第41話

 ああ、ここか。僕と姫が、初めて会った綺麗で高級な店。キラキラとした装飾が、店内を美しく見せている。電気は柔らかく落ち着いたものだ。とても洒落ている。


 僕たち家族は個室に入った。あるのはテーブルだ。


「久しぶりに来たね、ここ。何年ぶりだろう」

「ふむ。確か再婚する前のご対面の時だったから、中学二年の終わり頃か?」

「中二かー。あの時は色々あったなぁー」


 懐かしむように上を見た。やはり落ち着く。電気の色和えが絶妙なのだ。


「ん?」

「ンフフー!」

「何、姫?」

「あの時、お兄ちゃんは姫にこうやって優しく笑いかけてくれたんだよ?」


 向かい側に座る姫は、そんなことを言う。


「そうだっけ?」

「そうだよ! 忘れるなんてヒドイ!」

「ごめんごめん」


 初対面の子にそんなことしてたのか、僕。笑いかけるって……変人って思われてもおかしくないぞ。


 姫はその時の僕の真似をしているらしい。ニコニコの笑顔で僕を見て、少し首を傾けて、ふんわりとした茶色の髪の毛がサラリと垂れる。その動きがとても色っぽかった。


 化粧はしていない。それでもなお、姫の可愛さと美しさは変わらない。というか、正直僕はすっぴんのほうが見慣れているからか、化粧よりこっちの方が好みだ。自然体というのが一番だ。


「綺麗……」

「えっ!?」

「え? ああ、いや、ごめん。お店の色々なところがね? 前にきた時とは、ところどころで変わってる部分があるけど……」

「むぅ!」


 姫は不満そうに頬を膨らませた。何か気に食わなかったのかな。


 僕は姫の頬をぷにっと指で押さえてみる。ブフッと口の中に溜め込んでいた空気が一気に出た。


「むぅぅ!」

「何?」

「むぅ!」


 プンスカプンスカ。可愛く怒っている。


「だから何?」

「姫は!」

「はあ?」

「だから姫は! 姫は綺麗なのか聞いてるの!」


 そりゃあもちろん綺麗だ。誰もが思うことだろう。だがこうして、面と向かって言うのとなると、それはそれで恥ずかしくなってきた。


 いやいや。僕は姫といやらしいことをしたんだ。今更になって恥ずかしいだなんて、笑えてしまう。


「綺麗だよ……」

「ホント? 嘘じゃないよね?」

「ホント。姫は綺麗だよ」

「ッ……」


 僕たちは赤面する。自分で言ってて恥ずかしい。


「そ、そうかなぁ……?」

「ああ、綺麗だよ」

「えへへ……。嬉しい……」


 和やかというのは、こういうことを言うのだろうか。家族全員でどこかに出かけて、家族全員で楽しく過ごす。仕事で家にいないことがほとんどだけど、それでも僕は、この僅かな時間がとても長く感じるのだ。


 僕が帰ってきても誰も家にいないなんて、前も今も変わっていない。だが、それでもいい。もう慣れていることだから、寂しい気持ちは、まあ、存在しなくもない。こうして時間を共にすると、仕事に戻って欲しくないと思ってしまう。


 ———はじめまして。亜城木姫です……。———


 初めて会ったあの時、モジモジとしながら、姫は自己紹介をしていた。ずっと下を向いていた。


 なんでそれは覚えてて、自分が姫にしてたことはすっかり忘れてんだよ、って自分で殴りたくなる。よーし、絶対忘れないようにインプットしておこう。


 少し頬が緩んだ。


「お兄ちゃん?」

「え?」

「笑顔だね」

「うん、楽しいからね」

「姫も楽しいよ!」


 赤くなっていた顔は、少しずつ落ち着いていった。



 ****



「はい、お兄ちゃん、あーん……」

「あ、あーん……」


 パクっと、姫の差し出した料理を食べる。高級な料理というだけあって、それはそれは美味しいものだ。


 すると今度は姫が口を開けて待っていた。自分にもやれ、という意思が伝わってきた。


「あー……」

「姫ちゃん。それはお父さんがやってあげるよ」

「ヤダ! 姫はお兄ちゃんにやってもらいたいの!」

「巫女さん! 姫ちゃん、私にだけ冷たいんだ!」

「あらあら。じゃあ私が食べてあげましょうか?」

「え、いいんですか?」

「ええ、夫婦ですし。当然ですよ」


 僕の隣で両親たちはそんな会話をしている。僕が姫にやったように、あーんをしている。僕がその方向を向いていると、姫は無理やり僕を自分に注目させる。どうやって? コツンと足を蹴って。


「えい!」

「いて。何するのさ」

「姫を見て! お母さん達じゃなくて姫だけを見て! ほら、見てよ!」


 面白がってもう一度横を見る。


「もう! 姫を見てよ! お兄ちゃん!」


 今度は三回連続だ。


「いててて。ごめんごめん……」

「もう! イジワル!」


 また『むぅ!』と頬を膨らませる。可愛いな、それ。


「イジワルしたので、お兄ちゃんは姫にこれを食べさせなさい」

「ああ、はいはい。あーんね」

「違うよ? そんな生ぬるいことじゃありませーん!」

「え、じゃあどうやって……」

「お兄ちゃん。一回それ自分の口に入れて」

「え、うん……」


 僕はフォークに巻き付けていたパスタを口に入れた。


「そして……」

「ん?」


 姫は席から離れて、僕の方に近づいてくる。超至近距離だ。


「これを……こうする……!」

「ッ!?」


 親のいる横でキス。しかも僕の口の中には食べ物が入っている。姫の言う食べさせ方は口移しのことだったのだ。


 いきなりのキスはビックリする。ぐちゃぐちゃ。姫の舌は、僕の口の中のパスタを根こそぎ奪い取る。


「プハッ!」

「はあはあ……」


 それを姫はゴクリと飲み込んだ。


「うん! 美味しい! お兄ちゃんの唾液が混ざってて、姫の大好きな味になった!」

「姫、そういうのやめて……」

「えへへ!」


 その笑顔は、見るもの全てを魅了するかのようなものだった。ドラマやバラエティ番組では見せることのない、純粋で本当に愛らしい笑顔。


 それは、僕と両親だけが知っている。


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