきた時は、マジでぶん殴りそうになったけど、それを黒乃が止めてくれた。
サッカーをする理由がなく疎遠になっていたが、新たにやる理由が見つかった。黒乃は、僕のサッカーで活躍している姿が大好きだと言ってくれた。ただそれだけで、僕はサッカーをしている。
大学は宵坂と同じところに進学した。僕は一般入試で、アイツは推薦で。高校時代での輝かしい成績を持つ宵坂と、途中からもう一度始めた僕では、実績に大きく差があった。でも僕は推薦じゃなくてよかったと思っている。だってアイツ、余裕なさそうだし。疲れている顔を見る限り、休む時間がないのだと思う。
黒乃はというと、僕たちの後を追うようにして同じ大学に進学した。変わらずマネージャーをやってくれている。
「久々に居酒屋でも行こーぜ」
「「は?」」
八時過ぎ。練習が終わり、僕と黒乃、宵坂の三人で歩いていると、突然そんなことを言い出すバカがいた。
「お前、頭大丈夫か? 明日朝から練習だぞ?」
「そうですよ! お酒飲んだら、絶対起きられませんって!」
「いや、普通に飯食いたいから……」
「なんだよ、びっくりさせんな。でも僕たちは早めに帰るからな?」
「お? 今夜は何するんだ? エッチか?」
「あぁ?」
「すまん……」
やはり眼力は役に立つ。体の大きい宵坂は、すぐに小さくなってしまった。
****
「結局こんな時間になってるし……。ごめんな黒乃……」
「ぜ、全然いいよ……! 拓くんも疲れてるのに、私がしっかりしてないから……」
付き合い始めて三年が経つ。先輩呼びをやめた黒乃は、代わりに僕の名前を呼んでくれている。敬語はいまだに出てくるけど、大体はタメ口である。
「あ、じゃあ僕こっちだから」
付き合っているのに、未だに同棲はしてない。
「はい……」
「何?」
「うぅ……」
何か物足らなそうな目だ。僕は察する。
「ハグ? それともキス?」
「どっちも……」
「うん、いいよ」
誰も見ていないはずの夜道で、僕たちはこれまでに何度もしたことのある、キスをした。本当に幸せな瞬間であった。
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