第48話

「あれ? 無い……。無い! 無い!」


 家に帰ってきてからリュックを開けると、あるはずの物が無かった、なんて経験はあるだろうか。僕はそれが今、リアルタイムで起きている。ガサガサと漁るも、無いのだから出てくるわけもない。


 ひっくり返しても同じだ。その中からは出てこないんだから。いい加減に気づけよ、僕。そして認めろ。さらには諦めろ。


「おい嘘だろ? もしかして、学校に忘れてきたのか……」


 信じたくない。僕の大事な数学の問題のプリントが、おそらく学校の僕の引き出しに入っているのだ! ぐあぁぁぁぁあ!!! 信じたくないぃぃぃぃい!!!


 だがこれは紛れもない事実、だと思われる。だってこのリュックの中には存在していないんだし、僕が最後にそのプリントを見たのは、数学の時間の終わり頃だった。配られたのがその時であり、そこからたしか引き出しに入れて、はいここから記憶なし。


 明日、あれ提出なのに……。朝にやるのは、流石に問題数が多いから無理っぽいな。さて、どうしようかな。


 冷静を装う僕は、一つしかない答えを導き出す。


「もう一回行ってきまーす!」


 そりゃそうだろ。取りに行かなきゃ成績に響く。これ以上、先生に目をつけられたくないからな。そのまま家からもう一度外に出た。せっかく帰ってきたというのに……。


 僕って本当に間抜けだな、と思ってしまった。



 ****



 もと来た道をどんどんと戻っていく。ああ……。僕のカロリー返して。


 そして神木と別れたところまで戻ってきた。ついさっき見たあの純粋な笑顔が思い出される。可愛かったなー、あの笑顔。過去最高だったな。


 すると……。


『ピコンッ』


 と音が鳴った。それはチャットアプリの通知音だった。というか、ひさしぶりに聞いたな、この音。白乃のアカウントしかなくて、通知オフにしてたから、なんだか聞き慣れない感じだった。


「え?」


 神木さんからのメールだった。見てみると、そこには写真が送られている。


『これ松風の?』


 それは文字が写っている紙だった。よくよく隅々まで見ると、僕の名前が書いてあるプリントだ。


 僕は一気に安心感に包まれる。『はあ……』とため息をつく。


『それ僕の。どうして神木さんが持ってるの?』

『入ってた。アタシのカバンに』

『それ、今探してたんだ』

『マジ? ごめん』

『あったならいいよ。それで、今神木さんってどこにいるの?』

『家』

『僕はその近くまで来てるよ。学校戻りそうになってたから』

『通話にしていい?』


 そしてすぐにスマホがブルブルと震えてきた。すぐに僕は出た。


「もしもし?」

「あ、松風……。ごめぇぇぇぇん!!!」

「いや、いいよ。あったんだし」

「でも! でも!」

「いいって。それで、僕はどうすれば……」

「上がって」

「は?」

「だから、上がって。アタシの家に」


 いやいや、ちょっと待て。上がる? なんで? 僕はただプリントを返してもらうためにここにいるっていうのに……。マジでなんでだ? 意味分かんないぞ。


「いや、いいって」

「だめ。ちゃんと謝りたいから。というか、早くしてくれる?」

「僕は返してもらえればそれで……」

「もう! 分からないの!? アタシが松風に家に上がってほしいから言ってんの! 上がらないなら返さないから!」

「うっ……」


 鋭い声がスマホから聞こえた。そんなことを言われてしまえば、僕は上がらなければならなくなってしまうではないか。


「は、はい……」

「よろしい」


 仕方なく了承した。そして僕は、神木さんの住むマンションの階段を上がる直前で気付く。


「神木さんの家って何番? 僕、知らないや」

「あ、そっか。201だよ」

「うん。ありがとう。今向かうね。待っててね」


 そんなふうに優しく言葉をかけると、


「うん……!」


 と、可愛い声を出してきた。


 僕はタンタンという音とともに階段を上る。コンクリートでできているこのマンションは、最近暑くなってきたのも相まって、冷えているような感覚がした。


 2階だから、家の前に着くのは早かった。インターホンのボタンを押し、数秒待つ。


 そして……。


「おかえりー! 松風ー!」

「別にここが僕の家じゃないんだけどね」

「もう! ノリ悪いなー! 新婚の雰囲気だよ雰囲気!」

「雰囲気か……。そうか、なら……」


 なら、僕が言うセリフはこれだ。


「ただいま」

「……」


 何か言ってよ。僕が恥ずかしいじゃん。でも、よく見ると神木さんの顔に変化があった。


 ちょっとずつちょっとずつ、朱色に染まっていく。そうなっていることに、本人の神木さんは気づき顔を両手で隠した。


「うぅ……。アタシが赤くなってどうすんのよ……」

「え? 何か言った?」

「なんでもない!」

「それより、僕のプリントを……」

「ん!」


 神木さんは扉を押し開ける。入れ、という意思表示だ。


「今返せば良くない?」

「アタシ言ったわよね? アタシは松風に上がってほしいって。ほら!」

「はあ……。分かりましたよ、神木さん……」


 頼んでいるのか強要しているのか分からないけれど、どちらにせよ僕は彼女の家にお邪魔させてもらわなければならないというのは確かだ。


 でも、いいことだってある。神木さんの可愛い笑顔が、今日はまだ見れるということだ。それは単純にメリットとして考えよう。


 そして僕は彼女の家に入っていった。

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