第73話

 姫との通話は楽しいため、ご飯を作る時間などすぐになくなってしまう。受話器を置くのが、何故かもったいないと感じるのだ。


「前回の通話がかなり長かったから、料金がすごいことになってたらしいよ。全部父さんが払ってくれたけど、流石に驚いたってさ」

「だってお兄ちゃんが姫との通話を切りたくなかったからでしょー? お兄ちゃんって、姫のこと大好きだもんねー!」

「いや、それは逆だろ。姫が僕との通話を切りたくなかったんだ。気を遣ってあげたんだよ、可愛い妹のためにね。いや、まあ、姫のことは好きだけど……」


 あ、いらんこと言ったかも。姫は『ふーん』と何かを納得したように鼻を鳴らした。


「姫も……好きだよ……」


 やられた。完全に墓穴を掘った。絶対に何かしてくる、と勘づいていたけれど、まさかそれか……。急激に熱くなってきた顔を押さえるも、それで冷却できることなどない。ただ熱を手で感じるだけである。


「と、とりあえず! 後から父さんに何言われるかわからないから、これから固定電話での通話は控えようと思うんだよ」

「そしたら、どうやって姫との通話するの?」

「姫、ずっと前から僕とチャットしたいって言ってたよね。できるようになったからさ、アカウント登録しようよ」

「……」

「姫?」

「どうして急にできるようになったの? 前まで、ある理由でできないって言ってたじゃん。何があったの?」

「え、えーっと……」


 言うべきだろうか。白乃と別れたから、他者との意思疎通が解禁された、と。


「その……白乃と別れて、他の人とチャットができるようになったんだよ」

「え……。別れた……?」

「うん」

「へー、別れたんだぁー。……やった」

「やった? 今、何か言わなかった?」

「じゃ、じゃあアカウントの登録をしなきゃだね! どうやってすればいいんだっけ?」

「自分が作ったアカウントのIDを教えてくれれば、僕がやってあげるよ」

「うん、分かった! ならお願い!」


 僕は姫から聞いたIDを、ささっと打ってみた。すると一つのアカウントがヒットした。名前は『亜城木姫』という、普通のフルネームだった。てっきり、『お兄ちゃんのお嫁さん』とか『松風拓の奥さん』という、完全に僕を恥ずかしくさせる名前をつけているだろうと思っていた。


「はい完了。これでチャットも通話もできると思うよ」

「ありがとう! お兄ちゃん大好き! 好き! 好き! 好ーきー!」

「うんうん。分かってるよー」

「早速通話を切り替えてみるね! あと、アレを送ってみよっと!」

「アレ? アレって何?」


 受話器での通話が切れ、『プープー』というお馴染みの音が聞こえて来る。今度は僕のスマホから着信が入り、すぐに電話に出た。すると『ピコン』という音と共にバイブレーションが発動した。


 そうだ、マイクにすれば姫とチャットをしながら通話ができるではないか。スマホを耳から離し、姫とのチャット画面が見えるようにする。姫が送ってきたのは、単なる写真。ピンク色で、どこか水分があるようなものだった。わずかながら光沢もある。なんだこれ?


「何これ?」


 僕は聞いた。


「口」

「は?」

「だから口だよ? 姫の口の中。お兄ちゃん好きでしょ、こういうの」

「別に好きとかではないけれど。え、なんでこれを……」

「これ見ながら、姫の口の中に発射する想像して、夜の営みが捗るかなー? と思いまして」


 何送ってんだよ。ちょっと想像しちゃったじゃねーかよ。



 ****



「お兄ちゃん? 前に言った、すっごく絡んでくる俳優。もう話しかけて来なくなったよ!」

「そうなのか? 良かったね」

「やっぱりお兄ちゃんのおかげだよ!」

「僕のおかげ? 何かしたかな?」

「その人にお兄ちゃんの写真を見せたの! 私の彼氏です! って、伝えたの!」

「はぁ!? 何してんの!? バレたらスキャンダルだぞ!? 自ら危ないことしてどうするんだよ!」

「バレなきゃいいの! それに仮にバレたとしても、本当に付き合ってますって言ってしまえば、お兄ちゃんは強制的に姫との付き合うことになります! どちらにしても、姫には都合がいいの!」

「た、たしかにバレない限り問題にはならないけど……。それでも、僕の許可を得てからすべきだ」


 姫は反省する気など、最初から持っていないだろうな。自分の都合のいい方向に向かうようにして、人との関係を作るのは、やはり悪いことだと感じてしまう。


「姫?」

「何、お兄ちゃん?」

「撮影が終わり次第、帰ってくるらしいけど、いつになったら帰るの?」

「あー! その話! 今日はそれを伝えるために通話したの! もうすぐで終わるから、待っててね!」

「はあ……」


 ため息をついてから、僕は重たい声で言った。


「帰ってきたら、色々とお話しないとだからな? 反省した方がいいぞ?」

「ッ……。ご、ごめんなさいぃ……」

「分かればよろしい」


 そのあとも通話をしていた。時刻は夜中になってしまった。でも明日は何の予定もないし、別に夜更かししても大丈夫だと思う。


 ところどころで、姫の声が小さくなってしまうことがあった。なんだ? 何かしてるのかな?


「……」

「姫?」

「はっ! お、お兄ちゃん?」

「どうしたの? 大丈夫?」

「だいじょうぶらよぉ……」


 なんか、声がふにゃふにゃしているような気がする。夜中に通話しているが、今日も仕事だったんだろうな。疲れてそうだな。


「姫……」

「ふぇ……?」

「おやすみ……」

「うん……。おやすみ、お兄ちゃん……」


 そっと、通話を終えた。

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