五十嵐白乃の場合

 その翌日、朝になり彼女の家に走った。外へ泊まりには行っていないはずだから、絶対にここにいると思った。なぜここに来たのか、という質問に対しての答えはすでに用意してある。自分の中にある大きく膨れ上がる想いを、直接伝えたかったからだ。


 息が荒くなりながらも走った。力強く地面を蹴って、前に進んだ。暑さが残っている季節だけど、走っている時点でかなり体温が上がっているため、そんな気温のことは全く感じなかった。


 心臓が強く動いているのが分かる。血の循環が早まっているのも分かる。でもこれで、想いを伝える際の緊張を紛らわすことができる。


 家に着いた。僕は震える手をしっかりと伸ばして、その家のインターホンのボタンを押した。


 外からでも聞こえる『ピンポン』という音。この音が家に響いて、誰も気づかないはずがない。ご両親もしれないけど、誰か出てくるだろう。だが黒乃はマズい。あの子じゃない誰かだ。


「はい……」


 目の前から声が聞こえてきた。インターホンに付いているスピーカーからだった。


「あの……松風です……!」

「たっくん? どうしたの、こんなに朝早くに……?」


 声の主は白乃だった。


「白乃……ちょっと出てきてくれるかな……?」

「どうして?」

「その……伝えたいことがあるんだ……」

「伝えたいこと? うん、分かった。待ってて……」


 扉がガチャリと開いた。まだパジャマ姿の白乃が、そこにはいた。彼女は大きくあくびをする。


「おはよ、たっくん。それで、伝えたいことって?」


 少々頬を赤らめながら、そう質問してきた。


 だから僕は……その質問の答えを、伝えた……。






「好きです……。僕と、付き合ってください……」



 ****



 高校を卒業してから、僕は国立の大学に進学した。真面目に勉強して、頑張ってバイトもしながら生活していた。遊ぶことはあんまりしていなかった。だって、それよりも彼女とのデートの方が楽しいと感じたからである。


 ちなみにその彼女も、僕と同じ大学に進学した。同じ学部に所属して、同じバイトをしていた。そして、同じアパートに住んでいた。ちょくちょく僕の部屋に顔を出して来たり、逆に僕が彼女の部屋に遊びに行ったりと、すごく充実した生活だった。


 四年間、そんな生活が終わり就職した僕は、一般企業の新卒サラリーマンとして仕事をこなしていった。それなりに給料も高く、周りの人たちとても親切で、この会社で良かったと本当に思っている。


 父の経営する会社に就職しなかったのは複数の理由があった。まず第一に、企業として興味がなかったこと。そして二つ目は、社長の息子として会社で仕事をするのが嫌だったからだ。優遇されてそう、などの偏見を僕は持ってほしくなかったからである。だから僕は違う会社に就職した。


 だけど、完全に関わりがないわけではない。大企業との連携で、うまく付き合ってはいる。当初は軽くあしらわれていたのだけれど、僕のゴリ押しで社長である父に面と向かって、経営のビジョンを見せてやった。その甲斐あって、めでたく成功を収めたウチと父の企業は、それ以来いい仲でいる。


 今日も他の取引先での商談を終え、会社に戻ってきたところだ。


「おつかれー、松風。どうだった?」


 同僚の新橋しんばしが、僕が戻ってきたと同時に聞いてきた。仕事がなくて暇そうだな、こいつ。


「んー、どうかなー。今ノリに乗ってる企業だから、どこかでミスってくれなければいいんだけど……」

「おいおい、また営業成績トップに躍り出るつもりか? 流石に一人で突っ走りすぎだ。俺にも手伝わせろ」

「いや、いいよ」

「いいや、絶対俺もやる。そしてお前の成績を邪魔してやる」

「なんて酷いやつなんだ、お前……」

「別にいいだろ? このままだと、お前が過労で死にそうになるかもしれないからな。それを阻止するためでもある」

「カッコいいこと言ってるけど、どうせ建前だろ?」

「大正解」


 オフィスで笑っているところを部長に怒られた。それからは互いの仕事をそれぞれ分担して作業した。営業成績を邪魔するのが目的と言っていたが、僕としては普通にありがたいことだった。強がって一人でやらない方がいい仕事量だったな、これ。こういう同僚がいると、かなり助かる。仕事も早くなるし、何より二人とも成績が良くなるからだ。


 色々とやっていると、もうすぐで仕事が終わる時間になった。


「松風、今日これから予定あるか?」

「別になにもないけど……? なんで?」

「これから部長が飲みに行こうって言ってて、お前も来るか?」

「あー、どうしようかな……」


 考えていると、ポケットに入っているスマホが振動した。何か通知が来たのだ。取り出して、画面を確認する。メールだった。


「ごめん! すぐに帰らないといけなくなった! また今度行きますって伝えてくれ!」

「……」

「な、なんだよその目は……?」

「彼女か?」


 よく分かったな。すごい。


「はぁ……。羨ましい……。分かった、伝えとく……」

「ああ、助かる。おつかれ!」

「おつかれ……」


 会社を出ると、すぐに声をかけられた。キョロキョロと歩道を見渡すと、彼女が物陰から出てきた。


「たっくん! お仕事お疲れ様!」

「白乃もおつかれ」


 彼女も大手企業に就職した。アパレルメーカーでバリバリに仕事をしているらしい。ビシッと決まっているスーツは、どこか色気があってなんかいい。白乃の顔の良さも相まって、なんかいい。


「メール、見てくれた?」

「うん。ちゃんと見たよ。一緒に帰ろうって書かれてるメールをね」

「ちがうよー! もう一つの方ー!」

「もう一つ?」


 もう一度スマホを見てみると、たしかに送られてきている。『今夜、エッチしたい……』と書かれている。


「わ、分かった……。僕、頑張るよ……」

「ありがとう!」


 二人で手を繋ぎ、同じ家に向かった。


 そして、熱い夜を過ごしたのだった。

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