第79話

 氷室さんは本屋に入った。ここで『結局、入るんかい!』というツッコミをする勇気は僕にはなかった。なんか力が入らなくなっているというか、放心状態になっているという感じだからである。衝撃的すぎてもっと余裕がなくなった。


 僕も後を追い入るが、僕の姿を確認した氷室さんは、そそくさと奥の方へ奥の方へ行ってしまう。僕のことを避けている、というのが分かった。それには少しショックだったけど、今は氷室さんの顔をまともに見れないから『これでも良いのかな』なんて思っていた。


 小説のコーナーに行くと、氷室さんが本を手に取っていた。流行りの物なのだろうか。そこのコーナーには、ジャンル別に品が並んでいた。そして氷室さんが持っているのは、ラブコメディのところから持ったもの。ここに来て恋愛系、僕たちの距離を刺激して、気まずさがもっとアップする。


「はっ!」

「あ、」


 僕に気づくと、あたふたとしながらプイッと顔を背けて違うコーナーに行ってしまう。これが何回も続いているのだ。


「どれどれ……」


 僕は興味本位で、先ほど氷室さんが手に取った小説を見てみた。可愛らしい女性キャラクターが表紙のケータイ小説であった。そのため中の文章は横書きである。


 あらすじや設定を読んだ。


 物語は中学時代から始まる。主人公である女子生徒がナンパされ、窮地に陥っている際に、男子生徒が助けに入ってくるというベタな展開の物語。のちに高校生となり二人は再会する、といったもの。そこから恋愛が始まるらしい。


 知っているシチュエーションだった。あったことのあるシチュエーションだった。これは、僕と氷室さんの……。


「はあ……」


 僕はどうしたらいいのか分からなかった。氷室さんの口から『想い人』という言葉が出てきて、明らかに僕のことだった。映画館で氷室さんに『可愛い』と言ったのは僕だけだった。彼女は、違う、と言って誤魔化していたけど。


 つまり氷室さんは僕のことが……。


 でもそれは本当のことか? まだ分からないだろ、本当に彼女が僕を思っているのかは。


 僕は本屋にいるであろう氷室さんを探した。どこかにいるはずだ。僕を置いてどこかに行ってしまうなんてことはしないだろう。なぜなら彼女はとても親切で、いつも人のことを考えているからだ。察するという能力が高いのは、おそらくここで鍛えられている。


 それにしても見つからない。全く、どこにいるんだ? さっきは小説のラブコメディのコーナーにいたから、ジャンルが似ているところを探せば良いのかな。なら恋愛とか官能とか、BLやGLのところに行けばいるのかもしれない。


 隅々まで店内を歩いた。



 ****



 あ、いた。やはりまたラブコメディコーナーに来ていたか。僕がぐるりと店内を一周すると、それに連動するようにして、氷室さんがせっせと早歩きをしていたからだ。つまり僕の先を行っていたため、結局一周したということだ。


 ススス、と足を忍ばせて彼女に話しかけた。


「氷室さん?」

「んひゃあ! 松風さん!?」


 氷室さんはその場から逃げようとしたが、僕はその手を掴んだ。


「気まずいのは分かるよ。僕もさっきびっくりしたし」

「で、ですからあれは! 本当に松風さんのことじゃないんです!」

「流石に苦しいよ、それは。ねえ、想い人って本当なの?」

「い、いえ……! ですから……!」


 目の前にいる氷室さんの顔が赤くなっていく。みるみる染まっていった。僕の方を見てはそらしを繰り返している。チラチラと、僕と床を交互に見ていた。


「え、えと……。その……」

「うん」

「で、ですから……」


 何か他の誤魔化し方を考えているのだろうか。彼女の黙る時間は長かった。


 すると氷室さんは、本棚にある一冊の本を取った。彼女が面白そうにして見ていたものだった。僕も興味ご湧いて手に取ったもの。


 それを顔の前に近づけていった。そのため赤くなった顔が隠れている。


「この作品は、高校生になって再会した男女が恋に落ち、最終的に男子生徒が、クリスマスのイルミネーションが光るツリーの前で告白するんです……」


 手にある作品の内容を語り出した。僕はそれを静かに聞いている。


「別に、この作品のシチュエーション通りじゃなくても良いですよね……? それに、女子生徒が告白しても良いですよね……?」


 氷室さんの綺麗な瞳が、本の上の部分から顔を出した。


「……好きです」


 彼女は言った。僕は、ただそれを聞いていた。


「お返事は、まだ先でも構いません……。お付き合いを、断っていただいても構いません……」

「うん。君とは以前に会ったことがあるけど、名前は知らなかった。今年一緒のクラスになって、それでもあんまり話すことはなかった……」

「うぅ……。そうですよね……。突然、好きだなんて言われても、困りますよね……」


 氷室さんは涙を浮かべた。フられると思っているのだろう。でも違う。僕は、君を一人の女の子として見ていることに、今日気づいたんだ。


「僕は君のことを、可愛いって評価した。つまり、僕は君を女性として意識してるんだ。これから好きになるのも、十分にありえることなんだ」

「え……?」

「だから、少し待っててほしい。君のことを好きかどうかしっかりと判断してから答えを出すよ。それまで待っててくれるかい?」

「はい……。その間に、私はあなたに猛烈なアプローチを仕掛けますからね……! 覚悟しておいてくださいね……!」


 とりあえず本屋を出て、それで僕たちのデートは終わった。帰り際に、氷室さんから連絡先の交換を求められ、僕はそれを快く了承した。


 その晩に通話をして、互いの好物やおすすめの本などについて話した。


 これで少しは、彼女と距離が縮まった気がする。

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