第82話

 ヤバい、氷室さんがすごく絡んでくる。ホームルームが終わってからも、彼女の可愛らしい容姿を目にした男子達が周りに寄ってきたが、少し困りながらも素早くスルーして、僕との会話を楽しんでいた。それにこの子、僕の前ですごくニコニコしてるんだけど……。可愛いなぁ……。


 僕だけの前で、という自意識過剰な淡い期待をしていたことはあえて言わないでおく。それでも彼女の笑顔は、そのような期待をさせるぐらいに可愛いかった。


「松風さん! どうしたんですか、そんなに顔を赤くして……。あ、もしかして、また私のこと可愛いって思っちゃいましたか?」

「うぐ……」


 図星だったため、変な声が出た。


「ゔぅー……!」

「神木さん、な、何?」

「イライラする……」

「へ?」

「二人のイチャイチャを見て、すごくイライラしてんの! 氷室さん、もういいでしょ! アタシの松風を返してよ!」

「えー? 松風さんは神木さんのものではないですよねー? だって、いずれ私のものになるのですから!」

「何ぃー! ところどころでマウントを取ってきて! ムカつく! 松風も嫌がってよ!」

「ダメだよー、氷室さん? えへへ……」

「えへへ、じゃないよ! デレデレすんな!」


 神木さんはかなり怒っている。僕と氷室さんの会話だけで、イライラが最高点に達するらしい。ずっと『やめて!』と叫んで訴えてくる。氷室さんはそれにさらなる反撃を繰り出し、抵抗している。


 氷室さんに声をかけてきた男子達は、僕と仲睦まじくおしゃべりしている二人を見て、全く話すことができていなかった。挑戦しようもするも退く、というのが繰り返されている。


 ようやく二人が喧嘩をやめたのは、先生が『始業式だから、体育館に向かうために並べ』という声がけをしてからだった。それまで僕は、二人に挟まれながらマウントの取り合いを聞いていた。


「……で、あるからして、これまでの学校生活同様に……」


 体育館で、校長がダラダラ話しているのを眺めていると、かなり時間が経った。もうすぐでこの始業式は終わり、下校となる。


 その前に、一旦教室に戻った。


「松風さん! 今日、これから何か用事はありますか?」

「ごめん、僕、今日は早く帰らないといけないんだよ」

「早く帰る……。何か理由でもあるのでしょうか?」

「家に妹がいるんだ」


 ピクッと、横にいる神木さんが反応した。


「ねえ、まだ松風って童貞だよね? 卒業してないよね?」

「ちょ、ちょっと神木さん……! いきなり何言うんですか……!」

「氷室さんは黙ってて! これは重要なことなの。アタシにも、あなたにもね。で、どうなの?」

「え、いや、まだだけど?」

「そりゃそうよねー! 安心安心!」


 余裕ありげに、高らかに笑う神木さん。僕が、姫とヤってるとでも思ったのだろうか。あっちはその気だけど、僕はまだその気ではないからありえない。それに、姫が無理矢理襲ってきた場合も力づくでやめさせればいい。


 そんな危機を感じた神木さん。彼女の質問の内容から、顔を手で覆っている氷室さん。もしや氷室さんは、意外とこういう話題には疎いのが分かった。とても純粋な子だな。


「な、なら……。途中まででもいいので、一緒に帰りませんか?」

「はぁ!? ダメよ! それだと人が多くなっちゃう!」

「多くなる? 神木さんもご一緒なのですか?」

「そうよ! それにあと一人!」

「え、もう一人いるのですか?」


 神木さんは嫌がっている。でも氷室さんは、神木さんの言う『あと一人』という人を知りたくて、なんとしてでも僕と途中まで帰るらしい。


 あと一人———白乃の目つきが、鋭く怖くなる予感しかしなかった。



 ****



「い、五十嵐さん……」

「あら、氷室さんも一緒に帰るの?」

「は、はい……」


 氷室さんは下を向いて、なにやらブツブツと言っていた。


「ヤバいぃ……。自信ないよぉ……」

「何? どうしたの、氷室さん?」

「い、いえ……。さ、さあ! 一緒に帰りましょう、松風さん!」

「う、うん……」


 さりげなく氷室さんは手を取ってきた。僕の手を、彼女は自分の小さな手を使い、両手で包み込むようにしながら握っている。そんな僕らの仲を、二人は気に食わなく思うのは当然だ。どちらかが絶対に邪魔をしてくるはずだ。この場合、だいたい神木さんから始まるのだ。


 それにしても、氷室さんは積極的にスキンシップを図ってくる。握ってきているし。ただ、握ってからのもう一歩がなかなか出せない。僕としては、もっとガンガンやってきて欲しいが、そんなのを本人に言えるはずもない。おそらく他の二人は、氷室さんが躊躇しているのを察しているはずだ。


「たっくん! 氷室さんだけじゃなくて、私たちもいるんだよ? もっといっぱいかまってよ!」

「そうよ! アタシ達だったら、こんなふうに抱きつくこともできるし!」


 氷室さんに見せつけるようにして、僕にギューっと背中の方に腕を回してきた。チラッと氷室さんを見てみると、いつも神木さんがヤキモチを妬く時と同様に少し顔を赤くして、頬をちょっとだけ膨らましていた。めちゃくちゃ可愛いな、おい。


「わ、私だって出来ますよ! えい!」


 氷室さんも便乗して、僕に抱きついてきた。なんだこの状況は。どういう流れでこうなったんだよ。


「ギュー……。こ、こんな感じ、ですか……?」

「ッ……」


 クソ、可愛いな。見上げないでくれ、可愛いから。


「ど、どうなんですか……? 答えてくださいよ……。私、恥ずかしいんですからね……?」


 そういえば下校中だ。僕らは街中でこんなことをしている熱い集団に見えていることだろう。美少女に抱きつかれている少年と、他二人の美少女。なんだこれ。


「どうですか……?」

「い、いいハグなんじゃない……?」


 ぱあっと氷室さんが輝いた。可愛すぎるんだけど、この子。


「えへへ……! 嬉しいです……!」

「う、うん……」

「もっとしてもいいですか?」

「氷室さん? もう終了の時間だよ? 私に代わってくれる? というか代われ」

「は、はい……」


 流石に白乃の圧には負けた氷室さんであった。

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